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【元教師】「発達障害は増えている」は本当か

こんにちは!共育LIBRARYというブログを運営しているりょーやんと申します。

9月11日のニュースで「発達障害の増加で児童精神科の待機問題が起きている」という内容が報道されました。

よく「発達障害が増えている。」という話を耳にします。

発達障害は脳の特性です。遺伝的な要因で受け継ぐことが多い発達障害ならば、急に増えるというのはおかしな話です。単純に「今まで認識されてこなかっただけではないのか。」と思ってしまいます。

しかし、実際には発達障害は増えています。

筆者は元小学校教師です。2023年3月まで10年間教師として働いていました。

確かに10年という歳月の中で、明らかに発達障害は増えているという感覚があります。では、なぜ「増えた」と言われるようになったのでしょうか。

この記事では、発達障害が増えたと言われるその理由と、教室でのリアルな様子を解説していきます。


発達障害の定義

まず、「発達障害」という呼び方自体が変わってきています。近年は「神経発達症」と呼ばれるようになってきました。

世間に浸透している「発達障害」と呼ばれる症状は、脳の特性からくるものであって、「障害」ではないからです。

しかし、この記事では、便宜上、「発達障害」と書かせてもらいます。そちらの方がイメージしやすいと思うからです。

発達障害が増えていると言われる原因は、その定義にあります。筆者が発達障害について勉強しているときに、実際に心療内科のドクターに会いに行き、聞いてみたことがあります。するとドクターは発達障害をこう定義しました。

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「得意なこと不得意なことの凸凹の差が大きく、かつ、適切な配慮や支援があっても社会に適合できない状態。」

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「状態」であって、その人そのものを指しているのではありません。つまり、得意・不得意の差が激しくても、社会に溶け込むことができていれば発達障害ではありません。

もっと言えば、周囲からの理解がなく、発達障害だと診断されてしまった人が、働きやすい職場に行った結果、上手く溶け込め、発達障害ではなくなったということが在り得るのです。

発達障害は、周囲の環境に左右されるということが分かってもらえたのではないかと思います。ということは、「発達障害が増えている」のは、環境が変化しているからと捉えることができるのです。

発達障害が増えた理由

発達障害が増えたとされる理由は主に2つあります。「発達障害の認識が世間に広まった」「社会が複雑化した」という2つです。それぞれ解説を加えていきます。

発達障害の認識が世間に広まった

これは、読者の方々もどことなく感じていたことではないでしょうか。10年前、20年前に比べて、明らかに、発達障害という存在が世間に認識されるようになってきています。

2000年前後では、知的障害といった言葉が主流だったように思います。しかし、ADHD、ASD、LDといった様々な特性が明らかになり、それが広まってきました。

世間が認識することにより、「わが子は発達障害じゃないか。」と思う保護者は当然増えます。

他にも、「大人の発達障害」という存在にも注目が集まるようになりました。今までどこかで生きづらさを感じていた人々が、発達障害の症状に当てはまるということに気付いていったのです。何を隠そう、筆者もその一人です。

一方で、発達障害は「得意なこと不得意なことの凸凹の差が大きく、かつ、適切な配慮や支援があっても社会に適合できない状態。」であることを既に述べました。

ただ、この定義はあまり浸透していない気がします。だから、「症状が似ていれば発達障害だ」とやたらと自分たちで認識するようになってしまったことも、発達障害が増えている原因だと言えるのではと思っています。

社会が複雑化した

ひと昔前は、「あの人は職人気質だから」という言葉が存在しました。自分の仕事に強い「こだわり」をもっている人たちです。

その人たちは、現代では発達障害と診断される可能性があります。しかし、適切な職業に就くことによって、その力を生かして、社会に適合することができていたのです。

対して、現代はどうでしょうか。現代は情報があり過ぎて、社会が非常に複雑化しています。あらゆる情報に触れておけなければ情報弱者になってしまいます。

パソコンの機能も様々使えなければいけません。給料も上がらないので、節約し、上手に切り詰める生活力も必要です。

人間関係を保つコミュニケーションスキルも大切になってきます。スマートフォンに頻繁にくるメッセージに対応しなければいけません。

子育てをしているならば、子どもの愛情を育む力も必要です。そして、自分自身の心身のバランスを保つメンタルコントロールも大切になってくるのです。

ひと昔に比べて、あらゆる面で完璧さが求められるようになってきています。だからこそ、それに適合できない人たちが現れてしまうのです。

そもそも、人類というものは何百年、何千年、何万年という時を経て、ゆっくり進化してきました。しかし、今は社会が変化していくスピードが速すぎます。進化が全く追いついていません。

