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人生に最も必要で、重要なものを母と祖母は遺していってくれた

何が起きても無くならないし、とても大切なものなのに誰にも奪われない無形の無限大の財産です。


最近は母のことや祖母のことを思い出すとき、2人が私たちにかけていた言葉をよく思い出すようになりました。
その理由は、わたしが今子育てをしていて子どもたちに発した言葉が母や祖母が言っていたことだったりするからだと思います。

大人になった今、その意味を理解しているからこそ子どもたちに同じように伝えたいと思っているんだと思いますが、大人になってからしか理解できないこともたくさんあった気がします。

その中でも最近わたしは自分の自己肯定感について考える機会がとても多くありました。
世間では今の子どもたちは自己肯定感が低いとか言われているようですが、わたしは基本的にこれまで一度も自分を卑下してきたことがありません。

高校生では不登校を経験したりもしましたが、そのことについてもわたし自身なぜ学校に行かなかったのか、行けなかったのか全く分からずに大人になりました。自分なんてと思って引きこもっていたわけではないことだけは、鮮明に覚えています。

どうしてここまで自己肯定感が高いのか、なんでこんなに自分大好きなのかずっと考えていたんですが、その答えが、というか母の言葉を思い出すにつれ、人生の道筋というか、何かがつながっていくような感覚がありました。

母や祖母、健在の父もそうですが、毎日毎日、何百回も何千回も何万回も
可愛い】
この言葉のシャワーを私たち姉妹に降り注いでくれていたからと気づいて笑ってしまいました。

わたしは決して、顔が可愛いとか美人なタイプではありません。強いて言うなら我が家三姉妹は身長が幼い頃から高く、母が細身なこともあり、スタイルはよかったと思います。その雰囲気は持ち合わせていたと思います。
ただ衝撃なのはここからで、妹2人はわかりませんが、結構ずっと長い間わたしは自分は可愛くて美人だと思って生きてきましたwwww

どのタイミングで悟ったのか忘れましたが、大人になってからも成人式や友人の結婚式、入学式卒業式などなど、ことあるセレモニーごとでも可愛い、可愛いと通常以上に写真を撮りまくりなので、結構長い間勘違いを起こしたまま生きていました。いまだに父なんてかはスマホに自分のお気に入りの姉妹の写真や家族写真を保存して、お酒の席でいい気分で見せてまわっているようです 笑

もういい年した娘を見せびらかす父を想像し、究極に恥ずかしいですが、我が家はずっとそうして育ってきたので、もはや気にしないでおこうと思えるレベルです。

生前、母も祖母も孫たちにも可愛いのシャワーをたくさん降り注いでくれましたし、父はいまだに注いでくれています。これは本当にわたしにとってとてつもなく大きな財産です。
お金を残してくれるより、お金の稼ぎ方を残してくれた方が有意義だし、人生のレールを敷いてくれるより、自分を愛せばどこにでもレールを敷くことができることを教えてくれたこと、本当に本当に感謝しています。

何が起きても無くならないし、とても大切なものなのに誰にも奪われない無形の無限大の財産です。

介護や子育てで余裕がなくても、挫折して苦しんだとしても、自己肯定感が自分や周りを救ってよくしてくれている、そう実感した気づきでした。

母の日に書きたかったよ、ありがとうママ。