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#日記

弱く、もっと弱く

 7割箱に詰められたくらしが残った3割のくらしを際立たせている6月の部屋でこれを書いている。旅に出たら旅に出る前のことは二度と書けなくなるから。  2018年3月に越してきて、京都でのくらしは4ヶ月の途中下車もあったが5年になる。大阪にもなんだかんだ5年くらいいたので不思議な気持ちだ。そうか、実家を出てから10年なのか。この間に暮らした家は実家以外3つ。置かせてもらった職場は6社。2010年の終わりから本づくりを始めて12年と半年、今月はじめてわかりやすく躓いた。結構頑張っ

手を伸ばせば届きそうな幸せこそ限りなく遠い

晴れたあたたかい春の午後、満開の桜の下で、「死ぬなら今だ」とはっきり思った。別に生きていたくないわけではない。悲しいことも苦しいこともない。ただ、もし自分の命が終わるのだとしたら、この景色の中で死ぬのが良いなと思った。だって最高じゃん。こんな絶景の中で笑って人生の幕を閉じることができたなら、まさに卒業します!って感じじゃん。久しぶりに、たしかな望みを持った。 春に死にたくなる人が多いと聞いたことがある。五月病なんかとも関係があるのかもしれないが、詳しいことはわからない。春の

素敵さを、お手本にして。

こんな風に書いたら、随分暗いなぁと思われてしまうかもしれないけれど。昔から、誰かと過ごした後はいつもちょっと切ないような気持ちになります。もっと一緒にいたい恋しさとか、楽しい時間が終わった寂しさとはまた別の切ない気持ち。この気持ちについて話すのは、今日が初めてです。話してみたら意外と「わかるわかる」ってなるのかもしれないし、やっぱり「どうして?」って首を傾げられるかもしれませんね。 この日記を読んでくれている皆さんは、どうでしょうか。 私はそういう気持ちをこっそり抱えたま

父親(またはパートナー)の育児参加のツイートから考えたこと

ツイートをしたら、ほんとうに色々な意見が寄せられてびっくりしている。 もともとは遠い知人(男)の「男は子が生まれたって、数年はなんにもできることがない。そもそも妊娠出産を経験する女と違って、実感なんか湧かないから、育児ができなくても仕方ないんだよ」的な投げやりな発言について悶々と考えているうちに、「むしろ10ヶ月もあるんだから、その間、勉強することくらいできるのでは…」と思ったことがきっかけだった。もちろん勉強なんか役に立たなかったりするだろうし、勉強すれば完璧!という試験

うれしいって言っていい

今日はじめて、職場で「戦争」という言葉を聞いた。 絞られた声に言葉にならないものまでも聞いてしまったような気がして、エプロンをつけた自分のまま僅かに狼狽えた。 同じ不安をマスク越しに吸い込んでいる。その瞳でその指で同じかなしみにふれている。 本を読む、花に見惚れる、手紙を書く、歩いて出かける、人とぶつかり謝りあう、手紙を受け取る、あたたかいふとんの中で泣く、すきなひとに会いにゆく、かなしみをすこし忘れる、友だちがいい絵を描いているのを見る、春をよろこぶ、よろこびながら詩を書く

これらはすべて大事なきれいごとである

「無題」 わたしのすきなひとが しあわせであるといい わたしをすきなひとが しあわせであるといい わたしのきらいなひとが しあわせであるといい わたしをきらいなひとが しあわせであるといい きれいごとのはんぶんくらいが そっくりそのまま しんじつであるといい 『えーえんとくちから』 笹井宏之 (ちくま文庫) より どうしてきれいごとだなんて言うのだろうと言葉の傍らで首を傾げていた。 わたしの背骨と呼べる本だけれど、背骨の骨のひとつひとつと話すことはおそらく一生

私には、私がいるから大丈夫

朝の満員電車で聴いた
 the pillowsの「funny bunny」が
 ここ最近の中で、何よりもエモかった。 満員電車で泣きそうになっている私。 これがドラマだったら、私が主演で視聴者が これまでの私の日々を見てくれているので 
一緒に泣いてくれる感動的なシーンになると思うんだけど、視聴者はいない。 だからひとりで噛み締める。 でもさ、こういう自分にしか分からない感動ってめちゃくちゃエモくないですか? 先日、会社を退職した。 詳細は以前の記事に書いてます ↓

