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あなたは小学生に勝てるか!?論理的思考力が急上昇する国語の教え方

朝、空が明るくなるのが遅くなってきました。

夏は空が明るいので、自然と早朝に目覚めるのですが、冬はまだ暗い中起きる時は、気愛が必要です笑

日々、ふとんから出るのを戦っているりょーやんです笑

共育LIBRARYへようこそおいでくださいました✨

教育、人間、人生など、様々な「知恵」や「情報」が詰まった図書館のような、皆さんがくつろぎ、人生の「気付き」を得たり、知的好奇心を満たしたりできる居場所を目指しています😌

どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。

共育LIBRARYりょーやん、元教師です。


ある年の5年生に以下のような詩を授業したことがあります。

たった1行の詩です。

みなさんなら、この詩から何を読み取りますか?

作者はどのような人物だと考えますか?

当時の5年生の1人は、この1行の詩から、原稿用紙25枚にも及ぶ分析文を書いてきました。

一部を抜粋します。

この子どもが論じているのは、「話者(詩の語り手)はどこから見ているのか」というもの。

授業で実際に共有した図も合わせて読むと分かりやすいと思います。

授業中に板書した図

私は、話者の視点は、Aだと考える。

理由は四つある。

第一に、詩に「行った。」と書いてあるからだ。例えば、「来た。」や「来る。」であるならば、Aの視点は「おかしい。」と言える。
しかし、「来た。」「来る。」でもない。「行った。」なのだ。
「行く」を辞書で調べると、「そこから遠ざかる。目当ての所へ出かける。」と書いてある。
よって、Aの視点にあてはまる。
話者は、Aの視点だと考える。

第二に、ちょうちょうが進行方向にわたっているのが分かるからだ。
例えば、視点がDだとしよう。
図にかいたように、赤い点線までしか見えない。
もし、ちょうちょう(てふてふ)がDの視点で、視かいに入らないところで切りかえていた場合「行った。」と言い切ることができないからだ。
それにくらべ、Aの視点だと、切りかえた場合が分かる。
しかし、「行った」と言いきれているのならば、むこう岸についたのを、見とどけたから、言える言葉であるからだ。
よって、Aの視点だと考える。

これで原稿用紙1枚分。

このような論調が、「作者は日本にいるか」「作者は幸せか」などの様々な視点で25枚に渡って展開されるのです。

小学5年生ながらに、根拠を示し、奥深い視点で、納得させるような論を展開している。

筆者が小学生の頃は、とてもこんなレベルの分析文を書くことができなかったと思います。

このような分析を自主的に行ってくる子が何人も現れるのです。

筆者は元小学校教師。
10年間で様々な学年を経験し、様々な教材を授業してきました。

スマホ、SNSの存在により、多様な手段で情報を入手できる現代。

「国語離れ」の傾向が強く現れてくるようになってきています。

ただ、そんな子どもたちも、筆者が1年間教えていく中で、国語の面白さに目覚めていった人が、1人、また1人と増えていきました。

ある保護者からは、

「先生の授業や子どもにやらせることは、どれも社会に出てから役立つものばかりだ。」

と言われたことがありました。

それは、筆者が、

「実際に役立たないものや、子どもの脳の栄養にならないことを教えても意味がない」

と思っているからだと思います。

子どもが自分で1つの詩の解釈を掘り下げる探究心を身に付ける。

自分や仲間と対話をしながら深い思考力を身に付ける。

そうやって、「自分自身で発見できる喜び」を知ったならば、現状よりも一歩、国語が好きになること間違いなしです。

この記事では、子ども自身が詩を分析する視点や、深い思考力を身に付けていくステップをお伝えできればと思います。

小学生に挑むつもりで!?読んでいただけると楽しいかもしれません笑

是非、最後までご覧ください。



国語は「宝さがし」と「謎解き」!!トレジャーハンター・名探偵になって読み解こう!

