かしえり

「 お も ろ 可 愛 い 日 常 」~ 写 真 と た だ の ひ と り ご と …

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「 お も ろ 可 愛 い 日 常 」~ 写 真 と た だ の ひ と り ご と ~Twitterもやってます🕊 https://mobile.twitter.com/riri___365

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間違えた道の先で、素敵な花に出逢えるかもしれない

分かってくれる人がいてほしいだなんて、 おこがましいのかな。 例えば、あの映画のあのシーンがグッとくるとか 例えば、あの曲のこの歌詞に泣けるとか。 自分と同じ人間なんていないと分かっているのに、どこか通じ合える人を心から求めてしまう夜がある。 たぶん私は、心の深い部分を分かってくれる人を常に求めているんだろうなぁ。 そしてそんな人はなかなかいないから、分かってくれる人が現れると軽率に好きになってしまう。 そういうとこ、ある。 心の深い部分というのは、 その人の本質を表

    • 大人になった私が、子供の頃の私を救いに行く

      つい最近、嬉し泣きをした。 止めようとしても止まらない。嗚咽するくらい泣いた。きっとこの涙は、子供の頃の私の涙だと思う。 個人的に2023年は奇跡の一年だった。 ずっと蓋をしてきた自分の過去と、自然に向き合う流れが次々と起こった感じ。 大人になってから出会った人達には、ほぼ誰にも話したことがないし、 話すつもりもなかったことなんだけど 私は4歳くらいから12年間くらい、 家族以外の人の前では声が出せなかった。 「場面緘黙症」という精神疾患(不安症の一種)で、 ひとことで

      • 私には、37兆個の応援団がいる

        二十歳の時に亡くなった同級生のことを、たまにふと思い出す。 彼は病気だった訳じゃなく、亡くなる前日までは普通に元気だったらしい。 でも翌日の朝、起きてこない彼を心配してご家族が様子を見に行ったら亡くなっていたらしい。 彼の心臓は、何の前触れもなく急に止まってしまったのだ。 心臓が明日も動くことは当たり前のことじゃないんだって、そのとき知った。 この身体が毎日問題なく動いてくれること、 きっと凄いことなのに、いつしか当たり前のことに感じてしまう。 でもよく考えたらさ、年

        • そもそも世の中に「陰キャ」も「陽キャ」も存在しないんじゃないかな

          「あの人、陰キャやったよな〜」 久々に大学時代の友人達と飲みに行ったんだけど、ある友達が他の同級生のことをこのように言っているのを聞いて、心に違和感を感じた。 そもそも世の中に「陰キャ」も「陽キャ」も存在しないんじゃないかなって思う。 みんな自分の中に「陰」と「陽」、どちらの要素も持っている。 たまたま自分に合う環境で、「陽」の自分が強く出たりすることもあるし、 自分に合わない人間関係や環境だったり、自分に対してマイナスの思い込みがあったりした場合、「陰」の要素が強く出

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        間違えた道の先で、素敵な花に出逢えるかもしれない

          ” 好きなように生きてもいい ”ってことを、うちら人間は忘れがち

          好きな映画に出会えたとき、私はスキップしたくなるほど嬉しくなる。 その物語の登場人物が心の中に住んでくれて 人生を応援してくれるような気がするからだ。 実際、普段生活してるなかで 好きな映画のワンシーンをふと思い出すことが わりとある。 セリフ、登場人物の生き方、 そういうのが心にじわっと広がる瞬間がある。 だから、好きな映画に出会えたということは 私にとって大切な親友のような存在に出会えたことと同じなのだ。 今とても嬉しい。 またそんな映画に出会えたから。 結局

