元祖『半農半X』から中農への道...明治期の日本食料安全保障問題ー柳田國男を読む_08(「時代ト農政」「農政学」「農業政策学」「中農養成策」)ー
(アイキャッチはニューヨーク公共図書館より)
①『柳田國男全集29』ちくま文庫(1991)
②『柳田國男全集30』ちくま文庫(1991)
序論
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
大分ご無沙汰しておりましたが、今年も不定期ながら、細々と活動していきたいと思念しておりますので、何とぞご贔屓の程、宜しくお願い申しあげます(跪拝
さて、今回も飽くせず柳田國男シリーズをお送りする訳ですが、田舎と都市に関する記事で告知しました通り、田舎とりわけ農業に関する興味深い論稿をここでご紹介できればなぁと思っております。
先日の記事でも述べましたが、日本民俗学の父なる柳田氏は、民俗学に本格的に乗り出す前に、農政官として、一年半ほど勤務していた経歴があり、この経験が後の民俗学研究に影響を与えたことは論を俟ちません。
詳細は本論で後述しますが、明治期頃の話になりますか、開国政策による日本の食糧自足体制の瓦解や若者の地方流出、教科書等で一度は耳にする小作問題などにより、当時から今日でいう"食料安全保障"が声高に騒がれていました。
そのような状況下で、柳田氏は悲観論とは一線を画し、近代の産業社会に農業が適合するべく、規模拡大による自立経営の形成を主軸に農政論を展開します。
これはのちに戦後、農業の憲法と謳われた農業基本法の理念と合致するものでありました。
こんな形で、大変広範な農政論を展開しておりますので、全て網羅することは到底不可能ですが、低学歴境界人のメモ録という当ブログの方針から、自身がチェックした箇所を中心に抄録していくという極めて利己主義的な記事にお付き合い頂ければなぁと思いま..(殴
私もかつて小農を営んだ百姓の家系の身として、また規模を縮小しながら農業を営む親戚から食料を少々恵んでもらう乞食泥棒()として、見聞、風景等を思い起こしつつ、当論文の抄録を綴っていきたいと思います。
本論
我が国固有の食料安全保障問題
柳田氏の農政論の初期作に彼が抱懐する我が国の農業問題をうまく纏めた記述があるので、まずそちらを確認してみましょう。
つまり、彼の論旨としては、
耕地面積が狭い。
農戸、農業従事者が多い。
耕地面積が極めて小さい細農が多数。
といった3つに大別できるかと思います。
少なくとも、一農戸に対しては二町歩以上の田畑は持たせたいというのが柳田の理想でありました。現在では全国平均二町歩以上ですけど、明治大正となると8,9反前後と一町歩未満がざらでしたので、この細農にして小作人等の農業従事者の過剰需要がまさに歪な我が国の農業に問題をきたしていると柳田氏は分析したわけです。
別の教科書的な論稿では、諸外国との対比を提示しています。
イギリスは、農戸の74%が20町歩以上の耕地で経営し、小農の多いフランスでさえ、84%程が1町歩以上を保持していると指摘しています。
昔のデータですから、数値は大いに変動しておりますけど、主要国における耕地面積や一農戸あたりの耕地面積でのランキングは、やはりかなり劣位にあるというのが現状のようです。アメリカ、カナダ、オーストラリアは怪物級ですね、はい...
このような日本の細農制を看過し、今日でいう食料安全保障なるものを大成するのは可能であるか?...江戸期のようにしばしば奢侈禁止令を以て、絹布の不使用(高級衣料)、米を節約し粟や稗を多く摂取せよとの大号令は、新時代にはまず行え得ず、食料自給でいっても、明治当時において肥料は海外から多く輸入・依存しており、山野の緑肥活用の管理方法もまだ未熟である...と実に鳥瞰で物事を分析していることが窺えます。
今では河原、山野の公有地でそのような採取は厳しくなっておりますし、ガキの採取遊びにも発狂する現代の隣組オバハンがいるぐらいですから、もう入会地とかそういった概念も通じない大人が随分と増えてきたものです。(とはいっても、遡上する魚を採取するどこぞの低学歴クソガキにはなってはいけませんが...←)
たまーに、落葉等、緑肥を集める老夫婦を見かけると何か思いが込み上げてきます。
兎にも角にも、山野等の緑肥の管理方法が今日において改善しているか、少し注意を払う必要があるように思えます。
元祖『半農半X』について
柳田氏自身、再三述べている通り、日本には少なくとも純農と呼べる者は少なく、米以外にも畦に他の作物を育ててみたり、鶏を飼ってみたり、山林の経営、漁業等々...いわゆる兼業農家というのが多勢であったが、近代の大規模経営、資本主義社会にあっては、農業知識に専念させ、分業化しないと徒労を繰り返すのみになると、ここでは、警鐘を鳴らしていることが読み取れます。
今では半農半Xなるものが、俄かに騒がれているようですが、社会全体が裕福でなく、産業革命にあって、大量生産・大量消費が通念とされた当時では、実直にまずは分業化と専業化ということが喫緊の課題だったのでしょう。
柳田氏自身も後段で、確かに細農ながらも自由独立な彼らを土地から切り離し、保守的分子を削ぎ落とすのかという指摘を受けそうだが、当時の小作人の問題等を顧みて、これを裕福と言えようか、少なくとも"農業問題"としてはこの指摘は適当ではないといった旨を述べられております。
農業の性質について
つまり、性質として、農業は原料を加工する点において製造業と同一であるということです。後段には、相違点として、色々と土地利用法や生産期の問題で他より多額の資本を要する旨を滔々と述べておりますが、まず、大まかな区分法について疑義を呈されたのは画期的なことではないかと思われます。
農業は、その旧来の思想より安定的職業と目されるが、競争原理は農業従事者に等しく適用されるし、他の商工業同様、算盤を弾いて、将来の計画を立てる必要性がますます求められていると後述されています。
この章で参照している論考は、農政論を仔細に入った今でいう概説書にあたるものになるので、やや細かい話にはなっておりますが、やはり、性質としては工業等に類するということなのでしょう。
ムム、ここまで聞くと農業も営んでいる親戚が近頃、田んぼを近所に貸した?譲った?という話を伺いましたが、やはり、それだけで生計を立てるのも、また、維持するのも相当なリソースを割くという事でしょう。祖母からも昔話程度に聞くぐらいですし...
結論
柳田氏の農政論のうち、主要箇所ないし個人的にメモ録として残したい箇所を雑記させていただきました。
極めて利己的なメモ録という感じ()ですけど、本論見れば、かなり広範なテーマを扱っていることをご理解頂けるかと思います。
本論冒頭の主旨ないし大別した3点を中心として、急勾配の多い日本の地形を念頭に、土地の細分化を防ぐ農地管理や細分化に伴う細農の中農化、需要過剰であった農業従事者の削減、信用組合・産業組合・消費組合といった形で、細農でもなるべく固まってまとまった資金運用や経費削減、機械の貸し借り等々...(息切れ
近代の資本主義社会に適合ないし立ち向かうべく術数を実に詳細に記されているので、本論の文字通りの"牽強付会"感を直に感じられた読者諸賢の皆様は、今回参考にした2冊の本を是非とも手に取って頂ければと思います。
とまぁ、こんな感じで、今回はこの辺りでお開きにしたいと思います。次回はいつになるやら...そして、柳田國男シリーズもいつ終わるのか、皆目見当もつかないですが、引き続き、ご贔屓の程、宜しくお願いします。
ではでは
〇備忘録
・田舎と都会との労力配賦について
いわゆる家庭菜園のブームも当時からあった模様。
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