下鴨納涼古本まつりに行ったけどなにも買わなかった。 往復の電車賃と珈琲代と入浴代のみの出費で今日を生きる。 だいぶ前にもらった玉ねぎと半月凍らせてた牛肉でつくったハヤシライスを、飽きもせず三食続けて食べた。 冷蔵庫が空っぽになってゆくのは気持ちが良いので、もう今後なにも食べずに生きていたい。 久々の銭湯、珍しく家族連れで賑わっていて、サウナでの会話を盗み聞きする。 「明日海行ったらあかんで、台風も来るしサメもおるし」「サメって溺れ死んだりせえへんの?」 お母さんは

弱いままでいい。

強がらなくていい。 弱いそのままで。。 弱いからすぐつぶされてしまう。 そうならないために。 補い方と休み方と、SOSを言える人を見つけておいたらいい。 勝ちとか負けとか本当はどうでもいいんだ。 そもそも戦う気持ちがないんんだから。 それなのに え、戦うの? えっえっ なぜか知らないうちに戦うことになっていて。武器も持たず構えもできないままに敗北して。そうやって自分自身をいっぱい傷つけてきたんだなぁ。 それでも周りは勝手に争おうとしてくる。 惨敗だよ? それでも打

人を憎まないと決める①

人を憎まないと決めた。 煙草をやめようと思ってやめたように、人を憎むことをもうしないと決めた。 「やさしいんだね」と言われた。やさしくはない。良い悪いじゃない。すでに答えが出ている問いとして置いておけば、その感情の前に立ったときに何も考えずに選ぶだけで済む。たったこれだけのことが今まで何度自分を踏み留まらせてくれたかわからない。これを「憎んでしまっても仕方ない」としておくと手当り次第に善悪の定規をへし折り、ありったけの感情を焚べて火柱のようになってしまう。もうそんな風に自分を

分断について書くことを選ぶ

オリンピック開催にもやもやするのは東京に住むひと働くひとが大事にされていないと感じるから。 でも日常に目を向けると自分の大事なものやひとを大事にしてくれないひとやことなんて溢れている。そうだ。友だちが不条理な目に遭っているとき、自分にできることなんてない。たとえ「ある」と言ってくれても、結局いつも「私自身が満足できること」はできない。満足できる基準がそれこそ綺麗事の範疇を出られないから、したいこと、できること、すべきことのギャップに何回も何回も飽きずに躓いて憤って悲しみ続ける

庭の眺め

同じことを長く続けていると、その庭の中でもすごく日当たりのいい場所といくら季節が巡れど一向にほの暗く淀む場所がわかってくる。自分が感ぜられる範囲はもちろん、きっと自分には思い描くこともできないくらい遠く、密やかなところまで「選んできたこと」は関わっている。それが選んできたもの、選び続けてきたもののほんとうの姿なんだと思う。こちらへ向けられた言葉なのだと思う。 私はその暗がりに花木を植えたかったけれど、どうにも難しい。 あかるくて気持ちいいところで小さな花々を愛でるたのしみと引

不安はどこにある?

空を見上げてその青さに吸い込まれそうになる感覚を 幸せだと思えたからまだわたしは大丈夫だと、確かめた。 不安なとき、ネガティブな情報を集めてしまうのはなぜだろう。 不安なときにすることは、不安を具体的にしてあげて、分かりやすい対処法を用意してあげること。 それなのに、なんとなく自分の不安が本当なのかをたしかめようとして、さらに不安に襲われてしまった。不安なんて目に見えないし、幻かもしれないのに。 わたしには、それらがたしかに存在するものに思えた。 不安。きっとこいつとは

下手でも苦手でも歌っていたい。

一人カラオケが楽しすぎて、もう毎日通いたいくらいには好きです。 毎週金曜日の仕事帰りに駆け込むカラオケボックスのオーナーさんに、 ついに常連さんとして認められてしまいました。 小学1年生のときに劇団四季のライオンキングを見てからというもの歌やダンスや表現に夢中で。 けれども何せ私は歌が決してうまいとは言えず、合唱部に入っていたときも大会メンバーに入れなかったりして、悲しい思いをしました。 それでも歌うことが、表現することが好きすぎる。どうしよう。 だからせめて歌い続け