          ” 好きなように生きてもいい ”ってことを、うちら人間は忘れがち

          何者かになるためじゃなく、ただ味わうために生まれてきた

          とにかく、あたたかいものが好き。 春とかホットコーヒーとか猫とかお風呂とか。 許されるならずっと日向ぼっこしてたいし、 はっぴいえんどの「風をあつめて」とか聴いてたい。 心があたたかくなる瞬間も好き。 誰かと心通じ合えた瞬間とか、思わずクスッと笑ってしまう時とか お酒飲みながら語り合えた夜とか。 「こんな素敵な季節に生まれてきてくれてありがとう」 友達がずっと前に言ってくれた言葉。 なんてあたたかい言葉なんだろう。 なんだか嬉しくて、誕生日のたびに思い出すし、ずっと心

          何者かになるためじゃなく、ただ味わうために生まれてきた

          ”今”を大事にしていると、”素敵な未来”は勝手にやってくる

          「人生のなかで1番幸せを感じるのは、ホッとしてる時間なんですよね。例えば時間帯で言うと、夜とか。曜日でいうと金曜日とか。」 私がそう話したら、 「ってことは、いつも緊張してたり、ホッとできない時間が多いってことですよね。」 と言われてハッとした。 そうかもしれない。そうだったのかもしれない。 思えば私は、ずっと不安だったような気がする。 見えない未来を心配したり、過去の嫌な経験を思い出しては苦しくなったり。 いつも何かに焦っていたし、 常にこのままじゃダメな気がし

          ”今”を大事にしていると、”素敵な未来”は勝手にやってくる

          まだ見ぬ運命の人が、今頃ソファーに寝っ転がってNetflixで映画見てるかもしれない

          クリスマスにこんな記事があってもいいんじゃないかと思って書いてみる。 先月、ちょっとワクワクすることがあった。 友達と遊んだ日のこと。 まず、当初から予定していたボウリングに行った後、カメラ持って街をお散歩しようということになった。 そんなとき、ボウリングのひとつ下の階に ミニシアターがあることを知り、 私はなぜだか気になって 「ちょっとここ寄って行かない?」と提案した。 そこは、こじんまりとしたミニシアター。 一通り映画のポスターを見て じゃあもう行こうか!とエレベ

          まだ見ぬ運命の人が、今頃ソファーに寝っ転がってNetflixで映画見てるかもしれない

          私は小松菜奈にはなれないけど、小松菜奈も私にはなれない

          私も菅田将暉に一途に愛されたかったなぁ。 でも小松菜奈ちゃんのことも大好きで、どっちも憧れの存在だったから2人の結婚はとても嬉しい。本当に。 なのに何だろう、この心がざわざわして落ち着かない感じは。そういえばこの感じ、星野源さんとガッキーが結婚したときにもあったな。 私はこの「嬉しいのに落ち着かない」という 不思議な感情が何なのかを突き詰めたくなった。 まず、この感情を「いい」「悪い」でカテゴリー分けすると、たぶん気分はあまりよくない。 ちょっと心が宙に浮いて落ち着かな

          私は小松菜奈にはなれないけど、小松菜奈も私にはなれない

          深夜のお酒よりも、朝のコーヒーを選べる自分でありたい

          友人:「セミって、土の中に7年間もいてるらしいで」 私:「えっ、7年間も土の中にいて
やっと地上に 出れたと思ったら1週間で死んじゃうってこと? 可哀想やなぁ」 友人:「いや、土の中でパーティーしてるんちゃう?」 7年間もパーティーしてるとか、むしろ幸せじゃね?となって急にハッピーな気持ちになった、いつかの夏の日。そんな友人との会話を、私はときどき思い出す。 もしかすると、人生を変えるのはこういう考え方なのかもしれない。 「選べる」ということを、案外忘れがちだ。 こ

          深夜のお酒よりも、朝のコーヒーを選べる自分でありたい

          私には、私がいるから大丈夫

          朝の満員電車で聴いた
 the pillowsの「funny bunny」が
 ここ最近の中で、何よりもエモかった。 満員電車で泣きそうになっている私。 これがドラマだったら、私が主演で視聴者が これまでの私の日々を見てくれているので 
一緒に泣いてくれる感動的なシーンになると思うんだけど、視聴者はいない。 だからひとりで噛み締める。 でもさ、こういう自分にしか分からない感動ってめちゃくちゃエモくないですか? 先日、会社を退職した。 詳細は以前の記事に書いてます ↓

