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冒険という名の旅に出た話〜其の弐〜

【どうしてもやりたかった冒険の旅へ】


↓其の壱はコチラ


【9/7は朝から…】


9/7です。
昨日は興奮して0時を回っても1時を回っても眠れませんでした。けれど、6時に起きたけど全然眠くなかった。アドレナリン出まくっていました。

【ホテルの朝食】


仙台朝市の近くにあるホテルだったので朝食迷いましたが、朝早く出たかったためプランに入れました。
朝からしっかりずんだ餅、笹かま食べられて、超〜!満足のビュッフェ朝食でした。

ささかま〜(大好き)

↓ホテルはコチラ


【女川町へ】

雨は止み、晴れましたが電車が心配のため準備しながら路線情報を確認し、荷物をチェックアウトも預けられるため預けて仙台駅へ。
朝市の中を通り抜け(近くでおにぎりが売っていて、居酒屋さんなのか女将さんみたいな方が作っているようでした。9/6の昼もありました。しかもお手頃価格でした。)、〇時〇分の仙石東北ラインに乗る、乗…る…?
え、乗る予定の仙石東北ライン運休?マジ?
慌てて別の線に。
仙石東北ラインのほうが1時間早く着く予定でしたが、何かこれも縁なんだろな!と思い、のんびり乗ることにしました。
今回は小牛田まで東北本線で、小牛田から石巻線に乗り女川まで行きました。
東北本線は多賀城、松島と通る線で、またまたゆっくり行きたい場所だな〜と思いながら通りました。
石巻線、小牛田、石巻以外はなんと整理券取って現金で!しまったSuica〜!
運転手さんに止まった際に聞いたら石巻で30分くらい止まるから切符に買い直してね!と教えてもらい、石巻で途中下車。駅のお姉さんが優しく教えてくれました。

石巻といえば、ですね

トイレ休憩も行い、30分後の同じ電車で女川へ。無人駅、のどかな田園風景、急に見えてきた女川の海に、心がワクワクしてきました。スマホも気にせず、ただひたすら電車から窓の外を眺めたり、人間観察したり(笑)、お昼ごはん何にしよ〜とか考えていました。

女川に到着し、着いたすぐの印象は「最新」というイメージでした。
女川町は原子力発電があるのと、復興の手助けも県外からもらえているようで、非常に回復というか復興のスピードが早いと感じました。女川町に住むことで地域発展につながる典型的な場所という印象です。
仕事はある、子育てもしやすい、そして商業、観光施設は低地に、住まいは高台にすることで、津波の被害を最小限に、ということです。
震災前は海の前に住宅も商業もいっしょくたにあったようです。
女川交番に行くと、あの交番という建物が横倒しになっていることに津波の恐ろしさを感じます。
そこを踏まえて、復興している。
また、女川医療センターに行き、入れなかったですが展示もあるようでした。高台にあるため石碑もありましたが、こんなところまで津波が来たと思うと、非常に恐怖を感じました。
女川丼を食べて、フラフラして、電車は2時間後なのでそれまでゆっくりしました。とにかく風が強く、暑かったです。

↓震災遺構 旧女川交番

↓女川町


女川丼!

【石巻での出会い、出合い】

女川から戻り、石巻で震災遺構を観に行くことにしていました。
時間もないから、迷っていましたがタクシーで震災遺構石巻市立門脇小学校をお願いしました。
タクシーの運転手さんと話しているうちに、遠いしお金はかかるので避けていましたが、私の知り合いから大川小学校を勧められている話をしたら、帰りの電車を加味して震災遺構石巻市立大川小学校に連れて行ってもらえることになりました。

この決断に、私は非常に悔いない判断で、私の中で行って良かったと感じました。

【震災遺構石巻市立大川小学校】

タクシーで30分〜40分。なかなか距離がありますが、大川小学校に到着。
大川小学校は、校庭に避難したが津波の被害に遭い、児童や先生が多く亡くなってしまいました。この判断は、当時の学校トップが不在であったこと、避難訓練で高波の想定で裏山に避難するようにしていなかったこと、子ども達や消防団をしていた保護者の方が語り部をされており、たまたま見学で聞こえて来たのですが話をしていました。
仙台市立荒浜小学校では、高波のための避難訓練を実施していたため、校庭ではなく屋上や4階に避難したことで児童や先生、住民の皆様も多く助かりました。

