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檸檬読書日記 積読本増殖禁止令が発令されました。 3月13日-3月19日

3月13日(月)

近くまで行ったからと言い訳をして、古本屋へ。
ちょっこし見るだけだと思っていたのに、やっぱり買ってしまった…。

買った本

でも欲しい本がたくさんあるから悪いんだ。と、また言い訳。
ああ、読んでない本が溜まっていく…。なんて言い訳をしよう。(最早言い訳のしようもないな(そもそも相手がいる訳でもないのだから、言い訳しなくても良いんだけど))
とりあえず早く読んで減らそう。


成田名璃子『世はすべて美しい織物』を読み終わる。

この呼吸が生だ。この痛みが生だ。己の虚ろを、喜怒哀楽で満たすことが生だ。この世界を、命いっぱいで濾過していくことが生だ。


昭和と現代それぞれに駆け抜けた女性2人に、励まさせるような作品だった。性格も状況もまるで違うが、共通する織物を中心に、抗い前に進もうとする姿に心打たれた。そして昭和と現代、時代や状況が違うからこそ、考えさせられる作品でもあった。


信友直子『ぼけますから、よろしくお願いします。』を読み始める。

母親から「今年はぼけますから、よろしくお願いします」と宣言されてから、本当に認知症になった母親と、高齢の父親との生活や現実を娘自らが書いた、家族の記録。


うちは母親が元気だったころは、専業主婦の母が家事一切を取り仕切っていて、父は家事めいたことなど、何もしていませんでした(略)
「お父さんが掃除機かけよる!」驚いて、少し茶化し気味に声をかえた私。そのときです、父の名言が出たのは。
「まあ、これも運命よ。定めじゃわい。おっ母には今まで、家のことをようしてもろうたんじゃけん。おっ母がおかしゅうなったんなら、今度はわしが代わりにしてやらんと、しょうがないじゃろ」


それも、運命。なんと素晴らしい考え方なんだろう。感銘してしまった。
基本的に母親が中心の話なのだけれど、時々出る父親の愛情や懐の深さにやられてしまう。なんて素敵なんだろうか。
病気や怪我など、当事者にとってはとても辛く大変なこともたくさんある。だけど、同時に今まで知らなかったことを気づけることもあるから、悪いばかりではないのかもしれないな。なんて、思ったり。


改めて読んでない本を軽く数えてみたら、(漫画等抜きで小説だけで)100冊を超えていた…。これはまずい…。もうしばらく買わないぞ!と改めて決意。(と言いつつ、数日後には性懲りも無く買ってしまうんだろうな…)




3月14日(火)

信友直子『ぼけますから、よろしくお願いします。』を読む。

中盤まできた。ディレクターとしてカメラも回す著者、家族のことを撮ろうと決意し、カメラ越しに両親を見るようになった。


カメラを構えると自然と「ヒキ」の視点を持つことになります。すると、娘として「ヨリ」で見ていたときには「情けない」としか感じられなかったことが、実は案外、笑えたりするんだな、と気づくようになったのです。


自分が巻き込まれそうなほど近くで見ていると辛いけれど、遠くから心の余裕を持って見てみると、くすっと笑えたりほっこりしたり…。
(略)
今、ご家族の介護をされている方にも、この「ヒキで見る」という方法はおススメです。(略)自分がカメラを持った気持ちで、介護で煮詰まった気持ちをスっと引いて、客観的で見てみるだけで、ずいぶんと見え方は変わってくるはずです。
もしかしたら、ひとつ深呼吸をするだけでもいいかもしれません。それだけでも肩の力が抜けて、気持ちが楽になると思うんです。


「ヒキで見る」「客観的に見る」というのは、確かにいいかもしれない。近すぎると、見えなくなるものが出てくると思うから。
それに介護でなくても、あらゆる状況で使える方法な気がする。
わー!と叫びたくなりそうになったら、一旦止まって深呼吸する。目を瞑って、1度視界をリセットするのもいいかもしれない。
後は他の人だけでなく、自分を含めて上から見るように俯瞰するのも効果的かも。その状況を実況しながら観察するのもいいかもしれない。やはり少しの余裕が大切になってくるんだろうなあ。
自分も近くなりすぎず、それでも遠くなりすぎないように、上手く生きていきたい。




