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このチョコは元気でる!〜ドキュメンタリー映画「チョコレートな人々」感想〜

「俺がやりたかったことはこれだ。俺が怯えているのも、これだ」

このドキュメンタリー映画が始まった瞬間、憧れとおののきが同時に押し寄せてきました。そして、それは最後まで途切れることなく。

観終わった後。感情の反復横跳びでドッと疲れた脳みそとは裏腹に、心には何かが湧き立ちました。
「さて、俺は何がしたいんだ?何ができるんだ?」
と。映画館から地上へでる時、階段を上がる足にグイグイと力がこもったことを覚えています。

その映画とは「チョコレートな人々」。

ストーリーはこんな感じです。

愛知県豊橋市の街角にある「久遠チョコレート」。世界各地のカカオと、生産者の顔が見えるこだわりのフレーバー。品のよい甘さと彩り豊かなデザインで、たちまち多くのファンができました。その人気は日本中に広がり、いまではショップやラボなど全国に52の拠点を持ち、華やかなデパートのイベントの常連になっています。「久遠チョコレート」は、ほかのブランドとは一味違っています。代表の夏目浩次さんたちスタッフは、かれらが作るチョコレートのように、考え方がユニークでカラフル。心や体に障がいがある人、シングルペアレントや不登校経験者、セクシュアルマイノリティなど多様な人たちが働きやすく、しっかり稼ぐことができる職場づくりを続けてきました。(中略)
「チョコレートは失敗しても温めれば、作り直すことができる」。しかもチョコレートはアイディア次第で付加価値が高まる魔法の食材。多様な人々を受け入れる夢の扉が見えました。こうして、新しくて優しいチョコレートブランドの凸凹な物語がはじまりました。

「チョコレートな人々」公式サイトより。一部中略

本作は久遠チョコレートと、その代表である夏目さんを19年にわたって追ったドキュメンタリー。
氏の志の高さ、人好きのする人柄、実践力、事業の成功。ビジネスモデルの合理性と優位性も。何よりも仲間達の生き生きと働く姿や笑顔を、つぶさに記録していきます。

観ている間、ずっと笑みが絶えませんでした。笑いを堪えるのが大変なシーンも。
「あぁ。俺がやりたかったことって、これなんだよな。人を分類することなく、グッドバイブスで生きていけないものか。できれば機嫌良く、景気良く。こういうのをやりたかったんだよな」
と。憧れと多幸感の映画です。

しかし一方で、経済的なリスクや、リアルタイムな大失敗も隠さず映していきます。さらには、過去の過ち、傷つけてしまったまま袂を分かった人にまで、残酷なほど容赦なくカメラを向けます。

観ている間、ずっと呻いていました。
「俺が尻尾を巻いているリスクは、まさにこれだ。こうなるって分かってるから、何にも挑めずにいるんだ」
と。恐怖と現実の映画でもあります。

つまり、この映画、どこをスライスしても面白いのです。100分間余すところなく、完膚なきまでに面白い。さすが東海テレビドキュメンタリー。

なので。逆に感想がまとめづらい。
何が面白いのか細々と分析することは、それこそ美味しいチョコレートを粉々に砕いて食べるような愚行にも思え。チョコレートは、大きなお口でパクッといくのが一番美味しいに決まっているのです。
(買ってきた久遠チョコレートも、家族でそうやって食べました。べらぼうに美味しかった。意外と大人なフレーバー)

ここでは試食的に、私が印象に残った夏目さんの言葉、つまりパンチラインを紹介したいと思います。香りだけでも感じとっていただければ幸いです。

「デコとボコを組み合わせて、センスのいい社会をつくりたい」

ジェンダー・セクシュアリティ、障害、国籍、宗教など。
日々リサーチしていて感じるのですが、多様性を謳い活動する人々・団体の多くには、セクシャルマイノリティ、障害、人種などのカテゴリーが存在しています。

そりゃそうです。活動団体は特定のイシューにフォーカスしないと、主張がとっちらかる。理解されづらいので、理解者が増えません。仲間も集まらず、活動もままならない。選択と集中。それは無理もないことで、理にかなっています。
そもそも、人・時間・お金に限りがあるなかで、知恵と行動力と志でカバーしながら実践しているのです。なので私は、活動している人々や団体をリスペクト&応援しまくっていますし、ディスるつもりも毛頭ありません。