筆者はよく、国語(特に詩歌)の勉強を、「宝探し」や「謎解き」に例えます。

国語の教科書に載っている作家や作者は言葉のプロです。

言葉をどう使うかでお金を稼いでいる人たちです。

俳句でいえば、わずか17音の文字を何日も考え続け、「これしかあり得ない」という組み立て、順番、表記、響き、リズムで作品に仕上げます。

だからこそ、一見何のことか分からない詩であったとしても、そこには「作者の隠された意図や思い・願い」が隠されています。

巧みな言葉の鎖で、何重にもプロテクトをかけてあるのです。

その謎を1つ1つ読み解いて、最後に、作者が埋め込んだ「宝」にたどり着くのです。

どうですか?なんだか聞いていてワクワクしてきませんか?

このようなマインドで、「国語」という教科を、「つまらない」から「ワクワクする」ものに変えていく。

これが、まずスタートになります。

ここからは、「守・破・離」の手順と同じように

▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢

❶楽しい授業の体験
❷詩の分析の視点を育てる
❸手放す

▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢

という流れで1年間の授業を構成していきます。

本当は、もっと細かいステップで徐々に段階を上げていくのですが、とんでもない長さになってしまうため、「これは」というポイントに絞ってお伝えします。


「国語は楽しい」を体感させる

子どもが詩を読解できるようになるためには、年度始めに、良質な「知的興奮」を味わえるような詩の授業を行うことが大切です。

全てを紹介することは難しいので、とても簡単な詩を1つと、少し複雑な詩を1つ紹介します。

まずは、簡単な詩の方から。

年度始め、国語というものは「文中の中から根拠を見つけて論じていく」教科だということを教える必要があります。

それを教えるのに使うのがこの詩です。

問うことは1つ。

「朝ですか。昼ですか。夕方ですか。」

皆さんはどう考えますか?

子どもですので、例え高学年であっても瞬発的に考える子も多くいます。

だからこそ、意見が割れる。

このような意見が割れる教材と発問(問い)を扱うことが、国語を知的に面白くしていくためには、絶対に必要なのです。

ちなみに、この詩では毎年のように以下のような意見が出ていました。

だと考えます。なぜなら、「雲がかがやいている」と書いてあるからです。雲がかがやくということは、太陽が南にのぼっているということです。だから、昼の時間帯だと考えます。

だと考えます。なぜなら、「あ、今、太陽が山をはなれた」と書いてあるからです。太陽が山をはなれるということは、太陽がのぼっているということです。ということは朝日がのぼっている朝だと考えます。

夕方だと考えます。なぜなら「あ、今、太陽が山をはなれた」と書いてあるからです。太陽が山をはなれるということは、太陽がしずむということです。だから夕方だと考えます。

