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晋六窯

「辻 晋六」の名前から由来するもので、晋六は京都の鴨川の上流、上賀茂から北へ約12km行った「雲ヶ畑」の波多野家の四男として生まれ、京都府立第二中学校を経て、東京工業学校(現:東京工大)の窯業科へ進み、卒業後、京都の料亭「左阿彌」の三女 辻 栄津子と結婚。その後山科に築窯、制作活動に入りました。
文展・その他各種展覧会等々に入選、入賞。その傍ら、京都市立第二工業学校窯業科の教職として従事。
その後渡満し、吉林にて製陶していたが、終戦により引揚げ、帰京。昭和30年東山区南日吉町に築窯。 昭和45年11月1日に65歳の生涯をとじ、今は京都の法然院に眠っています。

祖父は私が10歳の時に、直腸がんで亡くなったので、多くの思い出はありませんが、常に優しく、様々なお土産をもって岩倉の自宅を訪ねてきてくれました。

当時、まだ誰も持っていなかった、首の後ろの紐を引っ張るとおしゃべりする人形など。

今思うのは、「今私がやっている仕事はどう?」って聞いてみたい。

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