3月15日(水)

信友直子『ぼけますから、よろしくお願いします。』を読み終える。

祖父は少し記憶力が怪しいものの、身近に経験はなく、それでも何となしに手に取って読んでみたが、介護の面は勿論、他の部分でも学ぶことが多かった。
重めのテーマながらも、作者のいい意味での軽めで柔らかい口調だからか、凄く読みやすかった。大変(と、一括りにして良いのか分からないけど)さや、現実の苦悩は伝わりつつも、不思議と重くなりすぎず、最後の作者の着地点も凄く良かった。
悲観するのではなく、前向きに捉えている姿にも感銘を受けた。
父親の深い愛情も見所で、本当に素敵が詰まった本だった。
心から読んで良かったと思えた作品だった。




3月16日(木)

嬉しいけど、複雑な気持ちになった日だった。
けれど反対に吹っ切れた気がする。


峯澤典子『微熱期』を読む。
詩集。

自然の中にに溶け込んでいくような詩が多かった。
自分の頭があまりよろしくないせいか、半分も理解できてないだろうけど、自然と一体化していくような、現れては消えていくような、儚さを感じた。

(略)
遠くへゆくために
遠くを見るために
手と足と 目を もらったのに
手足をやすめ 瞼を閉じて
ふかく眠るときだけ
たましいは
火や雪のうえを 自由に駆けてゆけるのだから

もう 泣きながら歩くことはない
ただ 目を閉じればいい
だれからも遠い場所へゆくために

(略)

朝の雪の庭のまぶしさにわたしは目を閉じた。もう、泣きながら歩くことはない。ただ、目を閉じればいい。だれからも遠い場所へとゆくために。

部屋へとつづく冷た石の階段をふたたびのぼりはじめたとき、すれ違った少女のくすぶしから、さいたばかりのヒヤシンスの匂いがした。

「ヒヤシンス」

(略)
まどろんだ水面に浮かぶのは だれ
葉の舟を追って見知らぬわたしが駆けていった
花が枯れ いつか岸辺からひとが消える
水のうえの 月の横顔は眠りつづける
(略)

「未完の夏の眼に」




3月17日(金)

トマトとナスを種から育てるために、濡らしたキッチンペーパーに挟んで、暖かいところに置く。根が上手く出るか、そわそわ。
トマトとナスは種からは難しいとされていて、しかも初めてだから緊張。上手くいくといいなあ。


中見真理『ジーン・シャープ 独裁体制から民主主義へ』を読む。

(略)独裁体制からの解放は、究極的には「人々が自らを解放できる能力」に左右される、とシャープは言います。
他国の介入など外部の力に頼ってしまうと、かえって望まぬ結果を招く危険があります。なかには、抑圧された民衆のためではなく、自らの経済的・政治的・軍事的支配の強化など、自国の利益のために介入してくる国もある。自由化を支援すると言っておきながら、その約束を反故にして、抑圧下の民衆を独裁者に売り渡すことすらあるとシャープは言います。

怖いな…。
タダは無い、タダほど怖いものは無いと同じように、完全な慈悲的行動もないのかもしれないな…。与えるには、何かしらの理由がある。
自国関係なく、本当に助けたいと思う気持ちがあるなら、与えるでも甘い言葉をかけるでもなく、仲介に入る者なのかもしれない。
どちらにしても、やっぱり頼らずに自国で何とかするのが1番いいのだろうなあ。




3月18日(土)



おやつー。
べこ乳発の「会津の雪 ヨーグルト」!
甘みが優しく、凄く食べやすいヨーグルトだった。何よりこの瓶が可愛い。素朴な女の子の絵。青色っていうのもいい。
何かに使えないかなと、思案中。
今回は買わなかったけど、無糖の方は緑色で、そっちもレトロ感があって良き。
そういえば、ずっと「べこちゃんヨーグルト」だと思っていたが「ちゃん」は付かなかった…。改めて見て気づいた。ずっとちゃんちゃん、ちゃんちゃん言ってたのに…。
自分は早とちりが多いから気をつけよ。


