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【本音】インドに行って人生が変わったか?=Yes、だが時差はある。

2016年、5月。

健康オタクが昂じて、当時ヨガとアーユルヴェーダにどハマりしていた私は、初夏の頃の8泊9日のインド行きを飛びつくようにほぼノールックで決めた。

物事の決断力が増すと感じる時は、今こそ、その時だ!と未来から手招きされているような気持ちになる。

当時は、言語化できなかった想いを今振り返ればそんな感じ。

インドでは、アシュラムというヨガ道場でアーユルヴェーダのプログラムに基づいてそれはそれは規則正しい日々を過ごした。

早朝から、瞑想にはじまり、ガンジス川を散歩したり(北インド・ヒマラヤ上流を流れているので水も澄んでいてとても綺麗)、

実際にわたしが泳いだ川(バタフライの真似事をしたよ)

ヨガのレッスン、道場の清掃(カルマヨガという概念に基づいており、ヨガのレッスンに参加した者は奉仕をおこなうルールになっている)、3食の規則正しい食事、とチャイの時間…etc. 人間としての本来の生き方や在り方を思い出させてくれるような日々だった。

カルマヨガレッスン

食事は基本的にはカレーなのだが、これがまたとびっきりおいしかった…。毎度、具材が変わり同じカレーでも楽しみ方に幅があることを細胞レベルで学んだ。作りたてのごはんをいつも本当においしくいただいていたおかげか、日を追うごとにみるみる健康体になっていった。

食事にはつくり手の心情があらわれるから

滞在中オーナーの娘さんから、聞いた話で興味深かったのは、アーユルヴェーダでは食事には作り手の感情があらわれると伝えられている話。

料理人が、食べる人のことを想って愛情をもって作られた料理はエネルギーが高いと話していた。それを食べた人は、パワーをもらうとも。

子どもの頃に聞いた料理の魔法の話、食べる人のことを考えて「おいしくなぁれ。おいしくなぁれ。」と思って作っていると、本当においしくなるという話を思い出した。

反対に、イライラして怒りの感情や満たされない負の感情で作っているとそれが料理にも反映されるということ。

もっと恐ろしいのは、それは食べた人にも伝わってしまうということ。

嘘みたいな子ども騙しに聞こえるかもしれないが、私はこれは事実としてあると思っている。

“食”という字は、【人】を【良くする】と書くが、本当にその通りだと思う。

今は飽食の時代で、先進国は手軽に食べられるファストフードやコンビニ食などで溢れかえっているが、本当に心ある人の手で作られた想いがある食事を口にできている人はどれくらいいるんだろう…?

余談だが、私がかつて旅行メディアでライターをはじめた頃、とある地方で食べた料理に対して、この料理には、作り手の愛が感じられる。と表現ところ、当時の編集者から「愛があろうとなかろうと、そんなんで味が変わるんですか?」と赤を入れられたことを思い出してしまった。

今でもその編集者のズレた一言は忘れ難く、当時はブン殴ってやりたいと思っていた。

余談はさておき、

だから、ここのアシュラムで料理人を雇う場合、やさしい気持ちと愛を持って作ってくれる人を雇うようにしていると言っていた。

なんと、素晴らしいこと。

たかが脈診、されど脈診

最終日が近づいてきて、早朝にアーユルヴェーダに基づく脈診の施術をオプションで受けた。

片方の腕を出し、医師である女性は私の腕の脈を読むように、そっと手を重ねている。

「あなた、今の仕事は楽しい?」
「ええ、楽しいです。」

嘘を言ったつもりはなかった。

だが、「本当にそうかしら?私にはそうは思わないわ」と言われてしまった。

「あなたはもっとクリエイティブなことに向いているから、今の仕事は辞めた方がいいと思う」

“いいと思うけど、どうかしら?”ではなく、直球言い切り型だった。

「とにかくルーティーンワークをやめなさい。

歌を歌うように、ダンスを踊るように、自分の中から湧き出るクリエイティビティに向き合いなさい。

そして、それを表現していく作業にもっともっと時間を費やしなさい。

それがあなたという人間のバランスを整える上でとても大切になってくる。」

当時の私の仕事の割合は、クリエイティブ以外のことが70%/クリエイティブなことがよく見積もって30%くらいの割合だった。

よく当時の上司から、前のめりで取り組む仕事とそうでない仕事にムラがあると言われていた。

当然のめり込む仕事は、後者のクリエイティブな領域に関する仕事。

プロジェクトのアイデアを出したり、企画や仕組みを考えたり、文章を書いたり、紙面をデザインをしたり…この手の仕事は残業代が出ようがでまいが何時間でも、いい加減帰れ。と言われてもやり続けていた。

それと反対に、誰がやっても答えが決まっていること、創意工夫の余地を全く求められない仕事には、お世辞にも精を出せなかった(申し訳ない)

実際、その数年後私は本当に会社を辞めてしまう。

新卒から8年ほど勤めた超・ホワイト企業を辞めてしまう。

周囲からするとかなりいい待遇と身分で働かせてもらっていたように思う。

現に欲しいものは大体買うことができ、大好きな車を所有し、定期的に仕事とは違うかたちで高級なお店にも頻繁に出入りさせてもらい、(ほぼ)好きな時に休みを取って旅行に行くこともできた。

だけど、このままこの先の未来がずっと続いていくようには何故か思えなかった。

数年前から、どこか成長が鈍化しているような気がして、このままでは井の中の蛙になっていく。

そして、何より自分が求めている未来には辿り着けないと確信を持つようになった。

立場が中堅処になり自己裁量もあったこの時期に辞めるのはもったいない、私も半分はそのように思っていた。

だから、退職した翌日、肩書きをなくせば何者でもなくなってしまった日のことは、忘れ難い。

だが、本来自分が望んだことなのだ。

不思議なことに、7年経った今私はクリエイティブを仕事にすることを生業にしている。

仮に、帰国直後に「インドに行って、人生が変わったか?」と聞かれていれば、何も変わらなかった。と答えていたと思う。

しかし、長い時間軸で見れば、あの時の出来事をきっかけに自分の人生に自覚的になり、我が人生をデザインするように生きるきっかけをくれた、と言えることになる。

もし今「インドに行って人生が変わったか?」と問われれば、
=Yes、だが時差はある。と回答したい。

実際、変わると思っていくと、帰国後何も変わらない事実に愕然とすると思う。

しかし、水面下では何かが変わる火種のようなものを見つける可能性はあるとも思う。

帰国後、私はテレビを見なくなり、自分の選択にもっともっと自覚的でありたいと思うようになり、数年後には会社を辞め、留学、転職し、世界放浪の旅に出て、フリーランスになり、今に至る。

あの時、あの決断をしたから今があると思えるように、仏教でいうところの未来原因説を作り出すのは、他でもない自分なのだから。

果たして今の私がインドに行ったらどんな心境に至るのだろうか、この目で感じてみたいところ。

滞在していた宿の庭に放牧されていた牛の搾りたてのミルクで作ったチャイの味は、今でも記憶に鮮明に残っている。

宿の息子、ルドラクシャくん

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