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檸檬読書日記 雀と生きたおばさんと、パリで奇跡を生んだおばさんの話。 6月26日-7月2日

6月26日(月)


人参の花をずっと置いておいたら、凄いことになった。ぱっかーんと開いた。なんだか本当に花火みたいだ。



竹下文子・ぶん:島野雫・え『つきのこうえん』を読む。絵本。

満月の夜、るなちゃんは絵本を読みに来るお母さんを待っていると、窓の外からおとこのこが現れ、誘われるように外へ行く。
空を飛び向かった先は、お月様のボールで遊んだり空を飛ぶように回るぶらんこに乗ったりする不思議な場所、つきのこうえんだった。

といった内容で、少しピーターパンを思わせるような絵本だった。

おおきな きの えたに ゆれているのは、きんいろの さくらんぼ。
あまくて すっぱい さくらんぼ。
たねを ぷっ、ぷっと とばすと、ながれぼしになって、きらきら ひかりながらそらに きえていくのです。


個人的にはこの場面が1番好き。
夜空に煌めく星たちが、金のさくらんぼの種だったというのが、なんとも素敵だ。

最初、酒井駒子さんのような表紙の絵に惹かれて読んでみたのだが、中を見たら全く違い、現代風な感じで、それでも夜の感じが優しく素敵な絵だった。夢の中に一緒に入って遊んでいるような、楽しい作品だった。


そういえば、丁度さくらんぼの季節だなあ。んー、無性に食べたくなってしまった。買おうかな。



6月27日(火)

檸檬カット屋営業日。
祖父と父親の髪を切る。
いつもと同じようにやって、別段いつもと同じ出来だと自分では思っていたのだけれど、今日はやたらと褒められた。何故?
今日は出来が良かったらしい。いつもと同じ気がするけど…。
「今回は、良いぞ」
と、父親が『今回』を強調しつつニマニマ言う。生意気なので、軽くチョップしておきました。

千円ゲットだぜ!何故か(出来が良かったからなのか)50円プラスされて、1050円ゲットしました。何の本買おうかな。わくわく。

そういえば、この前祖母と電話で話をした時、1回500円でやっていると言ったら、驚かれた。
「安い!もっとふんだくりな!」
と言われた。思わず笑ったよね。毎度まあまあな出来だから、これ以上は流石に取れないよおばあちゃん。



たなかのか『すみっこの空さん』4巻を読む。

お正月。空さんは、神社の階段を登っていく。

「空さんにはしんはっけんだ
このかいだんを上がったところに『来年』があって
かいだんを一だん上がるたびに『来年』に近づいていくんだね」
「まあ 間違ってはいないのか
昔は個人の誕生日じゃなくて 一月一日にみんな一斉に歳を取ったのよ
歳神様にその日 歳をもらうっていう設定(?)でお正月は歳神様のお祭りだから
あそこには歳神様がくれるはずの歳があるっていう考え方よね
そうそうそれで 命が増えるから
正月がある冬は『増(ふ)ゆ』って言うらしいよ」


なるほど。
一月一日に一斉に歳をとるって、何だか良いな。誕生日という個人の誕生を祝うのも良いけれど、一斉にという命をもらっている感じも良いなあ。




6月28日(水)

オカワカメの勢いが凄まじい。
毎年毎年、水をやるという手間だけで凄まじい成長を見せてくれる。尚且つ虫もつかない。
そして毎年、ほっといても生えてきてくれる。
超優秀児。ただ勢に反して、毎年あまり食べない…。去年も結局食べずに終わってしまった。
今年は絶対に食べようと、四方八方に飛び散っている蔦を眺めながら決意。

けれど本当にオカワカメは優秀だ。
基本的に葉っぱを食べるのだが、葉が終わった後の蔓に出来るムカゴも食べれるし、蔓が終わった後に土の中を掘ると芋のような球根があって、それも食べられる。素晴らしい。
そしてどれもネバネバとしていて面白い。ただ少し土のような癖があり、茹でて醤油かポン酢か麺つゆで合えるとかでしか食べられないのが難点。
んー、でも知らないだけで他の食べ方もあるのだろうか。今度調べてみよ。



クレア・キップス『ある小さなスズメの記憶 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯』を読み始める。

戦下のイギリスで、老ピアニストのクレアは、1羽の傷を負った雀と出会う。
雀と生活し、雀と共に戦争を乗り越えた中で、雀に教えられたことなどが綴られている本。

若くてエネルギッシュで、意気軒昂だったにもかかわらず、彼は一日のうちのどの時間にも、私と「ひと眠り」することができた。私がひどい麻疹に罹り、二週間、病の床に臥したときは、彼の生活は「至福」そのものだった。毎日がお祭りのようなもので、人生は「喜びのメリーゴーランド」となった。食事を私と分け合い、ほとんど一日中ベッドの中で抱かれ、ときどきトイレの必要や、子どもがするように食事の合間に何か一口つまむために籠に戻ることなどはあるものの、それがすむと大いそぎで嬉しそうに帰ってくる。


