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父親(またはパートナー)の育児参加のツイートから考えたこと

ツイートをしたら、ほんとうに色々な意見が寄せられてびっくりしている。

もともとは遠い知人(男)の「男は子が生まれたって、数年はなんにもできることがない。そもそも妊娠出産を経験する女と違って、実感なんか湧かないから、育児ができなくても仕方ないんだよ」的な投げやりな発言について悶々と考えているうちに、「むしろ10ヶ月もあるんだから、その間、勉強することくらいできるのでは…」と思ったことがきっかけだった。もちろん勉強なんか役に立たなかったりするだろうし、勉強すれば完璧!という試験勉強とは違うけど、「私が体を使って子を育てるその間、夫は夫で、自分にできることを、できる限りでしてくれた」というだけで、頼もしい気持ちになることもあるんじゃないか、と思うのだ。(ジェンダーにもっと考慮して「妊婦のパートナー」と書くべきでは?というご指摘は受け止めつつ、今回は不勉強な夫に向けての厳しめな独り言のつもりだったので、考慮不足に感じられたなら申し訳ない…)。(また「男は実感湧かないんだから仕方ないだろ」に対する反論としてのツイートだったので、その前提を無しに広まって誤解を招いた部分もあると思う)。


で、それに対する反応の嵐よ。

やってます!という男性、そのとおりですねと反省する男性、「ほんと。なんでしてくれないの?」という妊婦、「そうして欲しかった」という元妊婦。…自分の夫が何もしてくれない(してくれなかった)と嘆く妻たちのツイートが山のように届き、その現状に唖然としてしまった。夫は役に立たない、クソ夫、旦那はATM、あいつは何もしない…。そんな言葉を見ると、こんなにまで諦めてしまった母たちがいることに切なくなる。

一方で、男性ユーザーによる「妻が妊娠したら、家のことをするよりも、養うために必死で働くべきだと思う」「女は休んで、稼いでもないんだから、働くのが当たり前」という意見もいくつか見受けられて戸惑った。経済事情は家庭によって異なるし、家庭内で話し合って役割分担をした後の発言であればなんの問題ないけれど、妻は本当に、妊娠中や育児中にサポートをするよりも働いて稼いでほしいと願ったのだろうか?妻が何を望んでいるのか、きちんと話をしたことはあるだろうか?もしかして性別的な役割にとらわれて、するべきことを一人で決めてしまっているパターンもあるのではないかと思うと、その重荷を想像して切なくなりつつ、夫妻のすれ違いにも頭を抱えてしまう。

それから、なかには「女性はお腹に子供がいるんだから、そりゃ実感があって、生まれる前から愛情が湧いて、男性よりも10ヶ月前から”現場”にいるようなもんなんだから差があって当然」という認識が、意外と多かったこともびっくりした。妊婦と言っても一概には言えないけれど、私自身は妊娠してもなかなか実感はわかなかったし、最初はつわりでただただ体調不良に苦しみ、お腹が大きくなってからは愛情よりも「奇妙さ」のほうが上回って、困惑し続けていた。お腹の中のことは当然見えるはずもないし、もっと言えば生まれたあとどうなるかなんて全く想像もつかない。だけど、その日は来るから、調べる。人によっては働きながら(わたしは出産前日まで働いた)、隙間時間をつかい、夜な夜な調べまくる。そういう「努力」としか言えない時間を10ヶ月(ほんとはもっと短い)積み重ねて、すこしずつエコー写真で見る以上の実感を手にしていき、時には”現場力”なるものをすこーーーしだけ手にしているだけであって、妊娠すれば自動的に手にできるものではない……ということを、知らない人も多いのだろう。妊娠しただけ、産んだだけではママになれない。男性や妊娠していない人にとっては、なかなか妊婦の心の変化について知る機会がないことかもしれないけど、書いているのでよかったら読んでください。(参考:お腹が大きくない妊婦たちに抱擁を(妊娠7週/つわり  たとえば男が妊娠できるとして(妊娠9週/つわり  母体になる私(妊娠15週/身体の変化 すべてはわたしの手の外に(出産前夜)

生物学的な(本能的な)理由を述べるリプライも多かった。たしかにホルモンの分泌の有無も、性差による得意分野の傾向も、事実としてあるだろうが、それはあくまで生物学的な話。たとえば「本能的には、男は種を保存するため、浮気する生き物」であったとしても、長い長い時間をかけて社会的な規範がうまれ、日本の文化的に「浮気はまずいよね」という風潮が生まれてからは、本能を理性で制することができる男性もぜっったいに増えているはずで(全員ではない)、むしろそうやって理性的に行動できる男性に向かって「男は浮気するから」と決めつけてかかるとガッカリするはず。女性も同じ。「女はホルモンで感情的になる」のが生物学的なものだとして、実際にそういう人も多いのも事実だし、たしかに月1の生理の時にはめちゃくちゃにイライラするけれど、それをむやみに人にぶつけてはいけないことくらいわかっているから、自分で自分の機嫌を取るように努力する人たちだって多くいる(全員ではない)。それらと同じように、育児においても本能的に不利な点がもし本当にあったとしても、「この性別では無理」で済ませるのはきっと違う。(決して、妊娠出産をした女性とすべて同じレベルで行え、という話ではなく、だから諦めないで一緒に頑張ろう、という話です)。


