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障害の受容は何も、プライドを捨てる事じゃないよ

障害の受容って、難しいよね。
ありのままの自分を受け入れるっつったって、どうしろと!?こんな底辺の自分なんて到底受け入れられない!認められる訳がない!
プライド捨てろっていうのか!?…と、言いたくなる人も多いと思う。

そう、プライドを捨てる事を強要されているみたいで辛いんだよな。

あなたは自分が思っている以上にずっと底辺な存在。その事を認めなきゃ。負け組だと宣言しなきゃ。障害者にプライドは必要ない。プライドを捨てて、未来に期待する事をやめて、社会の底辺としてみじめに生きる覚悟を受け入れよう」
ぼくも、障害の受容とはこういう意味なんだと考えてました。
だからなかなか受け入れられなかったし、受け入れたくはなかったし、障害者手帳を持つ事もかたくなに拒否していました。

障害者である事を認めてしまえば、すべて無に返るような気がしたからです。

今まで積み重ねてきた自信も、自己肯定感もすべて、ガラガラっと崩れてなくなるような気がしてイヤだった。
「今までの人生は何だったんだろう」「これまでの自分は自分ではなかったんだろうか」と、自分の存在すらも疑問に思えてきて辛くなりました。

いろいろな葛藤があり、ここ最近やっと受容できるようになるまでには、3年ほどかかりました。
これでも短い方なのかもしれない。
悩む人はもっと5年10年かかるのかもしれないし、一生悩むのかもしれない。

とくに、高学歴だったりモテてきたりと成功体験が多い人ほど、葛藤が大きく受容までに時間がかかるのかも。
このまま勝ち組イージーモードかと思いきや、いきなり底辺ハードモードに落っこちたんだもんな、ショックは分かる。

アイデンティティに直結するダイレクトな問題だから、悩むのは分かる。
プライドが壊れそうで、受け入れられないのは分かる。

でも今ぼくの考えとしては、障害の受容とは何も、プライドを捨てる事ではないと思ってます。


障害の受容とは、プライドを捨てる事ではない

自分の人生を生きる為の通過点

障害を受け入れる事というのは、自分の人生を生きる事にあたっての、ひとつの通過点なんだと思ってます。
ただの通過点。
これからの人生を見つめなおす為の、ひとつのきっかけ。

障害者である事が分かって、悶々とする気持ちは分かる。
それは当たり前の事だし、「悩んでしまうなんて…」と思う必要はない。
むしろこの瞬間に大いに悩んで吐き出した方が、今後の葛藤が少なくなるし、「自分らしく生きる」事に全力になれる気がします。

つまづいて、つまづき続けて、悩んで、悩んで、悩んで、やっと今答えが分かったんだよね。
そこにはある意味で清々しいというか開き直れたというか、分かって良かったという気持ちもないかな?
生きづらかったのは、障害のせいだったんだと。

では、どう生きるべきか?

君は今、一度立ち止まっている状態。
今後、どう生きるべきか。自分らしい人生を生きるにはどうすればいいのか。
自分の人生とは一体何か?自分が本当に望むものは?

その答えを出す為には一度、これまでの人生で積み重ねてきた経験、思考、思想、価値観、アイデンティティをまっさらに、無の状態にする事が必要になるんだと考えています。
これまでついてきたものを全て取っ払ってはじめて、自分自身と向き合う事ができる。

もちろんこれはプライドをかなぐり捨てろ、という訳でも、これからみじめに生きる覚悟を持てという訳でもない。
アイデンティティとして障害者を全面に出せという意味でもない。

自分を受け入れようという事。


障害というハンデも個性も、誰でもない自分のものなんだと知る。
障害があっても、自分は自分なんだと気づく。
障害を持った自分は、ありのままの自分として認める。


自分自身と対話して、自分の存在そのものを受け入れる
障害の受容はそのステップのひとつなんです。

大事な事は、今までの自分も、障害が分かった後の自分も、すべて自分なんだと受け入れる事。

受け入れられるまでには時間がかかるかもしれないし、葛藤の連続で辛いかもしれない。
こんな自分なんて認めたくないと、かたくなになってしまうかもしれない。

でも、泣いていい。思いっきり当たり散らしていい。
不満も泣き言も、全て吐き出そう。
それを繰り返すうちに、だんだんと楽になっていけるはずだから。

その後も、なにも障害を全面的なアイデンティティにする必要はなくて、自分の一部として認めるだけでいいし、「細胞のうちのひとつ」くらいの感覚でいい。
あくまでも、自分を受け入れる為のきっかけなんだから。
障害に囚われすぎず、自分らしくね。

障害者でも、人生と未来に希望をもっていい

障害者だからといって、卑屈に生きる必要なんてない。
障害者でも、思いっきり人生を楽しんでいいし、未来に希望をもっていいんです。
それこそ、「自分らしく生きる」事だと思っています。

自分は障害者なんだと思うと、引け目を感じたり「どうせ自分なんて…」と卑屈になってしまいがちだけど、
それはあまりにもったいないし、何よりも自分に対してかわいそうだよ。

「障害者は卑屈に生きるべき」なんてルールはどこにもないし、そう言ってくる奴は無視でいい。
ネガティブなフィルターを自分にかけちゃダメ。

誰でも、自分らしく前向きに生きる権利がある。

「障害者が人生に希望なんて持てる訳ない…」なんて思う人は是非、
障害者施設のイベントに参加してみて
施設のギャラリーやカフェに行ってみて。
メンバーやスタッフたちと話してみて。
彼らの作るアートや、活動に触れてみて。

前向きなパワーやエネルギーを感じられると思う。
「障害者も生きてていい」という勇気をもらえると思う。
皆、めっちゃ楽しそうだから。

こういうのを見ると、障害って、障害者って、どうでもいいものかもしれねえなと考えさせられます。
もちろん彼らに対して仲間意識を持てなんて事じゃないし、障害を活かしてアート活動しろなんて事でもない。

ただ、「自分も前向きに生きていいんだな」と、感じるだけでいい。

障害健常関係なく、結局は「自分らしく生きる」事が一番大切な事だと思ってます。
障害の受容は、その為に必要なステップなんだと考えています。
それは決してプライドを捨てる事ではないし、自分を否定する事でもない。

障害が分かって、プライドが粉々になってしまったと感じるかもしれないけど、必ずその先に新しい世界が見えてくるから。

時間がかかってもいい。ありのままの自分を受け入れていこう。


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