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他人の目が気になるときは

人生行動ありき


他人の目を気にして踏み出せないというのはよく耳にする話です。


しかし他人の目を気にして、自分のやりたいことを制限することはもったいないです。


人生は行動によって得られる感情の変化を味わい 充実していくものですから、

他人の目を気にすることによって本来やりたかったことができなければ、

行動が制限されると人生の充実度を下げることになります。





そんなことは言われなくてもわかっている。

それでも気になってしまう。


というのが人間というものです。




今回は、

他人の目を気にすることが馬鹿馬鹿しいと思えるような物の見方について考えていきます。


他人の目など無い


他人の目を気にしている時、

私たちはその他人がどう考えているか想像しています。



この行動によって、

他者からこう思われるだろう。



それは正しいかどうか分かりません。


多くの場合直接本人に聞くわけではありませんし、

 聞いたとして本当の事を言うかどうかは分かりません。

また相手も自分の本心を自分自身で理解しているとは限りません。


つまり私たちが作り出している他人の目というのは全て幻想ということです。


そしてその幻想に縛られて行動できないのです。



となると、

他人の目というのは存在しないように思えます。

他人の目でなく自分の中に作り出した幻想の目となります。


よりシンプルに言い換えると、


自分で自分を見る目ということです。


他人の目が気になるという人は、

自分に対して否定的に見る傾向が強いです。


自分を否定するための配役を「他人A」として用意し、自分自身への評価の低さを、

他人の目というものによって映しているのです。



哲学者のチャーマーズは、

「自分以外の全員がAIだったとしても、それを見抜くことは原理的にできない」

といいます。


他人の目を気にする背景には自分と他人が同じようにな考えを持つ人間という存在であることを信じているわけですが、それは真実がわかりませんし、証明もできません。


実際にはAIかもしれませんし、そもそも私達の頭の中にしか存在しないかもしれません。


繰り返しますがそれはわかりません。

そして、わからなくていいのです。


「どうありたい?」


重要なことは、

自分自身がどうありたいか?


ということです。


自分は「他人の目」に、

人生を支配されたいのか?


それとも「他人の目」と、

より良い付き合いがしたいのか?


他人の目は自分が表面上気づいていないことを教えてくれます。

中には、建設的な否定もあるでしょう。

それをうまく取り入れることで私たちは成長することができます。


しかし、否定により動けなくなってしまっては元も子もありません。

否定的な意見は次の行動にフィードバックさせなければ価値を持ちません。


付き合い方が重要です。



そして、他人の目との付き合い方は、

完全に自分で決めることができます。



私達は自分の認識の外側を見ることはできず、

全て自分が作り出した世界の中での出来事だからです。



他人の目から自由になり、

自分を解放していきましょう。


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