幸せの全てが詰まっている気がする。
幸せってこういうことなんだろうなあ。
雀の喜びを想像するだけで、こちらまで幸せな気持ちになる。
この雀にとっての幸福は、食べることや不自由ない生活ではなく、ただただ大切な人と一緒にいられることなんだろうなあ。なんだか沁みる。



『井上ひさし歌詞集』を読んで、自分は「ひょっこりひょうたん島」を何処で聴いたのだろうかと思っていた。
そしたらひょんなことから発覚、ジブリ映画『おもひでぽろぽろ』だった。そうだったそうだった。
『おもひでぽろぽろ』、自分の中では結構好きな作品。素朴だが、あの素朴さが良い。パイナップルのくだりとか特に好きだなあ。

そういえば『おもひでぽろぽろ』の中の「ひょっこりひょうたん島」の裏話があるらしく、教えてもらえるまで知らなかった。
相当な労力があったのだとか。作品への真摯さに、本当に脱帽だ。だからこそたくさんの人に刺さる、長く残り続けられる作品になるのだろうな。
知った上でまた見たくなってしまった。やらないかなあ。





6月29日(木)

クレア・キップス『ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯』を読み終わる。

素敵な作品だった。
負傷した雀は、著者を助けるだけでなく、多くの人を慰め助ける。小さいながらも、雀が行う芸は、どれほど人々を前向きにさせたのだろう。

そして、戦争が終わり、我々が普通の日常に戻ったときには、彼の芸は著しく衰えていた。


それはまるで、自分の役割を分かっていたように思えた。もしかしたら、贈り物だったのかもしれない。

著者と雀が、本当の家族のようで、愛情に溢れていて、一緒にいるために懸命に生きようとする姿に、何度も心が震えた。

小鳥がこれほどまでに老衰と闘う姿は初めて見た、と、動物の軍医どのは、次から次へと驚きの連鎖の中で言った。
「カナリヤやセキセイインコなら、とっくに死んでいますよ」
しかし不屈の意志をもったこの私の相棒は、決して降参はしなかった。
屈するかわりに、ますます自由が利かなくなっていく状況に自分を適応させ、愚痴をこぼすことも(略)なく、味わえる限りの生の歓びを享受し、精一杯の活動を楽しんだ。
我々老いゆく者にはなんという教えだろう。若い人なら簡単にできるような、今まで日常的にやっていたはずの仕事をこなそうと延々と時間を費やし苦労するなんて、なんと馬鹿げたことであろうか。そんなことをやっている間に、経験のある老人ではなくてはできないような慰めや理解を、若者たちにあげることができるのに。


雀に教わることも多かった。
懸命に闘い、生きようと努力するが、その一方で衰えをきちんと受け入れ、その中で喜びを見つけ糧にしている。
分かってはいても、人にもなかなかできないことを、雀はやすやすとやってのける。本当に凄い。
雀の思考はシンプルなのかもしれない。だからこそ自分の中でもっとも大事なものを理解し、選別して、1番大事なもののために何をすべきなのか理解することができるのかもしれない。

人ももう少しシンプルに生きられたらいいのに。自分の中で本当に大切なものを見つけられたら、そうなるのだろうか。
けれど今は、見つける時間もない。
シンプルでなく複雑で、時間もないからあれもこれもと目移りし、分からなくなるから、色んなものを見失ってしまうのかもしれない。
自分の1番大切なものは何だろう。
きちんと考えてる見つけたい。そうしたら、もう少し悩みも少なくなるかもしれないな。

大切なことを気づかせてくれる、素晴らしい本だった。
この本の魅力は、本編だけでなく、訳者が『西の魔女が死んだ』で有名な梨木香歩さんであることと、小川洋子さんが解説をしているところにもある。なんとも豪華。
あとがきや解説まで見どころで、最後の最後まで最高の作品。




6月30日(金)

1度聴くと抜けなくなる曲がある。
新しい学校のリーダーズ「オトナブルー」がそれで、1度聴いたら最後、なかなか抜けなくて頭の中で終始流れ続けてしまう。
凄い好きという訳でもないのに、頭の中で勝手に再生され続けるから、鼻歌を歌ってしまう。

そして教もうっかり聴いてしまい、鼻歌を歌っていたら「その曲、聴くと抜けなくなるから止めて」と仲間が現れた。
つらいとかではないけれど、集中できなくなるから勘弁してほしいんだよね、分かる分かると頷きつつ、にっこり笑って鼻歌で歌ってあげました。
見事、リピート仲間に引き入れることに成功。にまにま。(悪い奴だ)

