#377 「ビジネス頭の体操」 8月2日のケーススタディ
はたらくおとな向け。普段の仕事と無関係なケーススタティで頭の体操。
その日にちなんだ過去の事象をビジネス視点で掘り下げています。
普段の仕事を超えて、視野を広げ、ビジネスの頭の体操をするのにぴったり。
考えるための豊富な一次情報やデータもご紹介。
→部分は、頭の体操する上での自分に対する質問例、です。
8月2日(月) 小学校6年間が義務教育になったのは明治時代!?
1872年(明治5年)のこの日、学制の趣旨を明記した太政官布告とともに学制が公布され、日本の近代学校制度が成立した「学制発布記念日」です。
学制。
現在は幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学を柱として、高等専門学校、専修学校、短期大学、などがある体系となっています。
では、明治5年の学制はどのようなものだったのでしょうか?
また、その前にはどのような教育制度だったのでしょうか?
文部科学省「学制百年史」に詳細な歴史の記載があります。
その中の「幕末維新期の教育」によると、江戸時代に高い水準の学問・教養が求められた武士層向けには幕府や諸藩が学問所を設けたり武家学校が整備され、幕末維新期には全国に270校もの藩校が整備されていたそうです。
庶民向けには実用のために読み書き算盤を教える寺子屋が発達し幕末には数万にもなっていたと推定されています。
文部科学省「我が国の学校教育制度の歴史について」によると、明治5年の学制の内容は以下の通りです。
☑️ 全国の教育行政を文部省が統括することを明示
☑️ 全国を8大学区、256中学区、5万3,760小学区に分け、区ごとに各1校設置する計画を規定
☑️ 学生により学校種、教科名称等も規定されたが、文部省はまずは小学校の設置に注力
結果として、明治8年には、
☑️ 小学校数:2万4,500校
☑️ 児童数:146万人
☑️ 就学率35.4%
という記録が残っています。
わずか3年で2万を超える学校を整備、ですが、実態は、4割は寺院の借用、3割は民家の借用、ということで、従来の寺子屋の活用なくしてはなしえなかった、ということがわかります。
一方で、お気づきの通り、5万を超える目標からは半分ほどです。これは、機械的に算出したもので、明治4年に廃藩置県が行われたことによる行政の単位とも一致していませんでした。そこで、明治12年には、教育令が出され、「学区制」が廃止され、町村単位で小学校を設置することになります。
また、就学義務を明確化したこともあって、明治16年には就学率は53.1%まで上昇します。
ところが、学校や教員の整備が進むにつれて、教育財政が悪化、授業料に転嫁される事態となり、明治20年には就学率は45%まで減少してしまいます。
これを受け、明治33年尋常小学校の4年を義務教育とし授業料を無料化します。この結果、明治38年には就学率は95%を超えます。
さらに明治40年には尋常小学校を6年、義務教育年限が6年となります。
その後細かい変更はあったものの、義務教育期間が6年というのは変わりませんでした。それが変わるのが戦後の昭和22年に制定された学校教育法でした。義務教育の普及向上と義務教育年限の9年間への延長が定められたのです。
ここまで、明治から戦後までの学制の変遷を駆け足でみてきました。
(詳細は文部科学省「学制百年史」をご参照ください。詳細です)
最後に、諸外国の学校制度(主に初等中等教育)をみてみましょう。文部科学省「我が国及び諸外国の学制について」の資料になります。
9年間、というのは当たり前ではなく、イギリス、ロシアは11年間、フランス10年間、アメリカは州によって10〜13年とそれより長い国も多くあるんですね。シンガポールが6年でしかも2003年から初等教育の義務化っていうのも意外でした。
→今ではほとんどが高校までは進学する。一方で多様性が言われる世の中、教育制度も変化が必要であろうか?必要だとすればそれはどのような姿が求められているのだろうか?
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