ひこ・田中『あした、弁当を作る。』を読み始める。児童書。
中学1年生男子のタツキが、ある異変をきっかけに、弁当を自ら作り始める、という話。

『ぼくは本を読んでいる。』の時も思ったけれど、個人的に好きな文章だ。自分を客観的に見ているような、淡々とした文章が凄く好み。

「タッちゃん。起きて」
(略)いつのまにかベッドに移動して眠ってしまったらしい。
(略)
「お父さんが帰ってきたわよ。もうすぐ晩ご飯だから、中途半端に眠ったりしたら、夜に眠れないでしょ」
(略)
母親が出ていくのを確認してからぼくは、スリープになっているパソコン画面を見て、「おまえは眠っていていいよ」と言ってみたけど、あんまりおもしろくないなと思った。

自分は結構面白いなと思ってしまった。 
   



3月19日(日)

大高忍『マギ』(全37巻)をようやく、ようやく読み終わる。

長かった。2ヶ月以上かかってしまった。
でも終わってしまったら終わったで、凄く残念でもある。もっと見ていたかったと思ってしまう。
どのキャラクターも魅力的だったけれど、最後の最後で魅せられたのは、主人公のアリババだった。
中盤まではそうでもなかったのに、最後にぐっと持ち上げて、あぁ、やっぱり主人公だったんだなと思わせる組み立ての上手さ。本当に凄い。脱帽です。

それにしても、本当に素晴らしい作品だった。凄く考えさせられる作品でもあった。
国民にとってどんな王が相応しいのか、バラバラな国をどうしたら1つにできるのか、争いや復讐をどうしたら止められるとか、本当の幸せとは何か、などなど、特に今の世の中にぴったりな内容に思えた。
今こそ読むべき漫画ではないのかと、個人的には思った。

ただ漫画の中では魔法があったり、金属器という特別な武器があったり、摩訶不思議な生物や植物があったりと、現実とは全然違うのかもしれない。
けれど、どれほど特別なものがあっても、答えは同じなような気がした。

「本当にいいのか?
運命の言いなりで全部投げ出して…
本当にいいのか……

自分の頭で考えてくれ!!!」

「誰も……
他人と無関係ではいられない。
それでも考え続けなくてはならない。
自分が本当に望むことは何かを…
変化し続ける自らの願いに、目を凝らし続けなければならない。
それはつらいことだが……
(略)
その過酷で自由な道を、俺は課す。」

考え続けなくてはいけない。何があっても…。それが1番大切な気がする。 

自分は元々考えるのが好きで、頭が痛くなるくらい考えてしまう。それでも、考えることが辛い時もある。前が見えなくて、考えても答えは見えないからと、考えを放棄したくなる。
けれど、辛いからといって放棄してしまうと、その時は解放されて楽になっても、結局また同じ苦しみがやってくる。
そして放棄こそが、考えをやめた時にこそ、苦痛や争いが生まれてしまうんじゃないだろうか。なんて、思う。

それに他人に委ねるのは凄く楽だけれど、それで依存してあの人のせいだと恨んだり憎むのは、もっと辛く苦しい気がする。そしてその思考に囚われると、なかなか抜けなくなってしまう。
だから頭がどんなに悪くても、自分は考え続けたい。
考えても、正しい道とか答えとか、見えないこともあるかもしれない。でも、自分が考えて導き出したものなら、後悔せずに済む気がするから。


そういえば『マギ』を読み終わったのだから、次に読むのを考えなくては。何にしようか。
『炎炎ノ消防隊』や『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』はこれからアニメがやるから、それからにしよう。『東京卍リベンジャーズ』はまだ熟成期間だし…。
そうすると『とつくにの少女』『ぎんぎつね』『テガミバチ』『曇天に笑う』『銀の匙』『海獣の子供』…。
こうやって並べてみると、結構あるな…。把握できてないだけで、まだありそうだし…。本当に溜めるのを制限しなくては。そして早く読も。

とりあえず明日から荒川弘『銀の匙』(全15巻)を読んでいこう。


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