「支柱」だった宝物たち


色んな寄り道の末、今私はお花屋さんとして勤めている。
 
ずっとずっと昔、幼いころに初めてできた夢がお花屋さんだったのは偶然なのだろうか。
導かれたのだろうか。
 
私の生き方は幼いころから何も変わっていないような気がする。
いつの間にか同じようなことをしていることにハッとさせられる。
同じようなことで自分を満たし、幸せを感じている。
満たされたくて幸せになりたくて、もがいてもがいてあんなに苦しかったけれど、その方法はもう自分の中に存在していて、どうして気づくことができなかったのだろう。
 
年を重ねて色んな景色を見て
経験を積んで
様々な感情を覚える中でも、
自分の本質的な部分は何にも染まらず変わらずじっと私の中心を貫ているような気がしてならない。

色々なものに出会い、触れ、沢山のものを受け取って、素敵なあれこれを自分の腕の中に沢山沢山抱え込んできた。
素敵なものは沢山ある。
惹かれるものが沢山ある。
今まではあれがほしいこれがほしいと背伸びいて必死になって手を伸ばすように生きてきたのかもしれない。
ちっぽけで空っぽに思える自分をどうにか素敵に鮮やかに飾り立てたくて。
そうしないと不安で、ただ立つことさえもしんどかった。
頑張って集めた自分を飾るものたちに私は沢山救われてきたと思う。
おかげでここまでたどり着くことが、生き抜くことができたから。
 
抱え込んでいたものを少しづつ手放していく作業に取り掛かる段階に入る瞬間があるような気がする。
その切っ掛けが、切り替わりが、どこだったかはあやふやで、まだ手を伸ばしてしまうこともあるのだけれど、手放すことが必要だと思うタイミングがあるのだと思う。
自分の彩りは頑張って集めてきたものたちの中にあるのではなくて、それで覆い隠されている本来の自分にあるのではないか、と。
ふとそんな気持ちが浮かんでくる。
あれ、こんなに持たなくても立っていられるような気がする。
大切なのは所有してるものではないような気がする。
 
多くを抱えて失うことに怯えてよたよたと生きるよりも、手放して身軽に生きた方が呼吸がしやすいのではないか、と。
軽やかにもっと遠くへ進んでいけるのではないか、と。
そういうことにふと自然に気づいていくのかもしれない。
 
今までせっせと詰め込んできた宝箱をそっと開く。
キラキラと素敵なもので溢れている。
言葉。考え方。出会った人。想い出。価値観。自分の長所。好きなもの。好きなこと。憧れの存在。夢。
全部私をときめかせ、勇気づけ、奮い立たせてくれたものたち。
どれか一つが欠けていたら今の自分はなっかたのだ。
 
それらをひとつづつ取り出して整理してみる。
それがなくてももう自分の足で立てている自分に気づく。
はたまた、それが今の自分にとっては枷になってしまったり、ぎゅっと閉じ込めて窮屈にさせる枠になってしまっていることもある。
宝物たちに守られながら、私は少しづつ成長している。
 
もう必死に抱え込む必要のない宝物があるかもしれない。
ありがとうと手放したとき、心が一つ軽やかになる。
そんな丁寧な点検を繰り返す中で、純度の高い「自分」になっていくような感覚になる。
それはまるで幼い頃の自分に戻っていくような。
本を読んで、
絵を描いて、
文を綴って。
1人が心地よくて、
でもたまに一人が寂しくて。
凄く恥かしいのだけど、
褒められたり目立つのが好き。
 
これは色んなものを手放して純度の高い私について。
小さな頃と何も変わっていない。
 
大きく変わっているのは、そんな自分がまるっと愛おしくて大切にしたいと思える、「自分」がいるということ。
 
何も付け加えなくても、着飾らなくても、変に背伸びしなくても、歪めなくても、かっこつけなくても、そのまんまが何より一番素敵だとちゃんと思えるようになったこと。
その違いってとても大きい。
 
色んな回り道をして、たどり着いたのは、元の場所だった。
言葉にすると、味気なくて、どうってことないように移るけど、24年かけて学んだこと。
 
言葉だけ受け取っても、すとんと心になじむことはなかったと思うから。
私の人生をかけた大研究結果として堂々と発表したいと思うわけです。
 
必死に集めたのに、手放してしまうなんて無駄だったのだろうかと思ってしまう気持ちもあるのだけれど、
きっと頼りない芽を支える「支柱」のようなものだったのだと思うようになった。
 
その支えがあったからこそ、じっくりじっくり根を張ることができて、その根のおかげで支柱がなくても一人で立てるようになったのだ。
ずっと寄り添うように「支柱」があって、それはまるで自分自身の一部のように馴染んでいて、もう一つの足かのように錯覚する。
だからそれを外すことに凄く抵抗感を抱き不安に襲われる。
 
でも、自分自身から伸びる「根」を信じてあげてみたい。
 
色んな支柱のおかげでこうやって立てるようになった。
その感謝を忘れずに、支柱を手放す勇気を持ちたい。そして「私」の純度を高めていけたら。

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