ここからは解釈の違いを可視化させます。

代表者に、簡単なこの詩の図を板書してもらうのです。

すると、「夕方」は違うという結論になります。

ただ、「朝」か「昼」なのかはなかなか決め切れません。

双方の意見交流を行うのですが、

「はなれた」は確かに太陽がのぼっているから「朝」だと考えられますし、

「山の大きさ」「詩の語り手が見ている視点の角度」によっては、大きい山を離れた瞬間が丁度太陽が真南にのぼる瞬間かもしれません。

そんな答えを絞り切れない討論が巻き起こることこそが国語の醍醐味。

このような話し合いを通して、思考力が鍛えられていきます。

さて、

今度は、少し複雑、且つ、奥深い詩の例としての授業のご紹介です。

一見すると、ただ、琴が置いてある秋の美しさを表現した詩であるかのように思えます。

しかし細かく注目していくと、さらに奥の世界へと続く扉が開かれていくのです。

ここからは発問を中心とした授業形式で流れを書いていきます。

まずは、誰でも分かるところから始め、授業の離脱者をカバーします。そして、少しずつ、メインテーマに近づく発問を入れていきます。

「あかるさ」「琴」「素朴な琴」「秋の美しさ」などがあげられます。このように自由気ままに思ったことをまず表出させるのです。そして、意見を交流させます。

ここでの最大の論点は「琴は見えているのか」ということです。

多くの場合、「見えていない」と主張する子どもが数人出てきます。

なぜなら、「~ば」という仮定の形で書かれているからです。

もし全員「見えている」となっても、「では、全員一致で100%、いや1000%絶対見えているということでいいですね?」と言えば、必ず反対意見が出てきます笑

ここでは、結論を出さず、保留にして先に進みます。


これは、「聞こえていない」となるでしょう。

「おくならば、鳴るであろう」という予測の段階であるためです。

このように理由を述べさせ、文中の言葉に注目させます。これが国語です。

これは、思い思いに考えさせます。

この発問が、後半の展開に意味を持つようになるからです。

詩というものは、何重にも構造的に考え抜かれて、「絶対にこの言葉でなくてはならない」というものが使われています。

「耐える」という言葉は、「苦痛に耐える」「辛さに耐える」のようにマイナスのイメージをもつ言葉です。

しかし、この詩では、「美しさに耐へかねて」となっています。

ここに違和感を感じます。

このような場合は、別の言葉に置き換えて、「なぜこの言葉でなくてはならなかったのか」を考えさせる発問をしていきます。

この発問は難しいので、意見はあまり出ないかもしれませんが、違和感を持たせることが大事です。

詩には、作者の作品の傾向が現れます。そこで、八木重吉の他の作品を持ってくるのです。

「吐く」「肉をみせるように」「つめたくなり」「死ぬまい」といった言葉から暗い詩だということが分かります。

八木重吉の詩を制作した時代ごとに並べると、死期が近づいていく内に、詩の内容が「終わり」を連想させるものに偏ってきている傾向に気付きます。

その教師しか持ちえない情報を子どもたちに共有するのです。

自分の死期を悟ったからこそ、「今ある命の有難み」や、「生のすばらしさ」を強く感じていたのでしょうか。

ここで、中盤の発問に再び戻ってきます。

そして、中盤の時とは、詩の見え方が変わっているはずです。

これが「あれども見えず」を発見させる詩歌の授業。まさしく謎解きです。

どうですか?ワクワクしませんか?

