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【周りの環境が自分を作る。自分の妄想が未来を作る】 在宅看取りを経験して、思うことや心…

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【周りの環境が自分を作る。自分の妄想が未来を作る】 在宅看取りを経験して、思うことや心の整理、後悔や伝えたいことを書いています。 家族なのに苦しんでいる母に何もしてあげられなかった辛さ。そばにいる大切さ。 介護する側の心のケアや看取られる人の最善の終活について考えさせられました。

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コロナ禍在宅看取り記録について(はじまり)

2021.07.25(日)午前7:32 家族に看取られ息を引き取った母。 気持ちの整理のために振り返りながら 在宅での看取りについて書き留めていこうと思います。 在宅で看取ることに父は難色を示していました。 それは私達姉妹への負担なども考慮してのことであったと思います。 ただ、私達姉妹にとって母を自宅で看取れたことは最高に幸せなことでした。 周りからは大変ね、頑張ってるねとゆう労いの言葉をたくさん頂きました。 でも本当に大変だったとは私達は思ってなくて、ただただ、こども

    • 母の在宅看取りを体験して思うこと

      誰かを家で介護したり、ましてや病院の外で見送る経験を自分がするなんて微塵も思っていなかったし、母との大切な毎日を公開していくことも迷いました。 私たち家族のやり方が正解ではないし、現実問題簡単なことではありませんでした。 けして円満な介護ではなかったし、娘が小さかったこともあり、イライラしたり母にも娘にも強い口調になってしまうこのほうが多かったです。 そのことについては、今でも母や娘には申し訳ないと思っているし、もっとこんな風に自分と冷静に向き合う時間があったらよかったな

      • 在宅介護を行う友人の手助けになった出来事

        人は必要なことのために経験値を増やしていくのかなと思った出来事でした。 在宅介護を経験した後から、介護している人、在宅介護を始めたい人の話を聞く機会が増えました。 全く同じ状況にすることは不可能ですが、試行錯誤して改良していったことをお伝えすることができるし、ケアマネさんや介護用品の会社など自分たちがお世話になってとてもよくしてもらったため、すぐに紹介することもできました。 ケアマネさんや介護用品の方、それから訪問看護の方々の対応は、心細い素人にとってはとても重要な存在で

        • 人生に最も必要で、重要なものを母と祖母は遺していってくれた

          何が起きても無くならないし、とても大切なものなのに誰にも奪われない無形の無限大の財産です。 最近は母のことや祖母のことを思い出すとき、2人が私たちにかけていた言葉をよく思い出すようになりました。 その理由は、わたしが今子育てをしていて子どもたちに発した言葉が母や祖母が言っていたことだったりするからだと思います。 大人になった今、その意味を理解しているからこそ子どもたちに同じように伝えたいと思っているんだと思いますが、大人になってからしか理解できないこともたくさんあった気が

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        コロナ禍在宅看取り記録について(はじまり)

          在宅看取りや介護を経験し、母と祖母を看取ったわたしが今思うこと

          母が亡くなってもうすぐ1年10ヶ月、祖母が亡くなって1年3ヶ月になります。 わたしの介護生活について書いています。読んでいただけると嬉しいです。 今在宅介護や通い介護で大変な思いをされている方たくさんいると思います。 今日も1日お疲れ様です。 それから介護や看護の仕事に携わってくださっている方々には本当に感謝申し上げます。 色々な環境や状況があると思いますが、一番強く思うことは、しんどくなる前に人に話すこと。 親とはいえ、別人格である以上考え方が違います。 一番にやっ

          在宅看取りや介護を経験し、母と祖母を看取ったわたしが今思うこと

          コロナ禍在宅看取り15(最期のとき後編)

          母が亡くなる1週間前、実家との距離が遠かった一番下の妹がついにスーツケースを抱えてやってきました。 そのおかげで、私や父はどうにか仕事やパートを気力でこなすことができましたし、何も話さなくても家族同士が同じ家にいて、いろんな感情を持って母の介護をしていくことは、とても精神衛生上いいものだったと今になって思います。 他にも叔母が東京からきて、1週間ほど滞在してくれたりもしていて、とにかく毎日みんなが心を忙しくしてるような状態が続きました。気を抜くと母の前でも泣いてしまいそうで

          コロナ禍在宅看取り15(最期のとき後編)

          コロナ禍在宅看取り14(最期のとき前編)

          父の誕生会の日、とてもよく食べ、よく笑いっても楽しそうすごしていた母。みんなこのままガンがなくなって元気になるんじゃないかと思いたくなるほどに楽しく過ごしました。 しかし予想は的中し、翌日には高熱が出て急変してしまいました。 誕生日の翌日を境に、母の容体は転がり落ちていきました。 在宅医療に入ってからの私たちは、知らぬうちに日々気を張って過ごしていたんでしょう、宴会大好きな我が家でしたが、気がつけば呑んでも呑んでも誰も酔わなくなっていたことにこのあたりで誰とも言わず気づ

          コロナ禍在宅看取り14(最期のとき前編)

          コロナ禍在宅看取り13(余命3ヶ月の自宅での日々)

          ホスピスから自宅に戻ることは、積極的な治療をやめて余命を受け入れる選択をしたということです。 抗がん剤をやめたら3ヶ月で死んでしまうなんて思えない程、帰宅した母は元気そうに見えていました。 週に2回ほど来てくれる訪問看護の方々とも、楽しそうに会話し、いつもありがとう、ありがとうと感謝の言葉を口にしていました。 亡くなった後に先生があんなにフェントステープを貼っていたのに、寝ている時間が少なく、よく会話できていたと思います、寝る暇がなかったんでしょうねと、冗談か本気か分かり

