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檸檬読書日記 『吸血鬼は目を閉じ、十字を切った』を読む。 5月22日-5月28日

5月22日(月)

待ちに待ち望んでいた恩田陸の理瀬シリーズ最新刊『薔薇のなかの蛇』を買う。

単行本が出た時から舞い上がっていたけど、文庫化されて出たら絶対に買おうと思っていて、ようやく買えから、相当な浮かれ気分。
でも勿体ないからしばらく熟成。

そういえば、本を買って浮かれてか、ふんふんと鼻歌を歌いながら自転車を走らせて赤信号で止まったところ、ある人に遭遇した。ぐいぐいと自分の前に来ようとする、おじさんがいたのだ。
わー、凄いぐいぐい来るなあとぼんやり思っいながらおじさんを見たところ、そのおじさんの格好がいかにもロック好きな服装で、全体的に黒に羽やら髑髏やらの絵に、ワンポイントが赤で…。ごりごりのロックな感じなのに、自転車に乗っているというアンバランスさが少し面白かった。
(いや、ロックな人が自転車に乗ってはいけないという訳ではないんだけど、イメージがね…ロック=バイクのイメージがあるからなあ)

後、ぐいぐい来て最終的に先頭を獲得したものの、びっくりするくらい速度が遅くて笑った。
思わず「遅っ!」と言ってしまいそうになったのを、寸前のところでグッと堪えた。
でも、速度はロックじゃないんかーいと、内心で突っ込んでしまったよね。思わず。


嵐山光三郎『追悼の達人』を読む。
「尾崎紅葉」編を読み始める。

(略)文章に厳密な紅葉は、初期の鏡花の原稿にうるさいほど朱筆を入れている。それは、小学校の先生が生徒の作文に朱筆を入れるような執拗さであった。

なるほどなと、納得してしまった。
泉鏡花があれほどまでに文章が匠で、芸術的なのは師匠である尾崎紅葉の厳しさ故の賜物だったのか。
そして、そうやってきちんと結果が出ると分かっていたからこその、執拗さだったのだろうなあ。
愛だなあ、と思ってしまった。今、こういう愛情ってあるのかなあ。

けれど普通、そんな子供の作文扱いされたら、憤慨して離れていきそうだけれど、泉鏡花自身もきっとこれは自分のためであると分かっていたからこそ、受け入れていたんだろうなあ。
なんだか泉鏡花が尾崎紅葉を慕っていた理由が、分かった気がした。素晴らしい師弟関係に、勝手に想像してグッときてしまった。



5月23日(火)


最近、山形県のラ・フランスジュースが気に入っている。
棘のない甘みと優しいラ・フランスの味が最高。コップに注いで飲む時にふわっと香る匂いも、優しくて癒される。
最近めっきり甘いものを食べないし飲まないからか、個人的には少し甘く、半々の水で割って飲んでいるけれど、それでもしっかりとラ・フランスの味がして美味しい。
何よりストレート果汁100%で、他に何も入っていないというのが嬉しいところ。

このシリーズ、桃も好きなのだが、桃はなかなか見ない。何処かに売ってないかなあと探索中。
見つけたらまとめ買いしたいな。


森見登美彦『太陽と乙女』を読み始める。エッセイ。

ひとつ考えてみていただきたい。
眠る前に読むのはどんな本がふさわしいだろうか。
(略)
これは意外に厄介な問題なのだ。
(略)
哲学書のように難しすぎず、小説のようにワクワクしない。面白くないわけではないが、読むのが止められないほど面白いわけでもない。実益のあることは書いていないが、読むのが虚しくなるほど無益でもない。とはいえ毒にも薬にもならないことは間違いない。どこから読んでもよいし、読みたいものだけ読めばいい。長いもの、短いもの
、濃いもの、薄いもの、ふざけたもの、それなりにマジメなもの、いろいろな文章がならんでいて、そのファジーな揺らぎは南洋の島の浜辺に寄せては返す波のごとく、やがて読者をやすらかな眠りの国へと誘うであろう。
あなたがいま手に取っているのはそういう本である。