でも、その選択と集中にジレンマがあるのは事実。だってカテゴリーは、複数が同時に存在するはずだから。障害のあるセクシャルマイノリティもいます。人種・セクシュアリティのWマイノリティという方も。

なのでときおり、多様性を謳いながらバリアフリーでないイベントや、多言語対応されていないコンテンツに出くわすと、思うのです。
あれ?「対象はこの人たちだけ」と、知らず知らずのうちにマイノリティを分けて考えちゃってない?と。
そういうカテゴライズ思考が、人を切り捨てる社会につながり(みんな何かのマイノリティなのにね)、結果的に「このままでは持続できない社会」を作っているのに。
カテゴライズ思考、うっかり温存しちゃってない?と。

実際、カテゴリーの垣根をとっぱらう挑戦を目にすることは、少しずつ増えてきました。
パラリンピック関係のイベント、レインボープライドやトランスマーチをはじめとしたセクシュアルマイノリティ関連の大規模イベント、東京都や日本財団が主催するイベントは、積極的に取り組んでいます。東ちづるさんのGet in touchもそうですね。
でも。はてさて、これだけで先導力が十分なのかどうか。

無意識のカテゴライズ思考、なんとかならんもんかな、と。
とくにLGBTQ+関係は、用語ばかり認知が広がってもその先にカテゴリ社会が待っているとしたら、差別は続くぞと。
マジョリティとマイノリティのボーダレスではなく、誰もが何かしらのマイノリティである、しかも複数のマイノリティ性をもっている前提で、カテゴリーを超えた考え方はできないものだろうか。

んー。なんて表現したらいいんだろう。「多様性社会」「共生社会」はもとより、「ごちゃまぜ社会」とか「まぜこぜ社会」と銘打った団体やイベントもあるけれど、その先に待っている”生きやすさ”まで表現しきれてない気がして。
ずっと考えていたんですが、夏目さんにズバリ言い当てられた思いがしました。

「デコとボコを組み合わせて、センスのいい社会をつくりたい」

それだ!センスのいい社会!センスとか感性とかとは程遠い、無粋な人生を送ってきましたが、まさにそれ!と膝を打ちました。

このフレーズの何がいいかって、センスの良さとは何を指すのか?をこちらに預けられているという点です。何をもってセンスがいいとするか。それもまた多様でヨシと。ただし、デコとボコを組み合わせるという手段でね、と釘を刺しつつ。

結果、久遠チョコレートには、障害のある人だけではなく、介護中の人、シングルペアレントの人、トランスジェンダーの人など、実にさまざまな人が働くようになりました。つまり、働きやすい職場になっているということ。

生きやすい、働きやすい。これ以上にセンスが良いことって、ありますか?その現場、観たくないですか?はい。この映画には、それが映っているのです。

「北新地の人たちに買ってもらって、そのお金で子ども食堂はじめる」

代表の夏目さんは、いつも何かと戦っています。

「やってもらって当たり前という団体や福祉法人もいっぱいある」
全国の福祉施設や企業と連携して、各地に店舗を展開してきた夏目さんだからこそ、疑問に感じることも多々あるのでしょう。

「久遠チョコレートは軽度障害の人たちだけでやってる、そう福祉の側からよく言われるので」
と、重度障害を従業員として迎え、新たなチャレンジを始めたりもします。チョコレートに混ぜるお茶やフルーツを加工する工場を新設したのです。

「もうペコペコすんのやめた!俺がペコペコしてると、これ作ってとるみんながペコペコしていることになる。俺らのお菓子だって美味いんだよ、ってね!」
夏目さんがなぜペコペコしていたのか。それはぜひ本作を観てほしいのですが、誰かのために戦う氏の姿もそこにはあります。

そして極め付けがこれ。

「北新地の人からお金もらって、その売上の数%をあてて子ども食堂やる」

最っっっ高(正確な言い回しは忘れましたが、ぜひ本編をご覧ください)。

北新地といえば、言わずと知れた大阪の歓楽街。座ってウン万円の超高級クラブ(昭和的にいうとブークラですね)が櫛比するエリアです。しかし、すぐ近くには西成や尼崎もあります。
つまり富と貧困、経済格差が禍々しい地図を描く街。それが大阪・北新地なのです。

夏目さんは格差に中指をたて、金満主義を嘲笑うかのように、高級クラブにくるお金持ち客たちをターゲットにした新商品を売り出します。
その名も「北新地マダムチョコバナナ」。人を食ったネーミング最高。
これまたマーブル模様が美しいチョコレートで、バナナをディップしていただくデザートなのですが。

