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180分の一期一会

「サンジカン ノ コース オススメ デス」とガイドに言われ、車を降りたのは大山達也。彼がベトナムひとり旅をしたのが2020年2月である。

 彼はかねてから気になっていた、ベトナム縦断の旅に出ていた。南のホーチミンから北のハノイに向かっての縦断の旅も終盤近く。ハノイに近いニンビンという街近郊には、世界遺産のチャンアンというところがある。

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「山の中のボートクルーズか、しかしずいぶん警戒しているなあ」
 確かに大山が旅をスタートしたころ、中国では謎の肺炎が流行っているというニュースが流れている。これは後に日本を含めて世界中を席巻したウイルス感染症に発展するのだが、当時はそこまでのことになると思っていなかったので、予定通り旅を続けた。

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「イツモナラ チュウゴクジン デ イッパイデス」とガイドが言っていたが、今彼らはベトナムとの国境が閉鎖されているという。南部ではそこまで気にならなかったが、中国国境と陸続きの北部では警戒感が違う。

「しかし、長袖を持ってきておいてよかった。あんなに夜が寒いとは。暖房もないし」と、昨夜寒さで震えていたことを思い出す。南北に長いベトナムの南部は熱帯だが、北部は亜熱帯域らしい。だから2月のころは昼間は過ごしやすいが夜は冷え込んだ。

 そしてこの日も天気が良いが、涼しいどころか少し肌寒さすら感じる。

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 本来なら行列ができてボートに乗り込むのに時間がかかりそうなイメージなのに、ほとんど人のいない通路を歩いてあっさりとボートに乗船。

 大山はガラガラだからボートに一人貸し切りだと思った。だがそれは違い、指示されて乗り込んだ船には、年配のベトナム人夫婦の観光客が乗っている。一体どういう理由でそうなったのだろう。
 大山は十分なベトナム語が話せない。だから不満を出すことなくその指示に黙って従う。そして静かに備え付けのライフジャケットを着用した。

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 特に会話する必要はなかった。すぐに手漕ぎのボートは動き出し、映像ではない、生の絶景がすぐ目の前に広がったらだ。事前にネットなどで雰囲気は知っている。だが実際に来ると、視覚を筆頭に聴覚、嗅覚、その鼻を通じて不思議に感じる味覚、そして肌からくる触覚。この五感がフルに駆使して脳に焼き付ける。余計なことを考える必要は一切なかった。

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 この日での最初のほうのスタートというのも良かったようだ。前のボートが漕いだ跡などもなく、水面が鏡のように静かである。そして上の風景を、限りなく忠実に再現して映し出す。
 やがて反対側から船が来た。観光客用ではない地元の人が漕いでいる。

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 暫くすると最初の上陸ポイントに近づいた。見ると大きな魚のモニュメントがある。「これを見ると、ベトナムも中国っぽい」と、大山は頭の中でつぶやいた。

 船を降りて、ベトナム人夫婦の後を降りる。すぐに他の1艘のボートが到着。「あの夫婦は6人グループだったのか。しかし一体どこから来たのだろう」大山は彼らがベトナム人であることははっきりわかる。
 船頭とのやり取り、そして会話の意味は分からなくてもそのしゃべり方の音感でベトナム語だと理解できるのだ。

 だが大山はあえてそんな質問をするつもりはなかった。必要がないといったほうが正しいか。

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 ここには寺院があったようだ。祀っているのは仏像ではなかった。道教寺院だろうか、大山は詳しくない。ただ漢字で何かが書かれていて、やはり中国っぽいのだ。

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 「参拝をしなさいということだったのだろう」10分程度の滞在で、すぐにみんなが乗り込み再び動き出すボート。

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 見ると大きな岩山が迫ってきた。下のほうを見ると黒い穴がいている。「まさかあそこに入るのか」大山の予想は的中した。

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 一見先に何もなさそうに見えるが、手漕ぎボートが入るだけの余裕はある。

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 洞窟の中は外とは違う、遠くからの声が反響しているし、ボートにスピードを感じる。ただ本当に狭い空間。油断すると目の前に鍾乳石が突っ込んでくる。身長が高めの大山は体を少し体制を低くし、洞窟を通過することになった。

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「また次の洞窟?いったいいくつあるのだろう」でも大山は、そんな洞窟探検を内心楽しんだ。

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 外では静かに眺めているベトナム人夫婦。しかし洞窟に入ると歓声を上げる。またここでも同様だ。洞窟内が反響する。並行して走行するボートの人たちも、同じように声を張り上げているのが反響して耳に伝わった。

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「ずいぶん長いな。まあ出口があるんだろうけど」
 とはいえ今回の洞窟は背が高い。大山は体制を変えることなく楽しめた。

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 2番目の立ち寄り場に到着した。今回は少し時間があるらしい。といっても想像だ。「事情を知っているベトナム人夫婦についていけば」と、大山はそれだけを意識した。

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 ベトナム人の団体はあるところを目指した。大山はただついていくだけ。

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「これはまた急な階段。山を登るのか?」運動不足気味の大山は、早くも息切れ状態。それは目の前のベトナム人たちも同じだ。


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 苦しみながらも一番高いところに来たようだ。観光ボートが次々と動いているのが見える。

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 今度は下りが続く。一体どこに行くのだろう。

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 終着地点に到着した。底には小さな祠がある。手を合わせるベトナム人団体。しかし、ここから来た道を戻るしか方法がないことを直後に知る。一気に疲労がたまった。

 ベトナム人たちは不満が募って議論をしている。その前にいち早く戻る大山。結局彼らは5分遅れで戻ってきて、ボートはスタートした。

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 別の洞窟に入る。先ほどのところが一番先のようで、少し引き返し途中からルートが変わるようだ。

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洞窟内には多くの瓶が置いてある。「洞窟内の温度は一定だからなあ」観光地といいながらも、この洞窟は地元では貯蔵庫なのだ。

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「明るい世界はいいなあ」大山は小さく声に出してつぶやいた。暗闇からリアルに抜ける瞬間は、何度経験しても心地よい。


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「また洞窟だ」さすがに飽きてきたのか、このころにはベトナム人たちの声も聞こえなくなった。

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 洞窟内を後ろからのボートが追い抜いていく。観光客を乗せて動かす目的なのに船頭同士が、ひそかに争っているのか?そうならば大山の乗る船頭は抜かれてばっかりだ。

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 最後の洞窟を抜けてやがて来たところと同じ場所が見えてきた。ここで前に座っていたベトナム人が、振り向いて一言、そして片手を開ける。「1人5万ドン(250円相当)が必要なのか」大山はつぶやきながら財布を開け、言われたとおりに手渡す。船頭へのチップのためだという。彼らも払い、しっかりと船頭の手に渡されているのを確認した。大山が疑問を挟む余地はどこにもない。

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 こうして180分の船旅は終了した。同乗したベトナム人達と、特にあいさつや会話を交わさなかった。彼らも夫婦水入らずのほうがいいに違いない。でもこれだけは言える。これは180分の一期一会であると。


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シリーズ 日々掌編短編小説 253

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