「まえがき」の段階からもう最高である。
この唯一無二な文章に惚れ惚れする。
自分は寝る前でなく朝、少しずつ読む予定だけれど、朝読書にも良さそう。心が落ち着きそう。


酒場御行『吸血鬼は目を閉じ、十字を切った』を読み始める。

吸血鬼を監視する組織に入ったヒバリという少女と、吸血鬼であるが組織の一員として働く青年・シキョウが、吸血鬼絡みで起きる事件に立ち向かっていく話。

『(略)私は人を孤独にする存在を悪と呼ぶ。(略)悪は人を簡単に孤独にする。』

そして孤独は、人を簡単に狂わせる。
最初の事件から、結構重くのしかかってきた。

自分は、孤独は決して悪いものではないと思う。けれど、故意に孤独に陥れようとするのは、確かに悪なのかもしれない。



5月24日(水)

小松原宏子『図書委員は泣かない』を読む。児童書。

図書委員であるホン子(あだ名)は、ある日靴がなくなって帰れなくなってしまった少年と出会い、親が迎えに来るまで本を読んであげることにする。
それをきっかけに、少年からまた同じ本を読んでほしいとせがまれ、気づけば毎日読み聞かせをすることになっていた。
毎日毎日同じ本ばかりを読み、これから先も続くと思っていた。だけど…。

といった内容で、「図書委員」というタイトルに条件反射で読んでみたら、結構深くていい話で驚いた。
良くないことをしたら、叱るのは勿論必要だけれど、何故を突き詰めることも大事なのかもしれないと思えた。
読んだ後、タイトルが急に意味を持ち、グッとくる本だった。



5月25日(木)

そろそろ髪を切らなくてはと覚悟を決め、ばっさりと切る。
すっきり。
毛量が多いせいか、梅雨になるともわもわとして大変なことになるから、梅雨前に出来て良かった。
気分爽快です。早くやれば良かった。(と、毎回思って、毎回早くやらない)
でも少し調子に乗って切りすぎた気もするが…まあ、まあ…。


酒場御行『吸血鬼は目を閉じ、十字を切った』を読む。

この世には悪がある。人を孤独に追い詰めるものを、悪と呼ぶ。
しかし悪は、悪であるとは限らない。美しい善人もまた、本人の自覚なしに人を孤独に追い込むことがある。そしてそれは多くの場合、許される。無垢と純心はこの世の何よりも尊ばれるもので、理性なき慈愛を、人は手放しに称賛するのだ。

この世の中、善も悪も実際は曖昧で、白黒つけられるものではない気がする。
傍から見れば善でも、違う視点から見たら悪だったりもする。
だからこそ常に視野を広げ、色々なことを知り、知識を持っていなくてはなあと感じる。

ただ、1つ言えるのは、人を傷つけることは何があっても、どんな理由でも、悪だということだと思う。
どんなに平和や正義をかざしても、善にはなりようがないと思う。決して。

それ以外は、本当に善も悪も難しい。
言葉や行動も、ある人にはいい事でも、ある人には嫌なことになる可能性もある。
だから慎重にならなくてはなあと、いつも思う。それでもきっと、傷つけてしまう時もある気がする。本当に難しい。
そして追い詰められた人も、手を伸ばした時に拒んで、同じ境遇の人しか受け入れないのではなく、少しでも握り返してくれたらなあと思うけれど、難しい…。
本当にこの世の中は、もどかしい…。



5月26日(金)

畑には、ヒトデが良いらしい。
匂いが特殊で、虫や動物避けになるのだとか。そしてミネラルだから土にもいい。最高かな?
けれどヒトデの粉末を検索したら、結構高い…。いいけど手が出せないなあ。残念…。

でも、それを聞いた父親が「海行ったらヒトデを拾えばいいのか!」と言い出した。
拾って干して粉末にするのか?自分で?そもそもヒトデって落ちてるのだろうか…。まあ、冗談だろうけど。