          コロナ禍在宅看取り13(余命3ヶ月の自宅での日々)

          祖母の一周忌

          母が亡くなって7カ月後、娘を追うように突然亡くなった祖母の一周忌を迎えました。 リハビリの送迎の方から連絡を受けて向かった祖母の自宅。 なぜかいつも使う預かっていた鍵が回らず、嫌な予感と共に焦る気持ち。 足が痛いと言っていたのでつまづいて転んでいるんじゃないかと 軽い気持ちで子供達を留守番させて家を出たあの日。 まさか前日の夜に亡くなっていたとも思わずリビングに呼びかけた自分の声。 リビングのドアを開けて飛び込んできた光景に半ば諦めがよぎったこと。 ああ、彼女は冷た

          祖母の一周忌

          コロナ禍在宅看取り12(ホスピス入院前にレンタルしていた介護用品について)

          ホスピスに入院する以前は、自宅で毎日普通に生活していたので 歩行に問題が出始めてからは、介護用品のレンタルで仮の柱や玄関前の手すりなど 工事なしでも設置できて、必要なくなれば撤去できたり 場所を移動したりできる物をお借りしていました。 これは介護保険と少額の自己負担でレンタルすることができるので、 のちにお借りした介護ベッドなどの本当に少ない金額で快適なものを 使用することができます。 上記のつかまりポールは母の介護認定程度で1本月々1,000円でレンタルでき 場所を変え

          コロナ禍在宅看取り12(ホスピス入院前にレンタルしていた介護用品について)

          コロナ禍在宅看取り11(平穏な日常〜)

          この本をバイブルに、介護生活を始めた我が家ですが 妹たちの仕事や予定、私の仕事や家庭行事を照らし合わせながらの介護なので シフト管理をする必要がありました。 母は骨転移の影響で介護ベッドから動けない生活になったので なるべく部屋に1人にしたくないという思いもあり 人が誰もいない状況を作らないようにしていました。 そのために利用していたのがタイムツリーという共有のカレンダーです。 毎日昼間は姉妹で交代で母のそばにいるので 何をどのぐらい食べたとか、薬がきちんと飲めているかな

          コロナ禍在宅看取り11(平穏な日常〜)

          コロナ禍在宅看取り10(在宅介護スタート)読んだ本に救われた

          母の退院の日も決まり、ベッドや介護用品の買い物も妹と済ませ あとは退院を待つだけになり、他に何かしておくことはないかなと考えたとき 思い出した主治医の言葉。 最期のときは救急車は呼ばないでください。 慌てて救急車を呼んでしまう家族の方もおられるそうで、言われた言葉でした。 積極的な治療をやめるということはそういうこと。 頭ではわかっているつもりでも、確かにどんなふうに息を引き取るのかなんて 知らない。 病院で亡くなることしか知らないし、それさえも経験したことがない。 義

          コロナ禍在宅看取り10(在宅介護スタート)読んだ本に救われた

          コロナ禍在宅看取り9(ホスピス退院)

          ホスピスに入院してからは、毎日テレビ電話をしていました。 初日は痛みもなく、病院という安心感もあって 自宅で過ごしている時より顔色も良く、元気に見えました。 しかし2、3日すると帰りたいという言葉を頻繁に口にするように。 毎日ベッドから動くこともできず、同じ窓の外の景色。 動かないのであまりお腹も空かないが、時間通りに出てくる食事。 取りたいものもナースコールを押してわざわざ取ってもらう申し訳なさ。 もういいかなと諦めたものもいくつもあると話していました。 その電話の

          コロナ禍在宅看取り9(ホスピス退院)

          コロナ禍在宅看取り8(乳がん再発、ホスピス入院)

          ホスピスも無事に決まり、痛み止めなどの病状をコントロールする薬は 丸山ワクチンを接種してくれていたかかりつけの病院にお願いし どこか余後3ヶ月の意識もないままに平穏な日々が流れていました。 普通に朝起きて着替え、朝食をとり、かかりつけ医のところへ行き 娘を連れて公園によってお昼を食べ お風呂に入り夕食をとり眠る そんな当たり前の生活を、孫に囲まれて楽しそうに過ごしている母でした。 少しづつ食欲や体力が落ちてきているような感じは確かにありましたが とても緩やかな変化のよう

          コロナ禍在宅看取り8(乳がん再発、ホスピス入院)

          コロナ禍在宅看取り7(乳がん再発、延命治療中止)

          在宅看取りを決めたのは本当に自然な流れからでした。 胆管炎の手術後に積極的な治療をやめたい、 もう抗がん剤はしたくないと母が言いました。 わたしはこれまで母をそばで見てきて、それでいいと思いました。 また辛い抗がん剤をはじめたところで 生きてはいられるかも知れないけれど 果たしてそれが”人間らしい”と言える状態なのかは誰にもわからないから。 わたしはその時母に聞きました。 もしも引き返したくなっても 一度やめた治療を再開することは難しいかも知れない。 治療を選ばなかった

          コロナ禍在宅看取り7(乳がん再発、延命治療中止)

          コロナ禍在宅看取り6(乳がん再発、胆管炎発症)

          再発が確認されてからは、また標準治療を一から始めることになっていくのですが 一度使用して効かなくなった抗がん剤を、もう一度一から使ったところで やはり気休めでしかなく、がん細胞を抑えておける時間も 最初に比べたらさらに短くなっていきます。 ここからは治癒に向けた治療ではなく【延命】治療と言うことになってきます。 主治医からはそのように伝えられていたと思いますが 母がまだ元気だったこともあって 本当に本当に私たちにとって「死」というものは遠いところにありました。 二度目の

          コロナ禍在宅看取り6(乳がん再発、胆管炎発症)