最近良く思う事 陶器を販売していて「これは何に使ったらいいですか?」っていう質問 陶器は自分がこれに使いたいって思ったら、何に使おうと良くて まぁ、作家が意図して作ったものを違う使い方をしたら失礼何かもしれないけど 基本、何に使ってもいいと思う 大きなお皿一枚におかずもご飯も一緒に載せる「ワンプレート」のカフェランチ 洗い物も少なくて、片付けておくのも場所を取らないので、良いかもしれんけど 日本の食卓は様々な器に盛ったお料理を楽しむのが文化でもある ちゃんと器を持って食
今年も後わずかとなりました 3年に一度のペースで最強にお腹が痛くなって、トイレに1時間こもる羽目になる その後は、必ず血便に見舞われる 決して「痔」ではないので、悪しからず・・・ 1度目は24時を回ったころ、おなかが痛くてトイレに行くも全然出てこない 10月末だったにもかかわらず、冷や汗は出てくるのに、一向に肝心なものが出てこなくて、のたうち回る事になりどうしようもなく、救急搬送 痛さのあまり、気を失ってしまっていた 大変だった💦 2度目は11月 なんとなく、いや~な予感
自分が何気なく言った言葉でも、相手にとって傷つく言葉だったりする。 小学生の頃、98点だったテストで「よく頑張ったね」という言葉を期待していた娘に「なんで100点じゃないの?」って私が言った言葉に傷ついたと娘に言われた。 そんな昔の、ましてや今頃??って思うけれど、彼女にとってはよほど傷つく言葉だったんだろう。 その娘が生まれた時、義父から「また女か・・・」って電話の向こうで言われた事が、そりゃー今でもはっきり覚えている。 言葉は人を勇気づける 言葉は人を元気にする 言葉
粘土を天板の中央に設置し、下の台の部分を蹴って作品を作っていきます。 朝鮮半島から伝わってきたとされ、九州から全国で多く使われてきたろくろ。 今もこのろくろを使用している産地もあります。このろくろの方が味わいが出ると今でもこのろくろで作陶をしている作家さんもいるくらい。 右足で蹴り左回りや右足で蹴り込んで右回りになる場合など、産地により使い方は様々。
イライラして、他の人に怒りをぶつけていませんか?新入行員時代、今まで機嫌がよかったのに、急に怒られて困惑したことがある。自分の感情に任せて怒りをぶつけても、何も解決しない。イライラしたら、空を見上げて深呼吸。「南無阿弥陀仏」って唱えるんだ。
音楽には不思議な魔力があるのか、その曲を聴くだけで何十年も昔の記憶が蘇る。「いとしのエリー」で涙して、「SOMEDAY」で楽しかった頃を思い出す。「負けないで」で子育てしていた頃を思う。FM COCOLOでそんな懐かしい音楽が流れると、一瞬で記憶が蘇る。音楽の世界は素晴らしい。
磁器は石物と言われるとおり、石【陶石】を焼いたもので、吸水性がまったくなく、叩くとすんだ高い音がし貫入(表面に現れるひびのような物)はありません。一方陶器は、吸水性があり、土と釉薬の収縮の違いから生じる貫入があり、叩くと鈍い音がします。粘土を焼く土器から、土物と呼ばれています。 ご使用について ■晋六窯では出荷時には裏面を紙やすりで研磨しておりますが、ガラス・木製品などの上を引きずるとキズが付きます。 ■陶器の特性上、水分を入れたままにしておくと、汗をかいたように染み出して
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、3歳までにちゃんと言葉かけやしつけが大事だと思います。 うちの子は、上は中学受験をして、中学校から女子高の特進クラスで学びました。 塾もはじめはお友だちが近くの公立中学の評判があまりよろしくない・・・という事で中学受験をするっていうのにつられていった感じ。 小学校4年生でした。 その頃は塾も遊び半分・・・なんとなくお友だちが行っているから。という思いだったのだと思います。漢字のテストも居残りさせられ、何度もなり直しの日々。思わす