森見登美彦『太陽の乙女』を読む。

本の中で、幾度も内田百閒の名前が上がる。それほど好きなんだろうなぁ。
内田百閒の作品は1度も読んだことはないけれど、そこまでひょこひょこ登場されると、気になる。特に『東京日記』。

内田百閒の本をもう少し調べたら『恋文・恋日記』なるものもあった。気になる。
特に単行本の方がオシャレでいいな。
もっと調べたら『小川洋子と読む 内田百閒アンソロジー』という本も発見。き、気になる…。
調べるとキリなく出てくるから、そこで止める。
ああ、読みたい本がどんどん増えていく…。


酒場御行『吸血鬼は目を閉じ、十字を切った』を読み終わる。

「怒りは、悪いことではない。怒りとは『問い』なんだ」
(略)
「どうしてそんなことをしたのか、なんでこんな目に遭わなければいけないのか。そういった瞬間が、強い感情と共に訴えられたものが怒りだ。よく怒る人というのは問いを発せられる人ということだ。だから悪いことじゃない。まあ、感情のコントロール出来ないとは、また別の問題だが」
(略)
「だから人生というのは、不条理に対する怒り(問い)に答えてくれる人に会えることが重要になる。それは何も正論でなくてもいい。ただ、納得出来る真理が必要だ」

読み終わってみたら、結構な深い話でずしりときた。
登場人物たちは、それぞれに心の中で怒りという問いを持ち、答えを必死に追い求めていく。
「吸血鬼」という非現実的なものが現れど、どこまでも現実的で、人としての問題が多く描かれていた。

もう終始ひりひりとさせられた。最後までひりひりさせられて、現実を突きつけられているようでもあった。だからか、好みが別れる作品でもあるかもしれない。
個人的には好きだし、もっと知名度があっても良さそうだけれどなと思うけど…。うーん、こういう系は難しいのかな…。
もっと広まってほしいけどなあ。

何よりもこの本は、キャラクターが魅力的だった。特にヒバリが個人的に良く、ヒバリと相棒のシキョウのやりとりが堪らなかった。面白い。全体的にシリアスだけど、合間に入る2人の会話がコミカルで和む。そしてこの緩急がまた上手い。

ああ、埋もれないで残ってほしいなあ。そう、思える作品だった。


国民には厳しいけど、身内には甘々らしい。なるへそ。



5月27日(土)


パクチーの花が咲いた(真ん中)。結構可愛い。
でも匂いが凄いパクチー臭。

パクチー、嫌いではないけど、凄い好きなわけでもないから、あまり食べないけれど、毎年枯れて種が零れて大量に出てくる。毎年持て余している。
そして今年もそのまま放ったらかしにしているから、きっと枯れて種が溢れて、来年も大量に発生して持て余すんだろうなあ。

そういえばパクチーの種ってコリアンダーなんだよな。
1回取った気がするけど、使い道が分からなくてこれまた持て余し状態。
宝の持ち腐れ感が否めない。
今度検索してみよう。


嵐山光三郎『追悼の達人』を読む。
「尾崎紅葉」編を読む。

(略)代表作『婦系図』は、紅葉への恨みが作品となった。『婦系図』で「俺を捨てるか女をすてるか、さあどうだ」というシーンは、鏡花のせいいっぱいの紅葉批判である。紅葉への絶賛からはいい小説は生まれず、鏡花は、紅葉への暗黙の復讐追悼として『婦系図』を書いた。

やはり、信頼はあり続けても、盲目的ではなかったんだなあ。批判もしてたのか。密かにだけど。
無性に『婦系図』が読んでみたくなった。これを分かった上で読む『婦系図』は、普通で読むよりもきっと面白いだろうな。

