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在宅看取りや介護を経験し、母と祖母を看取ったわたしが今思うこと

母が亡くなってもうすぐ1年10ヶ月、祖母が亡くなって1年3ヶ月になります。

わたしの介護生活について書いています。読んでいただけると嬉しいです。

今在宅介護や通い介護で大変な思いをされている方たくさんいると思います。
今日も1日お疲れ様です。
それから介護や看護の仕事に携わってくださっている方々には本当に感謝申し上げます。

色々な環境や状況があると思いますが、一番強く思うことは、しんどくなる前に人に話すこと。

親とはいえ、別人格である以上考え方が違います。
一番にやって欲しいこと、後回しでも大丈夫なこと、家族や自分の生活を維持しながら要望に応えて行くことは不可能に近いです。

わたし自身も妹たちが来てくれるまでの朝の準備の時間と、帰った後の食事から子供たちの寝かしつけまでの時間は、常にイライラしてしまっていました。
朝は特に送迎の時間や出勤時間、洗濯物まで終わらせていきたいという家事効率などに追われる毎日。そこに飛び込んでくる介助や小さな娘の支度などで、娘や母にも強い口調で接することも多かったです。わたしの強い口調を受けた母の少し寂しそうな、申し訳なさそうな顔や、娘のかまってもらえず大泣きする姿を思い出して、辛くなることもあります。

その自己嫌悪からくる、「全てに応えなければいけない」気持ちが自分を苦しめるループをつくるなと思っていました。
だけどこの自己嫌悪のループは子育てにおいても介護においても、どうしようもないことだなとも思います。
取り除くことは難しく、こことどう付き合ってこなしていくのかを考えたほうがいいなと、途中から思うようになりました。

病気なんだから、残された時間が少ないから、あまり母を悪く言いたくない、そう思っていましたが、いつのころからか心にゆとりを持って接するためには愚痴として誰かに話すことも必要だと感じるようになりました。
誰かれ構わず母について話をするのではなく、家族や兄弟姉妹、信用できる友人や、ケアマネジャーや看護師さんなど、あなたの身近で話しやすい人に少しずつ悪口ではなく「愚痴」をこぼしてみてください。

人に愚痴として話すことで、大抵のことは大したことではなくなります。
思っているより根に持っていなかったり、いざ話そうとしてみたけど、まあいいかと言う気持ちになったりすることが出てきます。

気持ちの余裕のなさが、亡くなった後の後悔を大きくします。

心をコントロールすることはとても難しいことで、どうしても日々に追われ自分の時間もとれずイライラしてしまうことも多かったし、大半はそうだったと思います。
でも最期までやりきれたのは、わたしの場合は愚痴をこぼす相手に恵まれていたからだと思います。
どこからどこまでが愚痴で、どこかからが悪口になるのかわかりませんが、自分が母について話をしていて、憎い気持ちだったことは一度もありませんでした。
結局振り回されましたが、祖母についても憎しみを持って介護していたことはなかったです。
憎しみを込めない範囲が愚痴なのかも知れませんね。

気軽に話せる相手が見当たらなければ、スマホのメモやノートに書いてみてもいいと思います。
実際に母は自分の辛い気持ちを紙にメモ書きのように残していました。
母自身も病気の辛さや、死ぬことへの恐怖、介護される側の負担を話せる相手はいなかったと思います。最期まで気丈に振る舞っていたので、もっと聞いてあげられたらよかったと後悔はしましたが、わたしに聞いてほしくはなかったかもしれないし、紙に書くことで満足していたかもしれませんし、わかりません。
亡くなった後に母の周りを整理していたら、レシートの裏や、小さなメモ帳や、1ページしか使っていないノートなど、いたるところにメモ書きはありました。

祖母に至っては、大学ノートに毎日の出来事を2〜3行書き留めたものが何冊も出てきました。

要するに自分の中で消化できない時は、自分から一旦外に出すことが重要だということだと思います。

わたしが介護について書き始めたのもそういう後悔を吐き出すためもありました。
あの日の言葉にこう答えてあげればよかった、もっと要望を聞いてあげればよかった、イライラせずにもっと寄り添って介護できたらよかったのに、こんなどうしようもな後悔を吐き出すためでした。

周りに支えてくれる人、話を聞いてくれる人はたくさんいたのにそれでも心の余裕を保てない日がある、後悔がたくさんある、でも終わってしまったことはどうしようもないから、一旦外に吐き出してみよう、そんな気持ちでした。

子育てと介護の両立なんて無理なんだから、もと手を抜いて気持ちに余裕を持った言動や行動をしておけばよかったと思っています。

でも大変そうだと思われたくなかったし、母がいるから余裕がないとも母に思ってほしくはなかった。そんな思いが自分を苦しめることに気づいていなかたです。

だから日常のルーティンを崩したくなくて、心の余裕を失ってしまう時は、掃除は1日おきでも大丈夫だし、全てのお願いに答えてあげれなくてもイライラしてないことの方が重要だと言うことを伝えたいです。

自分が介護が終わった後に後悔しないための心の使い方を模索してほしい。
介護されてる人、育てられてる人が幸せになるためには、介護してる人、育ててる人が幸せであることが最重要事項だと思うから。