ちなみに、我が家のことで言えば。
たぶん我が家はかなり柔軟なほうだろうと思う。それはおそらく夫の性質と二人の仕事柄(フリーランス)によるものが大きく、夫はもともと考え方が柔軟な人なので、性別役割にとらわれることなく、その都度いまの二人がどうあるべきか?を検討してくれるし、私自身もちいさなモヤモヤも放っておけない性格(だし、放っておかないことが夫婦のためだと信じている)ので、こまめに話し合って、自分たちなりに暮らしをカスタムして来た。
時にうまくいかず腹を立てたこともあったし、この先のことまではわからないけど、ここ数ヶ月のことで言えば、わたしは心穏やかに育児と仕事の両方を楽しめている。出産直後は夫の仕事が忙しく、深夜まで夫が帰らない日もあったが、昨年末の3ヶ月間は夫は仕事を一時的に休業して、家事のほとんどを担って日中は育児をしていたし、今年に入ってからは週の半々ずつを互いの仕事日としている。仕事も家庭のことも本当に状況に応じて2人で決めて、2人なりに営んでいる、というかんじ。夫の休業によって家庭の収入が減っても、今の私たちにはこの方法がベストだと判断した。私の両親は、父が銀行員で母が専業主婦という一世代前のオーソドックスな子育てスタイルだったから、私自身にも無意識的に眠るジェンダー的な役割があった(ある)けれど、夫と話すたびにそれが溶けていく。と同時に、超柔軟な夫でも、時に眠るジェンダー観が顔を出す。だから、話す.そうやって暮らしている。

と、こんなに恵まれた環境にいても。

それでもやっぱり育児は大変だなーと思う日がある。望んだ妊娠だったし、育児が花畑ハッピーライフだとは思っていない。でも圧倒的な幸せと並行して、事実としてたしかに「大変だな〜」と思う。

だからこそ、当たり前のように性別役割の上に立ち、一人で(強制的に)育児を担わされている母たちや、無責任な夫の発言・行動なんかを見ると、どれほどの苦労がそこに生まれているのだろうかと途方もない思いになる。

最近では、育児中の女性でも働きやすい会社作りが謳われて、共働き世代が主流になってきている。とはいえ、妊娠中や産前産後の、パートナー側の意識改革はまだあんまり進んでいない。仕事が好きで、責任ある仕事を担い、それでも妊娠出産をすることで休まざるを得なくなる女性だっている。仕事を辞めることになった女性の葛藤もある。役割に納得した女性でも、幼い頃から育児について教わってきたわけでもない素人だから、育っていく命を前にしてだんだんと不安になってくる。その時、当たり前のように「俺は忙しいから、仕事休めるわけないじゃん。仕事してないんだからやってよ」と言われる時の、不平等さや孤独を考えたことはあるんだろうか。子を産むとはそう言うことだ、と言い切ってしまったら、誰も産まなくなる。

産休明けに関しても、話し合う前から女性だけが「時短勤務にするのか」「いつ復職するのか」「仕事を続けるか」「体調不良のたびに迎えにいかなくては」と悩む状況も、やはりおかしい。

共働き育児、働く女性の出産が主流になるなら、パートナー側の働き方や意識改革(そして周囲の理解と、会社の制度整備)も同時に進めなければ、歪みが出てしまう。

このツイートにいくつか寄せられた「いや、男は稼がなきゃなんだからさ…」的なリプライにも考えさせられた。

「男は働かなくてはいけない」。
「男は稼がなくてはいけない」。
そもそも、そう感じている男性にも、荷を軽くしてもらわないことには始まらない。同時に、女性側にも「男には稼いでほしい」「家事育児は男には出来ない」なんていう気持ちが自分の中に眠っていないかを問わなくちゃいけない。

役割は、各家庭でそれぞれに話し合って決めれば良いのだし、育児スタイルや働き方も「男女関係なく、2人で選択できるもの」で「自分たちはどうする?」と話し合えるもので、各家庭それぞれが話し合って決めていくもののはずなんだ。


互いにまだまだ根強く残っている、性差による役割。どれだけフラットな人にも柔軟な人にも刷り込まれている無意識の価値観。追いついていない社会の仕組み。古い価値観を持つ周囲の人間。その結果として、作り上げられている、男-仕事メイン・女-育児メインのスタイル……。

現状はそうだ。

それでも、変えていける。絶対に、変えていける。

上の世代や周囲の雰囲気、身近な人の体験談、社会の仕組み、文化的な刷り込みが、新しい子育てスタイルをつくる一因になってくれるのだから、気づいた人から変わっていかなくては。

少なくとも育児においては、妊婦のパートナーに対しても、会社のほうから「育休の希望は?」と問う。親たちがナチュラルに「育休はとるの?」と問う。産婦人科が両親になる両方の育児指導を必須にする。役所や病院が、育児=お母さんを前提に話さなくなる。男女共に入れるおむつ替えや調乳スペースが増える。先輩たちが「奥さん妊娠中?ならこれ読んどきなよ勉強になったよ」と教えてくれる…。ささやかなことからでも良い。

少しずつでも変化があれば、パートナー側の育児も、母側の社会参加も、性別による思い込みも少しずつ減っていって(これはもっと上流、子どもの頃から変えていくべきだけど)、やがて当然の風潮になっていく。理想論だろうか。でも、事実、社会の育児認識は少しずつ、変わりはじめている。イクメンなんて言葉が生まれた当初は持て囃されたけれど、いまや”イクメン”って考え方でいいんだっけ?となっている…そうやってゆっくりゆっくりとだけど、必ず変わっている。

早く変わる人もいれば、なかなか変わらない人もいる。でも諦めず、こういうものだからと受け入れすぎず、違和感に立ち向かい、時に声をあげ、相手に歩み寄り、想像し、可能な範囲で対応できることはないかと探る努力はやっぱり必要なんじゃないか、と思う。未来を作るのは、今だと思うから。


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幻冬舎plusにて、「母未満日記」という育児エッセイも連載しています。ぜひ…




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