同じ時、違う場所で、こんなにも対応が違ったのか。
ジブンゴトとして、もし自分の子どもが学校に行っていて先生の言う事聞いて校庭にいて、裏山に行こうと話したのに…と考えたら、遺族はどんなに悔しいか。

対極の小学校をそれぞれ見学し、大川小学校では涙が溢れてきました。
大川小学校で学ぶことは、当時の校長先生、教育委員会の対応、保護者の思い、住み続ける住民の思いであると感じました。

時間がなく少ししかいられませんでしたが、大川小学校に来て良かったです。
語り部さんの話をじっくり聞きたいので(今回は他の団体の話が聞こえて来た感じ)、日を改めて伺いたいと感じました。

大川小学校↓


日程が合ったら絶対に行きたい映画↓


【タクシーの運転手さん】

石巻駅から大川小学校まで、タクシーにて連れて行ってもらいました。
タクシーの運転手さんは大手の金融機関で働いていたそうで、しかも関東に!その後地元石巻に戻りタクシーと起業もされているとのこと。
運転手さん、いろんな話をしてくれました。
橋が一部だけ新しい理由、向こう岸には茅葺屋根の茅がある、職人がいる、シロサギやクロサギ、震災のビフォーアフターの写真集、石巻のパンフレット…。
なかでも私が気になった内容は、
「石巻市は面積も2番目に大きいし、人口も宮城で2番目に多いけれど、貧乏な市なんです」
「女川は原発がある、東松島は自衛隊がある、国の補助金があるんですよね。」
はっとしました。東松島駅は、石巻から仙台駅に向かう際に電車で通りましたが、非常にキレイでした。
復興にはお金がかかる。
働き手を呼び寄せるためには働く場所がないといけない。

復興とは。
国からの補助金が多ければすぐにできるのか。
国…
復興…

まだまだ震災復興には課題があるのかもしれない。何も知らない、私はもっと知りたいと感じました。

タクシーの運転手さんに、感謝しかないです。
帰りの電車時間もあるため(前日の雨もあったので早めに仙台に着きたく)、大川小学校しか行けませんでしたがまた必ず行きます!その際は、タクシー指名します! 

↓石巻市


【さようなら、仙台。ありがとう、宮城。】

あと3分で出る電車にギリギリ間に合い、仙石東北ラインで仙台に帰還しました。
行きは東北本線〜石巻線でしたので、仙石東北ラインもまた新鮮でした。しかも速かった…(笑)

仙台に1時間半ほど早く着いたため、藤崎百貨店へ。
藤崎百貨店では「第4回 楽都仙台と日本のジャズ史展」という催し物をやっており、さらっと見学しました。
やっぱ音楽っていいなあ。

ジャズ!


見学した後は仙台駅周辺は藤崎百貨店でしか売っていないこちらを買いに。

↓定義とうふ店

ちょうど、保育園や幼稚園帰りのママさんがお買い物している中、油揚げを大量に買う私(笑)
帰宅したら食べるの楽しみです!

↓藤崎百貨店

預けた荷物を引取、夕食を軽く済ませ、仙台駅でのんびり散歩。
帰りの新幹線はこちらの遅延と重なりましたが、無事に帰宅しました。

どうやら熊らしい

1泊2日という旅でしたが、あっという間の旅でした。
仙台好きすぎて、帰りたくなかったです。
それくらい大好きな街だし、そして私はようやく、10年以上経って東日本大震災の恐怖を目の当たりにしました。
辛い出来事です。他人事ではありません。
ジブンゴトとして、皆が、語り継がないといけないと感じています。
私の人生でトップクラスに入る旅でした。

ありがとう仙台、また来ます、東北。





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