この詩は教科書に載っている教材なので、題材として適切だと思い、載せていますが、目の前にいる子どもによって、もっとシンプル且つ知的な詩を選ぶこともあります。

あくまで一例として捉えてもらえればと思います。

このような詩の授業を、非常に簡単なものから結構奥深いものまで、5~6個程度経験値を積んだら、次のステップに入ります。


詩歌の分析視点を子どもに育てていく

詩歌の分析視点をどう子どもに育てていくのか。

その答えは非常に簡単です。

それは、「手本」となる「発問一覧表」を常時持たせることです。

これは、様々な詩歌の良質な発問を筆者が抽出し、視点ごとにまとめたものです。

種明かしをしてしまえば、

「何だ。これだったら誰でもできるじゃん。」

と思う方もいると思います。

この「誰でもできる」という思いが大切です。

子ども自身も、「これならできるかも」と思うことによって主体的に発問を考えるようになります。

年度始めにこの一覧表を渡し、知的で楽しい授業を体験させる度に、

「今日の授業で出てきた発問に丸をつける」

ようにします。

そのように、少しずつ、

「なるほど。こういう質問をすると、詩が深く読み取れるんだ。」

という感覚を植え付けてから、少しずつ、自分たちで発問を考えることに「挑戦」させ始めます。

例えば、以下の授業。

子どもに発問表を見ながら、思いついた発問をとりあえずどんどん書かせる。

クオリティはまだ問わず、挑戦していることを奨励する。

そして、ノートを授業後に回収し、教師が集約し、その中から幾つかをピックアップして授業で扱う。

「どの人もキラリと光る素晴らしい発問があった。その中でも複数の人に見られた発問を選んで授業をします。」

と言った形で。

発問表を見ていれば、

「『○○』を漢字に直すと何になりますか」

という発問を見て、

「『ほのお』を漢字に直すと何になりますか」

に変換することができます。

すると、クラスのみんなも、

「そういえば題名は『焔』なのに、最後だけ『ほのお』になっているな。」

と気付き、詩を深める視点を全体で共有できるのです。

後は、場数をこなし、「良い発問」とは何かを経験していくことにより、詩の主題に迫る発問を選定する視点が育っていきます。

これができるようになると、詩の分析はかなり楽しくなってきます。


子どもたちだけで授業を進める

4月から、少しずつ分析の視点を培い、段々と子どもに任せる部分を増やし、手放す段階になった1年の終わり。

いよいよ子どもたちだけで授業を進行させます。

とは言っても、子どもたちから出てくる発問を全てとりあげていては時間はいくらあっても足りません。

そして、発問の重要度や選定はある程度教師が交通整備をして、話し合いの舞台を整える必要があります。

そこで、以下のような手順で授業を進行します。

▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢

①ノートに発問を5つ書かせる
②書いた人から教師に見せに来る
③教師は5つの発問の中で、最も詩の主題に近づきそうなものに〇を付ける
④〇を付けた発問を黒板に書かせる
⑤黒板に様々な発問がずらりと並ぶ
⑥たくさんの発問の中から、主題に迫る発問を選ばせ、挙手させる
⑦数の多かったものを5つ程度に絞る
⑧教師が発問の順番を調整し、授業を進める

▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢▢

このような形で授業を進行すると、発問の質がグッと上がります。

また、教師が黒板に書かせる発問を調整できるので、あらゆる視点、且つ、知的な面白さを伴う発問をズラリと並べることができます。

当時はまだ、タブレットが導入されていなかったのですが、今だったらタブレットに打ち込ませて共有させてもよいでしょう。

その共有された情報を見て、迷って手が止まっている子どもが、安心して進めることができるようになります。

さて、ここからは、子どもたちが実際にどのような発問を出し、どのような話し合いを進めていったのかをお伝えします。

題材は、以前も記事で紹介した、教科書教材の「ふるさと」室生犀星です。

この詩のテーマに迫るために、子どもたちは以下のような発問を考え出しました。

・「つつしむ」は漢字に直すと「謹む」か「慎む」か。
・なぜこの詩の題名が「ふるさと」なのか。
・木の芽は一つか。それとも複数か。
・「もえよ」はなぜひらがななのか。
・一行目の「とけ」はひらがなだが、二行目の「とけ」は漢字になっている。なぜか。
・何が見えているか。
・「もえよ 木の芽のうすみどり」を2回繰り返しているのはなぜか。
・季節はいつか。
・話者がいるのは家の中か。外か。
・あたたかいか。さむいか。
・木の芽がもえているとはどういうことか。
・雪はふっているか。
・人間はいるか。
・雪は積もっているか。積もっていないか。
・「ひとり」とはだれのことか。
・この詩は明るい詩か。暗い詩か。

1年間に培ってきたものがここで表出します。

どれも素晴らしいものばかりなのですが、この中からさらに話し合いたい発問を5つ程度に絞るのです。

そして、いよいよ話し合いスタート。

ちなみに、この「ふるさと」では、子どもたちは以下のような意見交流を行っていました。

【発問】「とける」は「解ける」「説ける」「溶ける」「とける」どれがふさわしいか

・「あたたかくとけ」ているのだから、液体になっていることを示しているので、「溶ける」。
・冬が終わり、春になることで自由になっているからこそ「解ける」である。
・「あたたかく」もひらがなであり、この詩のイメージを作者は大事にしているからひらがなのままが良い。

【発問】季節はいつか

・春・・・「うすみどり」が見えているということは、春。
・冬の終わり・・・話者は雪がとけていることをまだ見ている。雪が残っているということは、冬。
・夏・・・「みどり」が見えるということは、夏のはじめ。
・季節は夏。これは、話者がふるさとの冬、もしくは春の風景を思い浮かべている。

【発問】この詩は明るい詩か。暗い詩か。

・木の芽のうすみどりが見えているということは、春の訪れ。だから明るい詩である。
・「ひとり」というのは、孤独というイメージ。だから暗い詩である。
・「つつしむ」を漢字に直すと「慎む」と「謹む」。「慎む」は、「しんちょうに」といった意味であるため、暗いイメージ。一方で「謹む」は、「お祝いごと」を表す。だから明るい詩。

