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高原の町に、猫2匹と暮らす。 パソコンインストラクター、講師業20年。 おしゃべりをす…

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高原の町に、猫2匹と暮らす。 パソコンインストラクター、講師業20年。 おしゃべりをする仕事や事務仕事などを経験しながら現在に至る。 パソコンのこと、日常のこと、猫のこと、好きな人たちのことなどを思うままに書きます。 KAN・V6・山崎まさよしのファン。邦画専門の映画ファン。

最近の記事

俎の鯉からはそろそろ卒業

退院から1ヶ月半が過ぎた。 退院から1ヵ月の受診で経過は良好であるとのこと。 これを気に、仕事には本格復帰した。 ただ… 血液検査の結果、肝臓の数値がイマイチ(それでも回復している)で、 次の受診の時に数値が正常に改善されるまで禁酒。 退院したあと、やりたいことのひとつに、 「KANちゃんが好きだったシャンパンを飲む」 ことがあったのだけれど、まだ達成されず。 楽しみはお預け。 先生には「お酒なんか飲んでも良いことは何もないから、この際、お酒辞めてはどうか?」と言われたのだが

    • 俎板の鯉的所感(退院しました)

      この記事は、 このへんの記事の続きです。 かくして私は、当初の予定通り、入院から10日目に無事退院することができた。 入院当初に、退院までの治療計画を書いた紙を渡されたのだが、 そこに書いてあった日付通り。 1人の入院のために組まれるスケジュール。 順調に、スケジュール通りに進んだ。 そして、自分も我ながら頑張った。 入院した病棟は2階。 術後の予定としては… 術後1日目 起き上がって立つ 術後2日目 病室内を歩いて移動 自分でトイレ 術後3日目 病棟内を歩いて移動 術

      • 俎板の鯉的所感(入院中です③)

        入院した日は大雪の翌日で、病院にたどり着くのにひと苦労。 私は入院の日なのに朝5時から雪かきをして筋肉痛… 前途多難と思いきや、いろんな場面を乗り越えて、 明日、やっと退院を迎える。 この2日間は暖かかったようで、外の雪もだいぶ溶けた様子。 変わる景色に時間の流れを感じた。 この記事は、こちらの2つの記事の続きです。 入院中のこと残す記事のタイトルを 「俎板の鯉」としたのは、本当にそんな感じで。 特に術後の1〜2日の間は、入れ替わり立ち替わり、 いろんな人が様子を見にくる

        • 俎板の鯉的所感(入院中です②)

          書いてみて、やっぱり生々しいので、大丈夫な人だけ読んでみてくださいませ。 こちらの記事の続きです。 明日、退院の許可が出た。 当初の予定通り。 今朝回診に来てくれた主治医の先生は、今日帰っていいよくらいのことをおっしゃっていたが、最後の部長先生の診察後、正式な退院許可が出るので、結局明日までお預け。 いちばん辛かった瞬間を思い返してみる。 手術室に入り、事前に痛み止めのための管を背中に通す。 術後2日くらいは、背中に管を通たまま、痛みを感じたら自分でボタンを押して痛み止め

        俎の鯉からはそろそろ卒業

          俎板の鯉的所感(入院中です①)

          時々生々しい話もあります。大丈夫な方だけどうぞ。 思えば、ここまで長かった。 最初に病院に行き始めてから半年かかった。 この病院の初診の時に、手術までどのくらいかかりますか?と、 その時の担当医の先生に聞いてみたら、 痛みとか急ぐことが何もなければ、半年くらいですかね…といわれた。 半年!? できれば早く物事の白黒をつけたいタイプなので、 半年という長い時間、悶々と過ごすのか…と思うと、 途方もなく長い時間に感じられた。 実は2回ほど痛みで苦しんだけれど、1日休んだら

          俎板の鯉的所感(入院中です①)

          入院することになった話。

          KANちゃんの話はちょっとお休み。 またもや、自分の人生において記録すべき事態が起きたので、そちらの話題。 合間にKANちゃんのことも書くからね。 たぶん、それは一昨年くらいの話。 月に一度通っている整体の先生から、 「新しく腸セラピーというやつを覚えてきたからやってみる?」と、 持ちかけられ、お試しで施術を受けることになった。 お腹の調子は決して良い方ではなかったので、即答した。 施術当日。 私のお腹に手を当てた先生が、ん?これは?もしや? と言い始めた。 お腹に何かあ

          入院することになった話。

          よければ一緒に~KANちゃんのこと④~

          はじめに、このたびの令和6年能登半島地震により被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げますと共に、残念ながら犠牲になられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。 一日も早く平穏な日々が訪れますことを願っております。 また、1月2日の飛行機事故で、亡くなられた海上保安庁の皆様にもお悔やみ申し上げます。 2024年が明けた。 それにしても、何という年明けなのでしょうか。 そういえば、KANちゃん、オーケストラ・アンサンブル金沢の皆さんと度々共演されていたなと思い出し、調べてみたところ

          よければ一緒に~KANちゃんのこと④~

          よければ一緒に ~KANちゃんのこと③~

          12月30日。今年がもうすぐ終わる。 何年も前から、レコード大賞は12月30日の放送になった。 でも、32年前は大晦日。 当時はまだ、大晦日にレコード大賞も紅白歌合戦も放送されていて、 チャンネルをあちこち変えながらテレビを見ていたものだ。 我らがKANちゃんは今年、「特別功労賞」に選ばれたらしい。 何というか、複雑である。喜んでいいのか? 亡くなったアーティストが受賞する賞である。 しかし…今年は本当にたくさんのアーティストが星になられた。 まさか、自分の推しがそこに含