          私には、私がいるから大丈夫

          笑って事後報告する人はみんな、孤独を乗り越えた人だと思う。

          近況を聞かれた時に、 自分では上手く言えないので もういっそのこと、私に起こった出来事を 全部あいみょんに歌にしてもらいたい。 そして、近況を聞かれた際に、 「これが今の私の心情なんよ」とか言って 楽曲を聴いてもらう形にしたい。 コロナで人と会えてなかったけど、今月ぐらいから少しずつ友達にも会うようになって 会えてなかった期間の出来事を話したりする機会が多くなったんですけどね、 個人的に、ここ数ヶ月でいろんなことがあって なかでも人生を変えるキッカケにもなった程の 辛い

          笑って事後報告する人はみんな、孤独を乗り越えた人だと思う。

          分かってもらえるとは思わないけれど、誰かに分かってもらえたら、救われるような気がする

          " 今日も上手く生きられなかったなぁ " 疲れた帰り道、私はいつも 鈴木さん元気かなぁ?って思う。 鈴木さんとは、きっともう二度と会うことは ない。連絡先も知らないし。 だけどあの日の帰り道にした会話は、 これから先もずっと覚えているような気がする。 鈴木さんは元職場の人。去年の秋頃に退職した。 いつも周りをよく見ていて、気が利いて明るくて、楽しそうに仕事をしてるように見えていた ので、退職するって知ったときは驚いた。 ある日、たまたま帰るタイミングが 同じに

          分かってもらえるとは思わないけれど、誰かに分かってもらえたら、救われるような気がする

          転んでも起き上がる真っ直ぐな人が、一番かっこいいと思う

          この雨が、すべてを洗い流してくれないかな 雨音を聞きながら、この記事を書いている。 雨音を聞くとなぜか安心する。 なんかこう、すべてを洗い流してくれるような 気がするから。 例えば、この世界に溢れているような くだらない見栄とか劣等感とか、 (SNSを見ていると、幸せになることよりも 幸せに見られたい人が多いのだなぁと思うし、 その気持ちは分からなくもないからしんどい) 過去のトラウマとか、情けない自分とか、 あとついでにコロナとかいうやつも洗い流してほしい。 最近

          転んでも起き上がる真っ直ぐな人が、一番かっこいいと思う

          結局、人生ってただの思い出作りなのかもしれないなぁ

          昔から不思議に思っていたことがある。 例えば、30歳で亡くなった人に対して 「まだまだ若いのに、、人生これからなのに」 とよく言うくせに、 生きてる30歳に対しては 「若く見えたけど、結構(年齢)いってるんだね!」とか「もう若くないんだから」とか言う人たち、なんでなんだろう? 死ぬには若いけど、生きるにしては老いてるってことなんだろうか? 純粋にずっと不思議だった。 そもそも若いとか若くないとかの概念は 誰かと比べたときに生じるんだと思う。 自分より年下の人を見ると

          結局、人生ってただの思い出作りなのかもしれないなぁ

          ” 上手く生きられない ”っていうのが ” 生きてる ”ってことだ

          人間向いてないなぁと思うことが何度もあるので、前世は猫だったのかもしれない。 大晦日に何言ってんの?って思われるかもしれませんね。 でも大晦日だからこそ、したい話があります。 人間向いてそうな人って、多分前世も人間だったと思うんですよね。 一度人間を経験してるからなのか、なんかこう、要領が良いというか。 そういう人いるじゃないですか。集団の場にすぐ馴染めたり、仕事を効率よくこなしたり、 友達がたくさんいてインスタのストーリーとかでいつも誰かと遊んでたり あとはなんだ

          ” 上手く生きられない ”っていうのが ” 生きてる ”ってことだ