これでは生物学上、社会についていくことができずに、発達障害になってしまう人が急増したとしても、仕方のないことではないでしょうか。

そして、これからも増えていくことが予想されます。

発達障害の割合

では、学校の教室にいる子どもたちの発達障害の割合はどの程度なのでしょうか。

文部科学省が発表した調査によると、「通常の学級に在籍する特別な支援を必要とする児童生徒の割合」は8.8%だと記載してあります。約10人に1人です。これは本当でしょうか。

ここで興味深いデータを紹介します。

『「学ぶ・働く」の可能性を広げる環境整備や合理的配慮』(一般社団法人LD学会)によると、高等学校における障害のある学生数とその比率はアメリカが19.45%、イギリスが17.30%、そして日本は1.17%と記載されています。

アメリカやイギリスは、高等学校ですら障害のある学生の割合は約20%です。対して、日本はわずか1%程度です。

高等学校ですら5人に1人が障害をもっているのですから、小学生はもっといると考えるのが妥当だと思います。発達の凸凹というのは、成人に近づくにつれて、症状は徐々に穏やかなものになっていくからです。

このようなデータを見ると、日本の8.8%がいかに怪しい数字であるかが分かると思います。では、ここからは、実際の小学校現場の実情を話していきます。

教室の中にいる発達凸凹

結論から言うと、発達に凸凹を抱えている児童は20%~30%いると考えられます。

例えば、筆者がある年に受け持った3年生24人。

まず、ADHDの症状が見られる子どもが5人いました。衝動性や多動性が強いタイプが3人。不注意の要素が高いタイプが2人です。この内の1人は愛着障害を併発していました。

さらに、LDの症状の子どもが2人。2人ともディスレクシアという読字障害の症状をもっていました。学習支援は必須です。

また、自閉スペクトラム症の症状が見られる子どもが1人。この子は自分が「やりたくない」「できない」と思った活動にほとんど参加できない症状で、机の下に潜って出てこないといったことがよくありました。

これだけで既に8人。24人中の8人なので30%を超えています。しかし、まだまだ配慮が必要な子どもはいます。

場面緘黙の子どもが1人。教師に対しても、友達に対しても、ほぼ、話すことができません。授業で何か言葉を発するということは、まずできませんでした。

また、不登校傾向やHSPといった繊細なタイプの子どもが4人いました。遅刻をしてくる回数が多い子どもが1人。繊細で傷つきやすく、心のダメージを上手く処理できない子どもが3人。

この内の1人は、元々メンタルダメージを非常に引きずりやすい特性ももっていたので、学年が上がったときに不登校になっています。

さらに加えるのならば、自己肯定感が極端に低い子どももいます。HSPの子どもは、自己肯定感が低いことも多いです。上記のメンバーに加え、もう2人、大幅に自己肯定感が低い子どもがいました。

ここまであげた配慮を必要とする子どもの数を合計すると・・・15人。50%を超えています。

この年に受け持った学級は、学年主任ということもあり、「主任のクラスに支援を必要とする子どもを集める」ということだったので、ここまでのパーセンテージになっていると思います。