夏目さん自らクラブに赴き、従業員の女性たちに売り込んだりもします。「お店に来たお客に久遠チョコレート食べたいって言って」と。
どれだけ人の生き血を啜れば、ケツのせるだけでウン万円の椅子に座ることができるのか。金持ちから金取って、その売上の一部で子ども食堂やる、と。

いーわー!ヒップホップだわー!
私はここが一番テンションあがりました。すげーかっこいい!
そう。ここでも”センスがいい”んです。人をカテゴライズする思考回路では出てこない発想。いや、カテゴライズを飛び越えようとしないと出てこない発想、といった方が正しいかもしれません。
子ども食堂についてはこれ以上描かれていないのですが、おそらく上手くいったんじゃないかな。上手くいってるといいな。

さりげないですが、ここも本作の見どころの一つです。


「経済人のほとんどは、かけてくる言葉が他人事」

久遠チョコレート代表の夏目さんは、バリアフリー建築を学んでいた大学院時代、障害者の賃金があまりに低いことを知り、愛知県豊橋市で障害のあるスタッフを含む6人でパン屋さんを始めます。
そして、全従業員に県が定める最低賃金を超える給料を支払うことを目標に掲げるのです。

作中の冒頭、当時について振り返るインタビューでこう語っていました
「(賃金が低いことは)仕方なくないよって。実際に現場を作っていかんと説得力がない」

そしてエンディング間際のインタビューでは、こんなことも。
「(みなさん久遠チョコレートのことを、すごいね、素晴らしいねと言ってくれる。でも)経済人のほとんどは、かけてくる言葉が他人事

あーーー!耳が痛い!実践者の言葉は、鼓膜破壊力がケタ違い!

褒めるたり讃えたりするのは、簡単。いいね!するのも、お金を寄付することも簡単。でもそれは、応援席からの風景に過ぎません。
「俺はいつ、自分のフィールドに立つつもりなんだっけ」
私は本作から、否応なく大きな問いを突きつけられました。会社員人生としても、人間の人生としても、ちょうど折り返し地点にいる43歳の私は、そう感じたのです。

これまでは、いろんな業やシガラミをふりほどき、自分と家族の生活を軌道にのせることで精一杯。寄らば大樹の陰といわんばかりに、会社に入って経済的軌道にのることだけに人生の半分も使ってしまった、とも言えます。

おそらく、その軌道にのったまま人生を終える人も多くいるのでしょう。団塊の世代などはその典型なのかもしれません。
しかし、そういった先達たちのなかで、魅力的な人物を私は知りません。ただの一人も。
会社という列車に乗り込んで、誰かにどこかへ連れて行ってもらうことに汲々としてきた人々。
仕事だから、利益のため、会社ってそういうとこだから。思考の放棄、人間を理解する姿勢の欠如。自分で考えているつもりでも、その実は会社の都合をトレースしているだけ。当然、世間も狭い。結果、何かが退化したまま余生を迎える人たち。
余生と言っても、退職後20年くらいあるわけで。実態は成人のやり直しです。会社に特化した脳みそと、心細い体力でもって。
そういう人々は、経済人を引退したら・・・何人になるつもりなの?

その対極にいる夏目さんをみて、今後の生き方を考え直す人も多いのではないでしょうか。私のように
「他人事ではなく自分事といえるものに、ボチボチとりかかろうか」
と。
そういう意味では、本作は夢を感じられる映画でもあります。これをエンパワーメントと言うのかもしれません。
エグいリスクを負って、ときに無理を押して、それでも志を下げることなくここまでやってこられた夏目さんを観ていると怖気付くのも正直なところなのですが。リアル。それもまた、ドキュメンタリー映画ならではの醍醐味ですね。

この映画を観て、固まりかけた自分の価値観や人生に、熱が入る感覚を覚える人もいるはずです。
まさに「温めれば、何度だって、やり直せる」チョコレートのように。

私は、ダイバーシティ・コンテンツ・リサーチャーを名乗りながら、まずはさらに足で現場をみていこうと思います。

本作は、他にもパンチラインだらけ、見どころだらけ。ここでご紹介したのは、久遠チョコレートのカケラにすらならないごく一部です。
なのでもう一度言います。この映画は必見です。
東海テレビドキュメンタリーは、配信はおろかDVD化しないことでも有名です。ぜひ、映画館でやっている間に。次、いつ上映になるかわかりませんよ!


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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