          よければ一緒に ~KANちゃんのこと③~

          よければ一緒に~KANちゃんのこと②~

          KANちゃんのことを書こうと言ってみたものの、遅々として筆が進まない。(筆じゃないけど) 時間はかかるけど、その時に思い出したこと、そういえば!ということ、自分の気持ちを少しでも残していきたいと思っています。 いつ終わるかわかりませんが、気楽に読んでいただけたらと思います。 12月16日は、泣き笑いの1日だった。 大阪のFM局が朝6時から夜の11時まで、KAN 1DAY SPECIAL "Our Favorite Songwriter" と題し、1日KANちゃんのスペシャル

          よければ一緒に~KANちゃんのこと②~

          よければ一緒に~KANちゃんのこと①~

          今日は12月12日。 かのお人が星に旅立ってから1ヵ月になる。 いや、星ではなくて、フランスに行ったまま、姿をくらましているのかもしれない。 どうやって自分を騙そうか、あの日から、そんなことばかり考えている。 今日、KANちゃんをリスペクトするアーティストさんたちが、 「KANのChristmas Song」を歌ったものが、12月25日まで、 大阪のFM2局限定で聞くことができると、そんな話が解禁になっていた。 誰も居ない職場で聞いた。 歌い出しで泣いた… 懐かしい声に…と

          よければ一緒に~KANちゃんのこと①~

          悲しみを残したまま僕らは次の場所へ…

          はじめに言っておくと、私はKANちゃんのファンです。何年も。 ほったらかしだったこのnoteにも、本当はKANちゃんのことを書いていきたいのだけれど、なんか今はこちらの話を先に消化しなければ…と思い、 書き始めた。 KANちゃんファンから見た、山崎まさよし氏のライブのこと。 ちなみに、山崎まさよし氏についても、かれこれ20年ちょっと、付かず離れずのファンをやっている… 山崎氏への入り口もKANちゃんがキッカケだったな…。 悲しい悲しいあの日。 これでもかというくらい涙を流し

          悲しみを残したまま僕らは次の場所へ…

          あれから1年経った

          2021年11月1日。推しグループが解散した。 デビュー記念日、丸26年の活動に幕を下ろした。 最後のライブは自宅で生配信を見た。 始まる前に映し出される会場の映像で、すでに涙が止まらなかった。 そこにいる人たちみんな、それぞれの思いがあって、それぞれの歴史があって、パソコンの画面から、皆さんの気持ちがビシビシ伝わってきて。 自分は2013年末から、わずか8年間のファンだったけれど、知らない世界をたくさん見せてもらったし、彼らを追う毎日は、本当に楽しかった。 あれから1年。

          あれから1年経った

          コロナ陽性になった話

          県内の新規感染者は過去最多で、人口16000人の我が町でも42人の感染者がいた8月9日。 私もその中の一人にカウントされてしまった。 気を付けて過ごす… 感染対策をする…ということに慣れ過ぎていて、逆に油断があったのだと思う。 それよりも、発症する直前、仕事も忙しく、スケジュールも一杯で、ものすごく疲れていた。それは確か。 免疫力低下しまくって、全てのスケジュールをこなして帰宅したあとに発熱した。 タイミング的に、夏風邪ならいいなと思ったくらい。 職場では他に陽性者が出た

          コロナ陽性になった話

          世の中は思っている以上にデジタル化されている

          パソコン関係の仕事をしていると、時に、どう対応したら良いのかと迷うことがある。お客様が何を求めているのか、何に困っているのか、どうにか聞き出して、どうにか説明する。その繰り返し。 ただ、どうにも理解できないこともあって。 出向いてみて、初めて理解できる時も多い。 歳を重ねてくると、言葉だけで伝えるコミュニケーション(特に、電話)は、難しくなると思わされることもある。 いつもお世話になっているお客様からの電話。 青色申告のためのソフト(DVD)を購入されたらしい。 そうだ、今

          世の中は思っている以上にデジタル化されている

          教える仕事の功罪

          「教える」ことを仕事にしている。 何を教えるかというと、ほとんどがパソコンの操作に関わること。 職業は、一応、パソコンインストラクターということになっている。 「ということに」と表現したのは、それ以外にもいくつか仕事を持っており、その一つだけでは、私の職業は表現しづらいのだ。 20代の頃からこの仕事を始め、今まで何人の生徒さんと出会ってきただろう。最初の頃は、集合レッスン。職業訓練の講師として、一度に20人程度のクラスを何周かしたので、軽く数百人になるか・・・ 1対多数の

          教える仕事の功罪

          なぜnoteを始めようと思ったか

          首都圏に緊急事態宣言が発令された。 本当なら、昨日・今日の2日間、東京にいる予定にしていた。 私が東京へ行く理由なんて、大したことではない。 ”いつもの”アーティストのライブに参加するための上京だった。 東京の感染者が1000人を超えたくらいから、これは諦めた方がいいか。 でも、ライブが開催されるのならば、万全の対策をしているはず。 どこにも立ち寄らず、ギリギリに到着して、終わったらすぐに帰る方法で、何とか行けるのではないか、いや、でも、万が一、欲しくもないお土産を持ち帰っ

          なぜnoteを始めようと思ったか