数十分後、ようやく忘れてぼんやりしていたら、後ろから鼻歌で聞かされて、また思い出してしまった。再び無限再生。やられた。せっかく忘れていたのに。ひどい奴だ。(自分のことを棚に上げる)
なので自分も相手が忘れた頃に鼻歌を歌い、相手も自分が忘れた時に鼻歌で返してくるという、しょうもないやり合い合戦が始まった。
だから結局、今日はずっと「オトナブルー」が流れっぱなしの日だった。傍から見れば凄いファンだな。

そういえば「オトナブルー」を聴くと、和田アキ子さんの「あの頃は、ハッ!」を思い出すんだよなあ。似てる。(だからなんだ、という話だけれど…)



7月1日(土)

note初めて丁度1年経ったらしい。早いなあ。



ポール・ギャリコ『ミセス・パリス、パリへ行く』を読む。

家政婦として働く60歳近いハリスおばさんが、クリスチャン・ディオールのドレスに憧れてパリに行く話。

すぐにパリに行って、ドレスへと一目散かと思っていたが、ドレスを買うためのお金を手に入れために奮闘していて、もっとファンタジーめいた非現実さが展開されるのかと思いきや、結構現実的な模様。けれど嬉しい裏切りで、惹き込まられる。特に幸運の話が興味深かった。

ハリスおばさんによると、幸運とは、感じ、ふれることのできるなにものかであるそうだ。つね日ごろは空中にふわふわただよっているが、ときおり大きなかたまりとなって、だれかの上におちかかってくるものであった。幸運は一瞬、頭上にもやもやと集中してくることがあるが、すぐに消えてしまう。


幸運は、すぐ近くにあって、それを掴めるか掴めないかは自分次第。幸運を掴むためには、幸運は常にあるものと自覚して、常に目を凝らしていることが大事なのかもしれないなと思った。

ハリスおばさんは、一目惚れしたドレスをどうしても手に入れるために、必死に頑張る。それは色々な人を巻き込んで、出会いや奇跡を生んでいく。
人の優しさが沁みる、可愛くて素敵な物語だった。

この物語の1番の魅力は、主人公であるハリスおばさんだった。
一途で真っ直ぐで、純粋。ふわふわとしているのに、ドレスのこととなると情熱的で努力をおしまない。その姿に、読み進めてくうちに惹かれ、最後はどうしようもなく好きになっていた。可愛くて、骨抜きになってしまった。

そしてこの物語で1番良かったのは、現実的で、過度な幸運も過度な不幸もないというところ。
ドレスを買うために、ハリスおばさんは必死にお金を集める。けれど物語とはいえ、簡単に奇跡が起きることはない。

いるお金は、汗をながして働き、つつましく日を送ることによって、たまっていく。


懸命に働いて貯めていく。だがそこでまたハリスおばさんの魅力が出てくる。

ハリスおばさんは、うれしさでいっぱいだったから、それくらいのことは喜んでしんぼうする覚悟だった。


思い通りに上手くいかなくても、過度な幸福が巡ってこなくても、ハリスおばさんはへこたれず、むしろ常に前向きでいる。これは本当に、好きにならずにはいられない。

最後の最後まで、本当に素敵な本だった。
コミカルながらも考えさせられる場面もたくさんあって、とても楽しく読めた。
ミセス・ハリスシリーズは、後3作あるらしく、2作目は既に発売され、3作目はこれかららしく、絶対に買おうと決意。またハリスおばさんに会えるとは嬉しい。




7月2日(日)




森八の屑あんみつを頂いた。
寒天ではなく屑になっていて、独特の弾力が堪らない。
個人的に、あんみつ界ナンバーワン。
ただ、ブドウ糖果糖液糖が入ってるのだけが残念…。最初にして最後だと思って噛み締めて食べた。



嵐山光三郎『追悼の達人』を読む。「石川啄木」編を読み終わる。 

いやー、凄い嫌われよう。まあ、嘘つきでお金を幾度も要求し、そのお金も遊びとお酒のためなのだから仕方ない気もするけど。
面白い。
何より面白いと思ったのは、もしかした石川啄木は長生きしていたら、ここまで有名になっていなかったのではないか、というところだった。

石川啄木は26歳という若さで亡くなっており、その後、土岐哀果の激推しで全集が作られ有名になっている。
ただ、土岐哀果との交流は1年と浅く、石川啄木の悪癖を知らなかったからというのが影響している模様。
面白い。

けれどどちらにしても、石川啄木が生前に有名になることはなかったのではないかなあ。
そういう巡り合わせの人って多いよなあ。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
ではでは。



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