それでも、どの学級にも、20%~30%は配慮を要する子どもが存在しているはずなのです。

発達凸凹の子どもの症状

ここからは、上にあげた教室に見られる配慮を要する子どもの症状を簡単に説明していきます。

ADHD 注意欠如多動症

ADHDは、「不注意」「多動性」「衝動性」という3つの症状をもっています。

不注意は、注意を持続させることができない症状です。しかし、集中力がないわけではありません。逆に、並み以上の集中力を発揮する子どもが多いです。

ただし、そのコントロールが自由自在にできません。だから、先生の話を聞かなければならないときも、違うことを考えてしまったり、自分の世界に浸ってしまったりします。

これも、ある種の集中力です。そして、自分の好きなことや熱中することに出会うと驚異的な集中力を発揮します。

多動性は、言葉の通り、とにかく動く症状です。

低学年だと離席が顕著な例です。座っていても貧乏ゆすりをしたり、手先で何かをいじったりする姿もよく見られます。

高学年になると、目立った体の動きは見られずとも、頭の中が多動だったりします。とにかくどこかがグルグル稼働していないと落ち着かないのです。

衝動性は、突発的な行動に出てしまう症状です。けんかをして手が出てしまったり、先生の話の途中で口を挟んでしまったりはこの症状が原因です。

しかし、行動力があるという良い面の裏返しでもあります。考えるよりも先に体が動き、人よりも多くの体験を得ることができるのも、この症状の利点であると言えるでしょう。

ASD 自閉スペクトラム症

自閉スペクトラム症の症状をもつ子どもが、学校生活で困るのが「対人関係」と「こだわり」です。

自閉スペクトラム症の子どもには、想像力の欠如という特徴があります。彼ら彼女らは、視覚で捉える機能が高いが故に、目に見えないものを想像することが不得手です。

特に、人の気持ちを想像したり、空気を読んだりということにつまずきが生じます。そこから浮いている存在になってしまったり、距離をおかれてしまったりという現象が起こりやすいです。

ただ、面白いキャラクターという捉え方もできるので、そのような温かい雰囲気のクラスにいれば、居心地良く過ごすことができると思います。

もう一つは「こだわり」です。自閉スペクトラム症の症状として何らかに「過敏性」をもっていたり、「完璧主義」な思考をもっていたりすることから、「こだわり」が生じます。

例えば、匂いや肌触り、大きな音など、並み以上に不快感を感じるものあります。そして、そのような食事や活動を避けるようになります。

また、自分の思うようにいかなくてパニックになってしまったり、「自分にはできない」と感じる課題に取り組もうとしなかったりという行動がよく見られます。

LD 限局性学習症

LDは、学習をする上で、一部分のみがうまく機能していない症状を指します。「読む」がうまく機能していなければディスレクシア、「書く」がうまく機能していなければ、ディスグラフィア、「計算」がうまく機能していなければ、ディスカリキュアといった具合にです。

特に学校現場で多くいる印象があるのが、ディスレクシアです。

文字を読むことに凹みがあるので、そもそも、どのテストでも点数が低くなりがちです。話は理解しているし、口でも答えることができるけれど、読み書きになった途端に手がとまる・・・といった感じです。

LDの症状をもつ子どもは、とてもがんばり屋さんが多いです。並み以上の努力をし、何とか進度についてこようとします。

でも、「間違えたらどうしよう」というプレッシャーを抱えたまま並み以上の努力をしていては、いつかは疲れ切ってしまいます。

だから、ちょっとした工夫を勉強に取り入れ、その子どもに合わせたデザインの学習方法を一緒に見つけていくことが大切です。

ディスグラフィアもディスカリキュアも、ディスレクシアの子どもと基本的に同じようなつまずきが見られます。

ディスグラフィアは読むことは問題ないが、書字に大きな凹みがあるパターンです。ディズグラフィアだけもっている子どもはあまり見たことがなく、大体、ディスレクシアと併発しています。

計算に凹みがあるディスカリキュアもそうです。読字、書字の凹みと併発している子どもを多く見てきました。いくら教えても、「わり算筆算の手順が分からない」「九九が覚えられない」などです。

ただし、LDは脳の記憶機能をつかさどる機関に凸凹がある場合があるので、様々な面から手立てを打つことが大切です。

場面緘黙(選択性緘黙)

