教える仕事の功罪

「教える」ことを仕事にしている。
何を教えるかというと、ほとんどがパソコンの操作に関わること。
職業は、一応、パソコンインストラクターということになっている。
「ということに」と表現したのは、それ以外にもいくつか仕事を持っており、その一つだけでは、私の職業は表現しづらいのだ。

20代の頃からこの仕事を始め、今まで何人の生徒さんと出会ってきただろう。最初の頃は、集合レッスン。職業訓練の講師として、一度に20人程度のクラスを何周かしたので、軽く数百人になるか・・・

1対多数の仕事をしてきた。教師・講師といった仕事をしている人なら、多くの生徒の中の1人。しかし、生徒にとっては、唯一の先生であるといった感覚がわかるだろうか。
自分の学生時代を振り返ってもそうだ。生徒の立場からしたら、先生は唯一の「先生」である。
私は「教師」ではないけれど(資格はないので)、講師としてやってきた。
長年やっていると、時に思わぬ反応が返ってくることもある。

Facebookで繋がりを持っていた生徒さんがいた。
子どもの頃から病と闘ってきた生徒さん。私が勤務していた教室に、お母様と一緒に通い、資格試験にチャレンジして見事に合格した。
抜けるような白い肌の丸顔で、小さくて可愛い子。そんな印象とは裏腹に、ものすごくアクティブで、アイドルが好きで。そんな話を何度かレッスンの合間にした記憶がある。

少し印象に残っている可愛い子。私の中に残る彼女の印象。

今は社会人として、頑張って仕事をしていると思っていた。
Facebookで新たな病気になってしまったと報告されていたので、心配はしていた・・・

今年に入ってすぐ。
お母様が私と連絡を取りたがっていると、周り回って私の元に知らせが来た。予感がしたので、すぐに連絡すると、お母様より、昨年9月の初めに、彼女は天へ行ったと。35歳の生涯を全うしたと伺った。

なぜ、わざわざ私だったのだろう。その教室に勤務していたのは、私だけでなく他にも何人かいたのに。Facebookで繋がりはあったのだけれど、それでも、わざわざ探してくれたのは・・・?

何かの意味があるだろうと、仏前にお参りをしてきた。
お母様と話すうちに、何となく意味がわかった気がする。
お母様を心配した彼女が、お母様の話を聞くために私を呼んでくれたのだろうなと。

大丈夫。お母さんのお話は、時々聞きに行くから。
貴女のこと、一緒に思い出して、楽しく話してくるから。
呼んでくれてありがとう。

本当は、もっともっとやりたいことがたくさんあったに違いない。
でも、太く短く、遺された私たちにインパクトをしっかり与えて旅立って行った。

彼女の人生のうち、私が接したのは、ほんのわずかな時間。
でも、どうやら彼女の中では「唯一の先生」と思ってもらえていたのかな?と、自分のことながら、少し思ってみたり。
お母様に、私とFacebookで繋がっていたことを嬉しそうに(自慢するように?)話していたと聞いた。

いや、逆に、本当に、申し訳ない。
私のような者をそんな風に思っていてくれて。
貴女は偉いよ。未知のものに1人で(いや、お母さんと二人三脚で、、、かな?)立ち向かって行ったのだから。

講師の仕事をしている。

自分の話が、時に誰かに影響を与え、自分が思わぬ印象を残してしまうこともある。
今回のことは、悲しい知らせだったけれど「講師冥利に尽きる」出来事だった。

長い間仕事をしていれば、いろんな人と出会う。
なぜ、この仕事を続けているのかと聞かれると、教えるのが好きなのもあるけれど、「人に会うのが好き」「いろんな人と話せる、いろんな人に話せるのが好き」だから、である。

最近は、人生の先輩の生徒さんが多くなったけれど、先輩であっても、受講した人に何かを残せる講座をしたい。

・・・今気づいた。

この仕事は、誰かの心に何かを残す仕事なのかもしれない。

気付かせてくれた彼女に感謝したいし、彼女のことはこれから先もずっと私の心の中に留めて、忘れずに歩んで行きたいと思う。

だから、見守っててね。

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