よければ一緒に~KANちゃんのこと④~
はじめに、このたびの令和6年能登半島地震により被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げますと共に、残念ながら犠牲になられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
一日も早く平穏な日々が訪れますことを願っております。
また、1月2日の飛行機事故で、亡くなられた海上保安庁の皆様にもお悔やみ申し上げます。
2024年が明けた。
それにしても、何という年明けなのでしょうか。
そういえば、KANちゃん、オーケストラ・アンサンブル金沢の皆さんと度々共演されていたなと思い出し、調べてみたところ、メンバーの皆様はご無事だったとのお知らせあり。
富山のオーバードホールでAUBURD SYMPHONIC WAVE2023というイベントに参加した。
前年のイベントに参加した友人から、とても良かったという感想を聞き、出掛けた昨年2月。
名だたるアーティストが登場され、どの方のステージも素晴らしかったが、
ファン目線でなくとも、アンサンブル金沢さんと演奏された「愛は勝つ」の競演が圧巻だった。
その日、いちばんの盛り上がりだったと記憶している。
でも、きっとあの頃…病気が判明した頃だよね。
そう思ったら切なくなった。
心も身体も、本当は辛かったのではないかな…今となってみれば。
そんなことは微塵も感じさせない演奏を見せてもらい、ご本人が、お昼は結局「8番ラーメンでいっか~」と、富山駅併設の8番ラーメンに行かれたと話されていたから、私たちはのんきに8番ラーメンを食べて帰った。
話は全く変わる。
昨日、相方をともなって実家に新年の挨拶に向かう途中、車内でずっとビリー・ジョエルの曲を聴いていた。
相方はKANちゃんと同世代(2歳年下)。
ビリー・ジョエルのファンである。
いつからビリー・ジョエルを聴き始めたのか聴いてみた。
中学生くらいの時に、洋楽ポップが流行っていて、ビリー・ジョエルはもちろん、ABBAとかTOTOとかをみんなが聴いていた時代があったんだよと教えてくれた。
その頃に、ビリー・ジョエルの「MY LIFE」と出会ったらしい。
そこが入り口なのだそう。
たぶん、KANちゃんがお友達から「ニューヨーク52番街」のレコードを借りたのと同じ頃、相方も同じレコードを手に入れていたらしい。
心の名曲はやはり「オネスティ」だと言う。
(アナログレコードの「ニューヨーク52番街」が我が家にあるのだが、いかんせんプレーヤーが無いため、聴くことができないのが残念…)
私はひとまわり年下で、世代が違うので、その当時を知っている人から聞く話は有益だ。
私にとってのビリー・ジョエルはKANちゃんのフィルターを通して聞いたものがほとんど。だから、どうしてもKANちゃんの声で再生される。
そして、聴けば聴くほど、KANちゃんのベースにあるのは、本当にこの人の曲なんだなと思う。
あ、このフレーズ、このテンポ、このベースの感じ、このシャウト…
時々、胸がぎゅーっとなりながら聴く。
でも、その音の世界に身を委ねるのは心地よい。
今までにKANちゃんの歌うビリー・ジョエルは何曲聴いただろう。
そういえば、ビリー・ジョエルはKANちゃんのことを認識していたのだろうか。Xの仲間とそんな会話をした。いつかの来日中に、テレビかラジオに出演されて、本人が聞いてくれていればいいなと言いながら、ビリー・ジョエルの曲を演奏したらしいけど。本当にどっかで聞いてくれていたらいいな。
私たちにとっては、師匠の師匠なので、勝手に大師匠。
大師匠、ビリー・ジョエル様。
あなたを敬愛する素晴らしいピアノマンは、あなたの「UPTOWN GIRL」のおかげで国民的なヒット曲を生み出したんですよ。
他にもリスペクトされた曲が何曲もあって。
あなたのことが大好きな、素晴らしいアーティストです。
1月24日。大師匠が日本にやってくる。
相方が「KANも行きたかっただろうな」とポツリと言った。
うん。何としても、何があっても行く!って言ってたよ、と返した。
東京ドームに夫婦で行くことにした。
私はきっと、KANちゃんというフィルターを通してビリー・ジョエルの演奏を聴くことになるだろう。
(師匠より先に居なくなってるんじゃないよ!と、ちょっと怒ってるのは内緒。)