1999年、家庭画報通販が始まり、その後2000年には通販生活。 順調に通販誌の掲載は続きました。 しかし、いつまで続くかわからない。 バブル崩壊後には小売店や卸業の廃業や倒産が相次いぎ、売掛金を残して倒産された商社もあり、その頃始めてたECサイト。 最初は簡単なペラ1のものから。 その後は、ホームページビルダーを使って、何ページか制作し、ショッピングカートを契約して、また「楽天市場」にも出店。 楽天市場ではメールアドレスを集めるのに、プレゼント企画やオークシ
30年前 出産予定日を5日過ぎ、胎盤が低下していると言う事で、翌日の帝王切開を前に、焼き肉を食べて相当歩いて自宅へ帰った後。 陣痛が来てしまった。 慌てて病院へ行ったものの、なかなか子宮口が開かない。 2日間の陣痛に耐え、やっと出て来た女の子でした。 生まれたての子どもは、よくサルみたいって言われるのに、まるで土偶みたいで、コレは困ったと思ったのが、つい昨日の事のようです。 よく寝る子で、あまりミルクも飲まないので、3580gもあった体重は、6ヶ月検診で少なすぎると言
1998年当時、東京の小売店でペリカン急須を販売して頂いていました。 今は残念ながら廃業されてしまいましたが。 そこで某通販誌のバイヤーの方の目に留まり、「なんて面白くて機能的な急須なんだ」という事で、翌年の1999年「家庭画報通販」に掲載して頂く事になりました。 それまでは、「不細工な急須」って言われることが多かった。 それまでの急須は一般的に「鉄砲口」か 「つばくろ口」と言われるものでしたから。 いきなり、大きな注ぎ口の急須を見ると、「変な急須」ってなりますよね。
急須・徳利・花生など胴体がふくらんでいて、口が狭い陶器の事を「袋もの」と言います。 一般的な湯呑やカップ、ご飯茶碗などと比べると、少し技術的に難しい形です。 ペリカン急須のパーツは4個。 粘土をこねて、ろくろでパーツをそれどれつくり、削って、 注ぎ口の穴をあけて、組み立てます。 組み立てる時も、パーツの硬さが同じくらいまで乾いていないと、くっつけた後完全に乾かすときにはがれたり、ひびが入ったりして、キズが出やすいです。 ペットボトルのお茶も便利ですが、茶葉を急須で入れる
「辻 晋六」の名前から由来するもので、晋六は京都の鴨川の上流、上賀茂から北へ約12km行った「雲ヶ畑」の波多野家の四男として生まれ、京都府立第二中学校を経て、東京工業学校(現:東京工大)の窯業科へ進み、卒業後、京都の料亭「左阿彌」の三女 辻 栄津子と結婚。その後山科に築窯、制作活動に入りました。 文展・その他各種展覧会等々に入選、入賞。その傍ら、京都市立第二工業学校窯業科の教職として従事。 その後渡満し、吉林にて製陶していたが、終戦により引揚げ、帰京。昭和30年東山区南日吉町
この急須の注ぎ口は「鉄砲口(てっぽうぐち)」と言います。 筒状の細くて長い注ぎ口。 根元が少し膨らんだ形にしていますが、根元から先までほぼ同じような太さで作る場合もあります。 鉄砲の口に似ているでしょ?
令和3年5月2日の夜。 青信号の横断歩道を歩行中、左後方から来た乗用車に追突されました。 横断歩道の道半分くらい歩いてところで、いきなり目の前に白い物体が表れて、思わず手で押しのけようとしましたが、私の力では及ばずそのまま路面に転倒。 運転手やその隣に乗っていてであろう彼女。近くの通りかかった薬剤師さん。様々な方が声をかけてくれていた中、主人は声もかけず、一目散に「119」へ電話。 ものすごく早く救急車が到着しました。 頭を固定され、向かうは「京大病院に受け入
こんにちは。 今日は土曜日・・・おうちでゆっくりされている方も多いでしょうね♪ 我が家は一応「法人」という事になっていますが、家族経営、悲しき自営業・・・イエ!イエイ!!楽しい自営業♪ というわけで、いつでもお休みが取れる、一年中お休み(笑) 陶器のお話を少し。 我が家は陶器屋なので、「陶器っていうのはこういうものは”当たり前”の事」として特に説明されることもなかったのですが、ここ最近は催事などで陶器の使い方について質問されることが多いので、少しお話として書き留め