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#25「捨てる技術」の時代~ 羽生善治『大局観 自分と闘って負けない心』より~|学校づくりのスパイス

 新型コロナウイルスの猛威が学校現場にも大きな陰を落とそうとしています。この原稿を書いている2020年4月上旬の時点では影響がどの程度長引くか見通しが立っていませんが、学習指導要領に定める授業時数を年度内に消化することができない学校も少なからず生じるはずです。

 そうした局面での学校の課題は、大状況を俯瞰して現場レベルで活動を取捨選択して再組織化することで、児童・生徒に対する教育的効果を最大化することです。今回はこうした大局をつかむ知の働きについて、将棋の棋士の羽生善治氏による著作『大局観――自分と闘って負けない心』(角川書店、2011年)をヒントに考えてみたいと思います。

「大局観」とは何か

 将棋の話題というと、最近では藤井聡太氏が一世を風靡していますが、数年前までは棋界のスターといえば羽生善治氏でした。

 羽生氏というと若い頃から各種メディアでしばしば取り上げられたり、2017年には史上初の永世七冠を達成したりと圧倒的に強いイメージですが、この本には「プロになってから公式戦だけで四百局以上負けてきた」(106頁)と書かれています。

 プロ棋士の世界はそれまでに培ってきた経験やスキルに安住できないものであることが本書からはうかがわれます。

 では羽生氏はどのようにして強さを維持してきたのでしょうか。この点について氏は「体力や知を読む力は、年齢が若い棋士の方が上だが、『大局観』を使うと『いかに読まないか』の心境になる。将棋ではこの『大局観』が年齢を重ねるごとに強くなり進歩する」(23頁)と述べています。

 ではここでいう「大局観」とはどのようなものなのか、著作のなかからヒントを拾ってみましょう。「『大局観』とは具体的に、全体を見渡す、上空から眺めて全体像がどうなっているかを見ることである」(60頁)、「『大局観』では『終わりの局面』をイメージする。最終的に『こうなるのではないか』と言う過程を作り、そこに『論理を合わせていく』ということである」(123頁)。

 これらの言葉からすると、一つひとつの情報をもとに影響の連鎖シナリオを予測して最善の手を考えていく帰納的な思考方法ではなく、全体像や帰着点から逆照射して現時点での判断を行う演繹的な思考方法が「大局観」であるといえるのかもしれません。このことは、次のようなコンピューターと人間の将棋の指し方の対比からもうかがわれるところです。

 「コンピューター将棋というのは、基本的に可能性のあるあらゆる手を読んで、最善手を探していく。(中略)一方、人間の場合は、将棋の実力が上がっていくほど、考える手はだんだん少なくなっていく。プロの棋士の場合なら、局面を見た瞬間に、三手くらいに絞り込むことができる。あとの何百、何千という手は捨てるわけだ」(200~201頁)。

『大局観 自分と闘って負けない心』羽生 善治、KADOKAWA/角川新書

捨てるのが下手な教員

 さてこの、大局を観て重要性が相対的に低いものを「捨てる」という技術を磨くという機会が日本の学校教員には著しく欠けているように思います。

 たとえば現職派遣の教員が研修会等で、20分程度のプレゼン資料を作成するといった課題を出すと場合、数十枚の字がびっしりと詰まったスライドを用意する人が少なくありません。その内容通りに話されても、その内容を時間内に頭に入れることはほぼ不可能です。

 教員の話の長さに辟易した経験のある方も少なくないのではないでしょうか。

 しかしなぜ、多くの教員は「(活動や情報の)量が多いことはよいことだ」と考えてしまうのでしょうか。それは、学習指導要領に示された学習のコンテンツを細大漏らさず教えることに価値が置かれすぎてきた日本の教育制度構造に由来するものなのかもしれません。

 しかし、好むと好まざるとにかかわらず、こうした積み上げ型のアプローチだけでは、公教育が早晩行き詰まることは明らかです。

 災害等の突発的な事態がなくとも、今後はプロジェクト型の学習がより重視されるようになり、また働き方改革が進捗するにつれて教員の総労働時間を削らなければならなくなることは疑う余地がありません。ならば、教員の活動の量も、そして児童・生徒の学習効果も、それに比例して減らしていくべきであると考えるのが自然です。

 加えて、これからの時代は情報の量とスピードにものをいわせる知的スキルについては人間よりAIが圧倒的に優位に立つようになり、そうしたスキルの社会的価値は相対的に低下していくことになるはずです。

 とすると、現在、そして未来の学校にとって必要なのは、大局観に立って賢く「捨てる技術」であるといえるのではないでしょうか? とはいえ、学校や教員にとって「捨てる」のは簡単なことではありません。学校の活動には、ほとんど無駄なものはないからです。

 しかし一方で、あきらめる必要はありません。この「捨てる技術」も工夫次第で高めることもできるはずです。筆者は下の図のようなミニ演習を研修でときどき取り入れることがありますが、この「バック・キャスティング」の技法も状況を俯瞰的に観る工夫の一つです。

図 バック・キャスティングのミニ演習

 この演習の一つ目の課題をグループで話し合ってみると「新採の頃には大ごとに思えたけれど後から考えてみるとたいしたことではなかった」ということが多々出てきます。そして同じことを現在の自分にあてはめてみれば(二つ目の課題)、現在「やめられない」と考えているようなことでも、案外やらなくともたいした問題は起きないかもしれません。

 好むと好まざるとに関わらず、学校教育のあり方を根底から見直すことが求められている現在であればこそ、「何をどう捨てるか」という視点を学校にも取り入れてみてはいかがでしょうか。

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。

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