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#58「あわい」を生きるという選択~瀬川拓郎『縄文の思想』より~|学校づくりのスパイス

 今回から3回は歴史関係の書籍を取り上げたいと思います。近代教育の土台が大きく揺らいでいる今日、日本社会の深層に流れている歴史性との関連で現代の教育を捉え直してみるのもおもしろいのではないか、と考えたためです。

 今回は日本社会の原点とも言える「縄文」と教育との接点について、瀬川拓郎氏の『縄文の思想』(講談社、2017年)を手がかりに考えてみます。

生き続ける縄文

 「縄文」というと、はるか昔の原始時代で、現代の教育とは関連のないことのように感じられる読者も多いかと思います。本書を読むまで筆者もそうでした。しかし本書から垣間見られる縄文とはそのようなものではありません。「縄文は2000年前に消え去った過去ではなく、日本列島の周縁であるいは異なる相貌をみせながら私たちの深層で息づいてきた」(12頁)と瀬川氏は言うのです。

 では、なぜそう言えるのか? 瀬川氏は日本列島周縁の海民(縄文伝統の漁猟に特化していった海辺の人々)、アイヌ、南島の人々の間でイレズミや抜歯といった、非常に類似した縄文伝統の習俗が古墳時代、一部地域では近現代まで残存していた(12頁)という事実に注目します。そしてそうした日本列島周縁の人々に引き継がれてきた生活の姿から、その背景にある世界観を探ろうとするのです。

 たとえば、アイヌと海民の伝説においては海辺の洞窟は高山の山頂と地底でつながっており、さらに山頂は他界とつながっており、海の神と山の神が往還するというモチーフが含まれていることです。そしてこの縄文由来のモチーフは古事記の「海幸彦(うみさちひこ)」「山幸彦(やまさちひこ)」の逸話にも継承されているというのです(164~171頁)。

 ではこうした縄文の世界観は弥生以降の中央集権的な社会のなかでどうなったのか? 

 それは死に絶えたわけでも、弥生以降の世界観に同化されてしまったわけでもありませんでした。縄文性をとどめた周辺の人々は「呪術や芸能を生業として都市や農耕民の世界を漂白する」(29頁)存在として生き残り続けてきたというのです。

 民俗学者の折口信夫氏の唱えた、時を定めて空や海からやってきて村々を祝福して帰っていく霊的な存在(204頁)としての「まれびと」にも、縄文文化の形跡があることを瀬川氏は指摘します。美しい話ではないでしょうか。

 では本書の主題にもなっている縄文的な思想とは一体どのようなものと考えることができるのか。本書のなかから浮かび上がってくる縄文的な死生観を端的に表現するならば「動的な生」(241頁)という言葉に集約されます

 そういえば、弥生土器が機能に特化したシンプルな形状であるのに対して、縄文土器には装飾が施され力強い躍動観が感じられます。

 より具体的には、非モノカルチャー経済、移動をはらんだゆるやかな定住、国家や権力とは相容れない非中央集権的な自治、贈与への執着等です。富を一定以上蓄積することがかなわない非モノカルチャー経済では、居住地も生存の手段も常に一定程度揺れ動きながら生きていく。結果、自然の恵みを分け与え合う閉じた社会システムのなかで、経済も成立してきたのではないかと考えられます。

瀬川拓郎『縄文の思想』講談社

「あわい」を生きる

 「縄文」は現代に至るまで遺伝子の形質的にも、また文化的にも継承されており、その特徴は現代の私たちの生活とも分かちがたく結びついています。

 たとえば瀬川氏は本書のなかで「アイヌと海民の贈与にたいする執着は、商品経済の非人間性にたいする抵抗であり、生の肯定でもあった」(242頁)と述べていますが、教育関係者にはこの心情はよく理解できるのではないでしょうか? 

 筆者は学生から「こちらは高い学費を払っているのだから○○をしてほしい」と言われると(至極正当な言い分なのですが)、無性に腹が立ちます。

 確かに教員も雇用労働の一形態には違いないのですが、教師という仕事を自分の時間を切り売りする感覚で考えていたら、とても続かないでしょう。子どもという存在や教育という営みのなかに一種の気高さを感じとることなしに、商品経済の論理のみで学校教育を捉えようとすると、子どもはますます疎外されていくのではないかと筆者は危惧します

 しかし一方で公教育は「農耕モノカルチャーの極相である資本主義モノカルチャー」(14頁)の産物であることも、また疑いようもありません。

 近代以降の公教育は国が定めた教育の仕組み・内容を全国的に展開する中央集権的な統治システムを前提としています。制度的には教員は、まぎれもなくこうした統治システムのなかの労働者であり、労働と報酬とを「交換」しているものと捉えられます。

 この二つは両立しえないものでしょうか? 原理主義的に考えるとむずかしいのかもしれませんが、現実の人間はあまり原理主義ではありません。

 瀬川氏はアイヌや海民等の人々が、縄文と弥生以降の世界観の双方をゆるやかに接続させて生きてきたことを指摘し、その様を「『あわい』に生きる」と表現しています。「あわい」とは、二つの異質の空間が重なり合ってできる場といった意味です。

 縄文の文化を色濃く継承する人々がそうしてきたように、私たち教育関係者も「あわい」を生きることはできるはずです。一方で給特法改正や教員の処遇改善を叫びながら、もう一方で子どもに秘められた可能性を信じ、贈与の論理で教育に相対することは可能です

 ただしこの二つを共存させていくためには、一つには自分のなかで複数の視点で物事をみる目を養うこと、そして二つ目には少し忘れっぽくなる必要があるでしょう。

 筆者は二つ目の才能についてはちょっとばかり自信があるので、前者の複数の視点で物事をみる力量について、この連載を重ねながら研鑽を積んでいこうと思っています。

【Tips】
▼瀬川氏は本書の視点を一歩進めて、縄文社会の「遅さ」と「ゆるやかさ」で現代社会ももっと生きやすくなると言います。

(本稿は2018年度より雑誌『教職研修』誌上で連載された、同名の連載記事を一部加筆修正したものです。)

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【著者経歴】
武井敦史(たけい・あつし)
 静岡大学教職大学院教授。仕事では主に現職教員のリーダーシップ開発に取り組む。博士(教育学)。専門は教育経営学。日本学術研究会特別研究員、兵庫教育大学准教授、米国サンディエゴ大学、リッチモンド大学客員研究員等を経て現職。著書に『「ならず者」が学校を変える――場を活かした学校づくりのすすめ』(教育開発研究所、2017年)、『地場教育――此処から未来へ』(静岡新聞社、2021年)ほか多数。月刊『教職研修』では2013年度より連載を継続中。

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