檸檬読書日記 俳句と遊び、モネには枠を、詩は燃えるように生きた証。 9月9日-9月15日
9月9日(月)
先週種を蒔いたキュウリが、もう芽を出した!は、早い…。やはり暑いと早いんだなあ。感動。
今キュウリがないから、この調子でぐんぐん大きくなってほしい。
早く食べたいなぁ、キュウリ。味噌マヨで食べるキュウリがたまらなくたまらないんだよなあ。くぅ、食べたい。
『MONKEY』vol.32「いきものたち」を読む。
動物に関する短編などが収録されている。動物というよりかは、変わった生き物が多かったかも。
個人的には、文よりも長場雄さんの犬たちの絵に魅力を感じた。モノクロでシンプル。少ない線で散歩する犬たちを見事にとらえていた。
海外の子どもの絵のような感じもある、味のある絵がとてもよかった。こんなポストカードがほしい。
後は、少し前に読んだダークな絵本。ジョン・クラッセン『ドクロ』に関するインタビューも興味深かった。
この方のダークな色合いと雰囲気が好きで、どことなくエドワード・ゴーリーと似た系統な気がするなと思っていたら、やはりこの方もゴーリーが好きで影響を受けていたようだ。やはりか。
なるほど。自分も「静かな日常」が好きだからこんなにも惹かれるのだろうか。そこに死というスパイスが加わる。それは確かに面白くなるよなあ。
児童書で「死」を扱うものは凄く珍しい。でも、もっと増えてもいいのではないかとクラッセンはいう。子どもに、闇と死を見せてもいいのではないかと。
年齢関係なく、死というものを知っておく、身近に感じておく、というのはきっと大事なことなんだろうなあ。生きている以上、死は必ずついてくるものだから。
『アポリネール詩集』を読み始める。
動物詩から始まる。
面白い。
動物詩は詩という感じはないけれど(詩の何を分かってるんだという感じだけれど)、視点、着目点が興味深い。
9月10日(火)
シンプルあんみつ。
自家製杏のシロップ煮に、白玉、寒天、餡子は市販。それに自家製黒蜜をたらっと。
なんだかんだシンプルも美味しい。
杏の酸味が良い感じ。
ミシェル・ベイヴァー「クロニクル」シリーズの最新巻が出ている。うーむ、このシリーズ凄く好きなんだけれど、児童書ながらかなり過酷なんだよなあ…。覚悟を決めてからでなければ読めない。だから今から準備しておこうかな。覚悟の、準備?
畑に雑草が…。やらねばやらねばと思いつつ、暑さがおさまらなくてなかなか…。もう少し涼しくなってから頑張ろう。
雑草は諦めて、モロヘイヤ、紫蘇、赤紫蘇、葱、空芯菜、ニラ、残りカストマト、を収穫。
それだけでもヘロヘロ。暑さが堪えるなあ。
そういえば雑草もそうだけれど、ジャガイモもまだ掘り残しがあるんだよなあ…。これも涼しくなってからだな。
9月11日(水)
また夏が戻ってきた。なんだこの異常な暑さ…。
でも風は秋なんだよなあ。暑いは暑いけど、夏よりはマシな気が、する、ような。
小林恭二『俳句という遊び -句会の空間-』を読む。
先日この方の『短歌パラダイス』を読んで、とても良かったから読んでみた。
前回は短歌の勝負で、今回は俳句の勝負。
短歌の時の熱を求めて読んだのだけれど、今回の俳句は熱さというものはなく、引き締まった粛然な感じがあった。
それもチーム戦ではなく、1人の戦いというのもあるかもしれない。テーマごとに全員が1句出して、投票したり減点されたりして、総合点で決まっていく。(おそらく)
ただ短歌の時と違い、著者が俳句の知識があるからか説明が知っている人解説で、よく分からない点も多く(自分の頭が弱いせいもあるだろうけれど)、残念ながらあまり入り込めなかった…。特に減点が何を持ってなのか…。
この本は、ある程度の知識があった方が興味深く読めたかもしれない。出直します。
後は、1句1句に対しての意見や批評がなかったのも、少し残念ではあった。(著者の解説はあったけれど)短歌の時は結構飛び交っていたから、それを期待していただけに…。
分からない中でも、自分が気に入ったものを1句。
あるある。
本好きとしては刺さる1句。それ抜きにしても結構良いと思うのだけれど、ある事情から減点を食らっていた残念な句。可哀想ともいえる。
でも自分はかなり推します。
んー、やはり自分の俳句の知識のなさ、理解の低さ要因はかなり大きいなあ。この著者のもう1冊『俳句の愉しみ:句会の醍醐味』も読みたかったけれど、もう少し勉強して理解を深めてからにしよう。
『アポリネール詩集』を読む。
「わたしは残る」がずしりと来る。重く言葉が体内に残っていく。
ハワイアンズがアメリカに買収されるのかあ。このハワイも取られてしまうのか。アメリカはハワイを取るのが好きなのかな。
日本はアメリカになるのか中国になるのかロシアになるのか…。どれになっても暗澹。どの国も自国民に対してですら厳しいもんなあ。なのに他の国の人となったら…。うーん、いつまでも日本は日本のままでいてほしいなあ。
自分に出来ることとはなんだろう。あまりにも小さくて。めげそう。それでも出来ることをしなくてはだよなあ。
9月12日(木)
家に人が来たから、今日は食事を少し豪華に。
ひつまぶし!出汁を茅野だしにしたら、もう最高だった。良い味。下には紫蘇と胡麻をパラパラと。紫蘇が良い仕事をしていた。
脇は、我が家のモロヘイヤとオクラ、それにもずく(味なし)にポン酢で味付けしたやつに、胡麻豆腐。後はシャインマスカットと巨峰。
食後のデザートは、あんみつ。
