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何より大事なのは私の心の余裕でした

先日、とても嬉しいお話をいただきました。
仕事の話です。

大好きなお店のマネージャーさんから、
「うちで働きませんか?」と誘っていただいたのです。

転勤族なので、長くてもあと2年以内には動く可能性が高いこと。入ったはいいけど、来月引っ越しになるかも分からないこと。それを分かった上でお声掛けいただいたことが嬉しくて。
帰宅してもほわほわした気持ちでいました。

(マネージャーさんもオーナーさんも、とってもチャーミングな女性で、プライベートでも交流があります)

と同時に、心の奥では静かに、働かないことを決めていました。

専業主婦という生き方が、私の中でとても大切になっていたのです。今はもう罪悪感ではなく、良さをしっかりと感じられるように変化していました。


父子家庭だった頃、学校・受験と家庭の両立は本当に大変で、子供ながらに「仕事と家庭の両立なんて絶対に無理···」だと思っていました。そのため結婚後は仕事を大幅にセーブして、週2~3の出勤に抑えられる勤め先を探すようにしていました。

それでも、専業主婦でいることは全く違いました。それは、精神的な余裕。
思えば幼稚園入園以来初めて、「きちんとしなければいけない場から開放された」とも言える気がします。
いくら週2日でも、仕事をする以上しっかりと勤めたい。必要な知識はもちろん身に付けたいし、仕事に支障が出ないように、体調、睡眠、身嗜みなどを考えると、逆算して仕事中心に意識するようになります。
そして私は、人より間違いなくキャパが小さい。燃費の悪い車のように、あっと言う間に消耗します。
そうなると、夫にイライラモヤモヤ。。
夫がいつもと違う何かをしたわけではなく、私の余裕の無さが、ピリついた空気を作ってしまうのです。


「ちゃんとしなきゃ」という潜在的な緊張感が消えたました。
疲れても、寝不足になっても、夫が働いている間に寝たり休んでリカバリーできます。
夫がイラッとした瞬間も、「イライラしないでよ!」ではなく「イライラすることもあるよね」と理解したりそっとしていられます。
幸か不幸か子供に恵まれなかったこともあり、家事の量もタイミングも自在に変更することが可能です。

そうして自分のキャパと体調をしっかり守れるようになった時、その余裕を周りに還元したくなりました。

私の場合は、全19パターンある夫のシフトに暮らしを合わせること。

同じアパートの子供達と遊んだり、急に預かったりを、時間を気にすることなく出来ること。
(トップの写真は、隣の奥さんが撮ってくれた私と2歳の子)

乳幼児4人(5歳 3歳 0歳 0歳)の弟家族のヘルプに、頼まれたらすぐに飛んでいけること。
(高速で1時間の距離)

ご近所さんと気持ちよく交流することです。

仕事の話をいただいた時、真っ先に浮かんだのは
「働いたら、畑のおじいちゃん達や子供達と毎日会えなくなる」という寂しさで。
ご近所さんとの交流は、私の大切な日常になっていることに気付きました。


夫が仕事から帰って、楽しかったこと、大変だった話をうんうんと聞きながら、
夜中に「ラーメン食べようか」なんて作る気持ちが自然とわくのも、夫の夜食も兼ねるから、具沢山の味噌汁にしておこうと愛情から料理を楽しめるのも、私には無限の時間的余裕があるからです。

稼ぎで貢献するよりも、私が自分のキャパを守って心に余裕があることのほうが、私達夫婦にはよっぽど大事だったということを痛感しています。


一見、家のことだけをして夫や周りのサポートをしている私は、ただの自己犠牲や古い生き方に見えるかもしれません。
でも、日々気持ち良く家庭が回っていく(回していく)って、とっても満たされます。
自分の一番ベースになる部分が常に整っていて、満タンという幸せは、何ものにも代えがたいと感じています。
そんな風に「心地よい家」と「心地よい家族関係」を常に作り続けていく、調整役?経営者?だと自覚するようになりました。
仕事が大好きな方が、仕事のことばかり考えてしまう!と話すように、私は幼い頃からいつも家のことばかり考えていました。それは単に家事を任されていたからではなく、
あぁ私、家庭に夢中なんだと。私にとっての天職って、どうやらきっと、主婦なんです


マネージャーさんにも、お仕事という形では力になれないけれど、
「私に出来そうなことがあれば、気軽に声を掛けてね!植栽の草むしりとか、ちょっとした内職的なこと、今お掃除まで手が回らない!とか」
家族やご近所さんにするような形で、力になる気持ちはいつでもあると伝えようと思っています。




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