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じぶんを癒すための文章

【「マウントとりたくてものごとをフラットにみられないにんげんくん」について

さて、なんでこんなことを書くのか。そのこたえはこの日であった「この人」にしかない。にんげんにはみんなバックグラウンドというものがある。

こんなこと知っている人が大半だと思っているのだけれど、みんなそれなりにいろんな経験をして生きてきている。それなのに、なんでかすこし人をみくだしてみたりする、それは自分が優位に立つためではあるのだけれど…

わたしはその理不尽のなかにはいりたくはない。その理論のなかに存在していたくはない。理不尽に足を突っ込むとろくなことはないのである。そして、それは他人のつくった虚構の世界で生きることと同義なのである。

じぶんの世界でいきていくこと、じぶんの世界観をもちつづけること。それはとてもかんたんなようでとてもむずかしい。それをよしとしないシステムがあるからだ。にんげんはシステムによって動いている、動かされている。なぞの”常識”という名の都合のいい号令に従って生きている人ばかりなのである。それはとても刹那的でとても素敵な世界観だとはいいがたい。しかしそれは幻の世界ではもとめられているのである。それが虚構の世界だ。おつかれさま…

そうして、そこをとおりすぎていくわたしは、ただ、ただ通り過ぎていくことしかでき得ないのである。だれも、じぶんから出てこようとはしないその世界の横をただとおりすぎていく。なにもかもおいて、通り過ぎていく。

なにが常識かなどとうたがいもせずいきていけることがなんとむごいことか。教育システムのせいなのかはたまた親のせいなのか、だれにもはんだんすることのできない得体のしれない大きなふくらみは、いまもあなたのこころにすみつづけている。そしてその精神をそだてているのはじぶんじしんなのである。えらそうな人、だれかをおとしいれようとする人、そんな気なしにいたとしても、それらは響き合っている。もちろんだれかにとってわたしもそうなのかもしれない、そうなのだといわれれば受け流すことしかできないが、すくなくとも彼らはわたしにとってとても無慈悲な存在である。

どうあろうとも、自分がどうあるかしか選択することはできない。

こころにあるかみさまを信じていきていくしかないのである。かみさまは、ちいさなお花であり自然であり愛するべき存在なのだ。わたしはなにかをかみさまとしてみたり無宗教だけれど、こころのなかにたいせつにおもうことはころんとひとつ、ちゃんとよこたわっている。どっかりどきませぬよと言っている。それはとてもパーソナルな部分であるし、だれかに知らせるひつようもなく、ただそこに吹くかぜのようにただただそこでながれつづけている。源泉とでもいうのかずっとずっとあたためみつめみがいてきたようなきがする、そのこころがいうのだ「そのままでいきろ」と。だからそれにしたがう。それにしたがわなくなったとき死ぬんだと思う。わからないけれどそれくらいの覚悟でいきているのだ

ひとのバックグラウンドはそれぞれ異なる。そのすべてをしることは決してできない。そしてそれは表情や佇まいにあらわれることもなく、しずかによこたわっている。じぶんからあからさまにすることもなく、ただしんとくるしんでいることもあるのである。それをくみとりもせずに発することばをわたしはみのがすことができない。それはすべて態度に言葉にこころにかがみのようにうつしだされてしまう。じぶんだけがたいへんだとおもって人と接してしまうとき人は傲慢になっている。ほんとうにくるしいときはそれでいい。でもただ怒りや感情によってはきだされたことばは自然とわかってしまう。それはあなたの固定観念であり思い込みだというようなこともそこらにたくさん転がっている。きょうもきっところがっている。しかし、それをかきわけてでもすすみたい道がある。くるしいおもいをしているのに、それに目もくれず耳も澄まさずにじぶんのこえをきけという”あなた”はとても残酷だ。

”あなた”はもちろんこれをよんでいるあなたではない。でもなにかかんじることがあったらそれをかんじてほしいともおもう。

じぶんの歩んできた道をふりかえる。

そうして、ひと(他人)のみちもみつめている。

どんな環境でがんばっていたのかを”あなた”は本当に知ることができているだろうか。いまひとつ考えてみて欲しい。そして尊重するこころをわすれずにもっていてもらえたらさいわいである。それは、偏見ではなく平等で俯瞰的で的確でじゆうなせかいだろうとおもう。そこからみんなしゅっぱつしていたはずだ。みんなはじめはそこにいたはずだったのだ。そう思いを馳せながら、思いに身をよせてあたまのてっぺんまでもぐっていくといい。

ひとをフラットにみつめるとはそういうことなのだと、私は感じている。

きょうのわたしはそうかんじている。

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