【発問】木の芽が「もえる」とはどのような意味か

「もえる」を漢字に直すと「萌える」と「燃える。」この「もえる」は両方の漢字があてはまる。「萌える」は植物の芽が出てくる意味で使われており、「燃える」は、これから「うすみどり」の芽が、春になって「桜色」に変わることを示している。その色の変化と言う意味で、赤いイメージの「燃える」を使っている。その2つの意味を両方ふくめているからこそ、どちらでも考えることができるひらがなの「もえる」にしてある。

最後の

「『もえる』は2つの意味をもつからあえて平仮名表記にしてある。」

という意見を聞いたときは、

「なるほど!すげぇ!!」

と筆者は心から感心してしまいました。

このような授業を行う前に、教師は教材研究をして自分でも分析をしてみるのですが、このように、小学生に自分の解釈を超えられる瞬間が、国語の授業は訪れます。

「やられた!」

という悔しさもあるのですが笑、純粋に子どもたちの自由な発想力を尊敬してしまいます。

この授業では、まだまだ他にも面白い意見が生まれていました。

さらに、休み時間になっても、あちこちで意見の交流が行われる状況が自然と発生していたのです。

教師が一方的に教え込んだ授業ならばこうはなりません。

自分たちで発見した喜びがあるからこそ、あちこちで知的興奮を覚えた子どもたちが、自発的に勉強に関することを話題にするのです。

筆者は、これが「主体性」だと思っています。

学年が変わった後も、

「先生の授業、めちゃくちゃ面白かった。もう一回受けたい。」

と色々な子どもに言われました。

子どもは本来、学ぶことを楽しいと思うものなのです。

そして、面白いのは、このような授業を行うと、必ず、「普段なら活躍できない子どもが活躍する」のです。

なぜなら、正解がないから。

塾で予習していても、自分の頭で考えなければ、意見は生み出せません。

失敗を恐れず、一歩を踏み出せる挑戦型の子どもたちが活躍し、皆もそのように育っていきます。


まとめ

国語は全ての教科の中で一番教えることが難しいといわれています。

なぜなら、答えが存在しないものが多くあるからです。

一方で、「答えが存在しない=自分で思考する楽しさを味わえる」教科だと筆者は思っています。

答えを一つに絞らないからこそ国語は面白く、奥深いのです。

思考力を鍛えるためには、国語の力を伸ばすことが最も効果的です。

全ての教科に影響を与える基幹教科といわれる国語。

その国語の力を伸ばしたのならば、学習面全般の底上げができるのは、必然でしょう。

まだまだ、国語の魅力は語りつくせません。

漢字、作文の教え方、物語の読解、言葉遊びなどなど、様々な国語の魅力を教える方法を伝えていくことができたらと思います。

この記事は、長さを考えて、1年間のステップの大まかな部分しか見せていないため、粗いステップに見えてしまいますが、

実際は100段階ぐらいのスモールステップで進めているので、非常に簡単な詩や題材から学習をスタートしています。

子どもにいきなり過度なことを要求しているわけではないので、そこはご理解いただければと思います。

その他にも、国語のときめく!?授業は記事にしていますので、よろしければご覧ください。


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(2023.12.4~12.10)

【月曜日】
先生、バレンタインデーにチョコを持っていくぐらい・・・いいでしょ?
【火曜日】
心は傷つかない!?メンタルが強くなる「コトダマ」10選
【水曜日】
きみたちは「20代」をどう生きるか? 20代の修行法(一部有料)
【木曜日】
あなたは小学生に勝てるか!?論理的思考力が急上昇する国語の教え方
【金曜日】
実はそこまでレアではない?10人に1人はいるギフテッド教育の実態
【土曜日】
あなたの人生が「山あり谷あり」なのにはカラクリがある+謎を解く方法とは?
【日曜日】
企画力・イベント運営力はこう育てる!子どもの主体性を引き出す「会社活動」

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