そして泉鏡花は、褒められるよりも叱られる方が伸びる人だったんだなあ。


間部香代『切手デザイナーの仕事〜日本郵便 切手・葉書室より〜』を読む。

8人しかいない切手デザイナーの、それぞれの仕事や想い、手掛けた切手や、そして切手がどうやって出来るのかについて書かれた本。

切手デザイナーなる仕事があるのも初めて知って驚いたが、何よりもたった8人しかいないのには驚愕した。

自分にとってはあまり切手は身近なものではなく、海外の切手は素敵なものがあって種類もあるなと思えど、日本の切手がここまで幅広く、毎年たくさんの種類が出ていると知らなかった。
そして、8人の切手デザイナーが手掛けた切手は、どれもそれぞれに味や個性があって、見ていて面白かった。

日本らしい和のようなものや、キャラクターもの、キラキラしたもの、四角ではないもの、絵ではなく写真のもの、華やかなもの、シンプルなもの、レトロなもの、そして反対に個性をなくしたポピュラーなものまで、様々で、その種類の豊富さに圧巻した。

読んだ後、無性に切手を集めたくなった。
収集癖のある自分としては、火を灯された気分。
滅多に行かないけれど、今度郵便局に行って見てみようかな。



5月28日(日)

ああ、また素晴らしい記事を見つけてしまった。(懲りずに)

SUPER BEAVERのボーカルである渋谷龍太さんの連載エッセイ「吹けば飛ぶよな男なら」。

『東京リベンジャーズ』の実写映画の主題歌を歌っていたことで存在を知り、最初はもろにロックな見た目から、少し近寄り難いイメージがあった。
けれど音楽番組やバラエティに出ているのを見て、話をよくよく聞くと、言葉が凄くしっかりしているのに気づき、そのギャップに興味を惹かれた。
苦労してきたのだろうか、と伺えそうな言葉選びに、もっと知りたいと思った。
そうして巡りあったのが「吹けば飛ぶよな男なら」。

ダ・ヴィンチで月1で連載しているようで、何となしに第1回を読んだら、その文章運びの上手さと思慮深さに、完全に虜になってしまった。
この人、物事を凄くよく考えているんだろうなという感じで、少しだけさだまさしみを感じた。
やはり見た目で判断してはいけないと、反省。

1回目は(というか、まだ1回目しか読んでいないのだけれど)、相手には悪気はなく、発端は自分の善意であることについて。
なのだが、まあ面白い。
自分も似たような事態に会うから、余計に分かる分かると興味深く読めた。

深い話であれど、砕けた感じもありつつ、あえて重くしないようにしているところがまた良い。
しかも1回目からこれである。今23回まで出ているから、後22ある。嬉しい。
でも目が光に弱い自分には、続けて読むのは少し辛い…。と思っていたいたら、本が出ていた。有難い
絶対買おうと決意。

そういえば渋谷さん『東京リベンジャーズ』の実写版で、春千夜三途役とか良さそうな気がすると密かに思っているのだが、自分だけだろうか。髪の長さとか丁度良い気が。(そこ?)
ただ、三途が出てくるまでやるか分からないけど…。彼が何処で出てくるか知らないけど、相当先だよなあ。


嵐山光三郎『追悼の達人』を読む。
「尾崎紅葉」編を読みおわる。

尾崎紅葉は、弟子たちに愛されていたんだなということが凄くよく伺えた。
そして弟子の中でも泉鏡花は特別で、尾崎紅葉が彼を大切にしていたことが、ひしひしと伝わってきた。
色々ありつつも、信頼する2人の関係性がとても良いなと改めて思った。

それにしても読んでみて、やはり『金色夜叉』を読んでみたくなった。何度も挑戦しようとは思いつつ、泉鏡花で躓いているからと、しり込みしていつも先延ばし状態。
今こそは…とは思うけど…でもやはり後5年くらいは必要かなあ…。うーん。



最近、noteの調子が悪い。固まって見れなかったりする。
自分の端末が悪いのかなあ。でも他は絶好調なんだけどな…。うーん。
この季節、自分もガタがきてくるし…。まあ、そもそも良い時の方が少ないのだけど。
姿が見えなくなったら、そういうことです。(一応)

少しどうでもいいことを書きすぎたかな…。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
ではでは。


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