場面緘黙とは、家や家族だけで外出したときには普通に話すことができるのに、幼稚園、保育園、学校など社会的場面では話すことができない状態を言います。

男子よりも女子が発症することが多く、調査では0.2~0.5%の発症率だと言われています。筆者も10年間教員を勤めて、受け持ったことがあるのは2人だけです。

場面緘黙は不安から生じる一種の恐怖症の一つではないかと言われています。多くの緘黙児は、不安になりやすい気質を生まれつきもっている可能性が高いです。筆者が受けもった緘黙の子どもも、お母さんが、場面緘黙だったと聞きました。

場面緘黙の子どもにとっては、学校という場所に来るだけで、常に舞台の上で発表会をしているかのような緊張レベルだということを調べたことがあります。

人とのコミュニケーションという、注目を集める行動に不安が生じてしまう。黙っていると一時的に不安が軽減されるため、緘黙によって不安に対処することになります。

場面緘黙の子どもがクラスや学年にいるのならば、スピーチや発表会などの「話さなければならない」場面では配慮をすることは必須です。

その子どもは、「書いて提出」する形にしても良いですし、別の役割を与えても良いかもしれません。本人が「みんなと同じようにやりたい。」と言えば、もちろんその意思を尊重することが大切となります。

HSP/不登校傾向

HSPとは「ハイリーセンシティブパーソン」の略で、繊細な感性ももっている人のことを指します。5人に1人いると考えられているのですから、かなりのパーセンテージです。

学校には様々な子どもたちがいます。そして、子どもたちの友達へのコミュニケーションの取り方も多彩です。今は、家庭内教育を地域で共有する場もないので、教育方針は本当に家庭それぞれになっています。

よって、子どもたちが使う言葉の選択や、冗談・ふざけといった仲良くするためのコミュニケーションにも度合いの濃淡が表れます。

HSPの子どもは、同じような繊細な感性をもっている家庭で育ちます、すると「お前ふざけんなよ~」と冗談で軽く肩を叩かれても、不安になってしまったりするのです。

「先生、○○君に、肩を叩かれました。」といった具合にです。女子同士のグループ内のいざござにも、HSPの子どもはひどく心を痛めてしまいます。

また不登校傾向をもつ子どもも学年に一定数必ずいます。

低学年の時点で、学校に行くと非常に疲れてしまったり、学校という決められた通りにしなければならない社会に拒否反応を示してしまったり、先生に叱られたことがトラウマになってしまったりと原因は様々です。

完全に不登校になってしまう子どももいれば、遅刻が多い子ども、別室登校の子どもなど、形態は様々です。

不登校はその子どもがもっているエネルギーの総量とも関係があります。通常では、学校という社会でエネルギーを消耗します。すると、家に戻ってからは、好きなことをやったり、ゆっくりしたりして、エネルギーをチャージできるのが本来の家庭の役割と言えます。

しかし、何らかの理由で、家が居心地の悪い場所であったり、または、家族との関係が悪く、家の方がエネルギーを消耗する場所であったりすると、エネルギー切れの状態になります。そうなると、学校という場所で活動する気力がわかず、休まざるを得なくなるのです。

この不登校傾向の子どもたちは、HSPを併せ持っている子どもがかなりいると思っています。やはり感性が繊細だからこそ、疲れやすいのです。

まとめ

上記にあげた特徴をもつ子どもの他に、まだまだ説明仕切れない特性をもつ子どもがいます

愛着をうまく築くことができない愛着障害、そもそも家庭の役割がうまく機能していない機能不全家族の問題本人の特性や家庭の状況などの心理的負担が原因で、摂食障害やリストカットなどの事例になることもあります。また、自己肯定感の問題LGBTの観点も必要になるでしょう。

その他にも、持病やアレルギーなどへの対応も必要です。教室にいる子どもがもっているものは本当に十人十色。それを、基本的に担任が把握をし、臨機応変に、柔軟に、対応する必要があります。

また、筆者は今、療育の分野で働いています。その観点を活用すると、もっと多彩な子どもの特性の捉え方ができそうだと感じています。

今回は、教室にいる子どもがもつ多彩な症状と、その特徴について説明をしました。一つ一つの特性の詳細やその対応方法などは、また記事にできればと思っています。

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最後まで読んでくださりありがとうございました!

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