寒天と黒蜜と栗の甘露煮は自家製。それに餡子とアイスクリームトッピング。間違いなしの美味しさ。
口直しは、お茶(番茶)と梅干し。
梅干しは今年作った、烏龍梅干。あまり烏龍の匂いはせず、味もほんのりあるのかなあという程度だけれど、これがまた美味しい。初めて作ったけれど、大成功だった。まろやかな甘みがあって、ご飯と共にというよりかは、そのまま食べるデザートのような感じがある。後は料理に使うのとかも良さそう。
どうなるか分からなかったから少量しか作らなかったけれど、来年はたくさん作ろう。決意。
9月13日(金)
『アポリネール詩集』を読み終わる。
乙女チックだなあ。
「僕」という部分を「私」に、「そなた」を「あなた」に変えても良さそう。女性視点で、言葉も柔らかく変えてもしっくりくる気がする。
もしもあなたが望むなら
あげましょう
朝を 私の陽気な朝を
そしてあなたの好きな
私の明るい頭髪(かみのけ)を
青みある金いろの眼を
もしもあなたが望むなら
あげましょう
日向で朝が目ざめるとき
聞えるもの音のすべてを
(略)
やがて来るであろう夕を
私のさびしい心の涙の夕を
そして小さな私の手を
そしてあなたの心のそば近く
おいてほしい
この心を
個人的にはこっちの方が…。なんてね。
全体的にフランス・パリらしさを感じた。パリの風が吹き、風景が浮かんでくるようだった。
まあ、パリに住んでいたのだから当然といえば当然なのだけれど…。
芸術家ならではな詩だなと感じた。
『クロード・モネ 旅のための作品集』をパラパラ見る。
モネの作品を収めた本を欲しいと思い、これまで何冊も見てきたけれど、未だにこれといったものに出会えていない。
モネの作品が好きで、美術館で実物を見る度に身近に置きたいと思う。けれど何故か本という形で見ると少し違うという感覚になる。好きなはずなのに。
ただ、ポストカードの形だと実物に似た感動を感じる。
それは何故だろうかと、ずっと不思議に思っていた。けれど、ようやく分かった気がする。モネの絵に、白い枠が似合わないのだ。
モネの絵は、基本的に淡い色彩と淡い輪郭で描かれたものが多い。全体的に淡い印象だから、枠が白いと溶けてしまってぼんやりとした感じになってしまう。だから本で見ると、ピンと来なかったのかなと思った。
そう考えると、枠、額縁ってとても大事はものだったのだなあと、改めて思わされた。素晴らしい額縁があってこそ、より絵が引き立つ。時には額縁も絵の1部のように、一体となっているものまである気がする。
モネだけにあらず、他の作品であっても、この額縁凄いなあと、絵よりも感動させられることもある。だから額縁は絵には欠かせない、モネの絵には特に重要なものだったのだなあと思ったり。
つまりはモネの絵は、本よりも実際に見て心に留めるか、ポストカードで地道に集めるか、だな。
そういえば、また上野でモネ展がやるんだよなあ。上野はモネが好きなのかな。
既にチケット申し込みしているから、行く予定。楽しみ。ポストカード買おう。
9月14日(土)
買うかは未定ながらも、最近発売の安部公房『死に急ぐ鯨たち・もぐら日記』を探しているのだけれど、なかなか見つからぬ。人気で売り切れているのか、冊数が少なかったのか…。うーむ。まあ、気長に探そう。
9月15日(日)
畑やりたいとは思いつつ、あまりの暑さに心が挫ける…。今のところ、雑草はやらなきゃとかはあれど、収穫はそこまでないから、まだそこまで絶対にやらねばはないとう訳ではない。それでも少しずつやりたかったなあ。
そもそも今種蒔どうなのだろう。暑すぎてやられるか、虫がまだ活発でやられるかしそう。しばらく様子見だな。
いやぁ、植物を育てるって、本当に難しい。特に日々変わって今までとは違ってくるから、本も知識も頼れなくて…。自分で見極められるようにならねば…。
『村山槐多全集』を読む。
ようやく詩の部分を読み終えた。これが最後の詩。
最後まで真っ赤だった。
内面から出る赤い血、燃えるような赤。そして顔に浮かぶ紫、そして外の背景を彩る紫。それがまた特徴的で、彼の個性であり魅力でもある。外では死が迫り、中では燃えるように生を発する。それが死を抱えつつも抗い生きようとする生命力に感じた。何処までも、生の匂いを感じた。
『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』を読む。
「徳田一穂と川端康成」編を読み終わる。
徳田秋声の話。
正直なところ、徳田秋声の小説を読んだことがなく、人柄も良く分からない身だから、そうなのかあという浅い感想しか浮かばない。この方の短編の話題が色々出ているから、知っていたらもっと興味深かったのだろうなあと、少し残念。
川端康成が『爛』が1番欠点が少ないと書いてあったから、読んでみようかなあ。田山花袋など4人が推した『足迹』も、それだけの人が良いというから気になるところではあるけど。
そういえば、徳田秋声は文壇の人や小説の悪口を言わなかったらしく、そのことに対して川端康成が
と言っていて、少し笑った。それだけ皆悪口を言っていたのだろうなあ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様の未来が明るいものであり続けますよう、祈っております。
ではでは。
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