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ラーメンの紋様

「では、お電話ありがとうございます。私伊豆が承りました」
 伊豆萌は、2か月前からこのコールセンターで働き始めた。内容な顧客からの問い合わせを受ける立場。それほどテクニカルな内容ではないが、最近ようやく慣れてきた。電話を受け付ける本数も日々増えて来ている。
「伊豆さん、お昼の時間ですよ」と声をかけたのは、先輩の蒲生。伊豆の教育担当でもある。

 ふたりは、1時間昼休憩。電話を受け付けるという業務の関係上、メンバー全員が一斉に休憩を取るわけでは無い。このタイミングで休憩出来たのは、萌と蒲生だけ。
「伊豆さんと一緒のお昼は久しぶりね。せっかくだから伊豆さんが食べたいものに合せるわ」
との声に一瞬頭を天井に向けると「特に、私は何でもいいので、蒲生先輩のおすすめで」と小さくつぶやいた。すると蒲生は、笑顔になって嬉しそうに「そしたら私の大好きな中華料理店行かない。おすすめなの」と言って来た。
 萌は内心「やっぱり」と思った。なぜならば蒲生が相談するときは、たいてい自分の意向を持っていることが多い。一応相手の意見を聞きながらずれていれば反論するパターン。恐らく今回も初めから中華料理を食べたかったのだろう。

 蒲生が行く中華料理店はそれほど遠くない。ものの数分で店の前に来た。「あ、ここ知ってます。でも行ったこと無かったです」
「そう、伊豆さんここおいしいんだから、入りましょ」
 店は歴史のありそうな小さな中華料理店。「中華料理」と黒で大きく書かれた赤い暖簾が昭和っぽい。時間は午後1時過ぎと遅いので、行列などはなかったが、ピークタイムには行列ができている店。萌は気になっていたが、今まで一度も中に入ったことが無かった。

 暖簾をくぐり中に入る。内部はテーブル席が5席ありカウンターもある。この時間はテーブル席が2つほど埋まっているだけであとは開いていた。「さ、あそこ奥のテーブル開いているわ。座りましょ」「はい」ショートカットの蒲生は、ポニーテールの萌を案内して先に座らせる。萌は申し訳なさそうに軽く頭を下げて応じた。

 蒲生は、伊豆よりも7歳年上の30歳。すでに2年前に結婚している。子供はまだのようだが、コールセンターでは相当な古株。管理者からも一目置かれている存在である。伊豆はそのようなこともあり、最初は蒲生に対して緊張していたが、そんな新人の緊張を解きほぐすのも彼女はうまい。
  そんなこともあってか、萌は蒲生の間では緊張することはない。むしろ良き先輩として募っている。
「さて、今日の日替わりはラーメン定食か。私はそれにするけど、伊豆さんは?」「あ、私も同じでいいです!」

 ラーメン定食2つを注文すると、入れ替わりに水がふたつ運ばれる。萌は軽く水を飲む。
「伊豆さん、仕事の方はどう」「あ、どうにか最近件数が取れるようになりました」「へえ、頑張ってるわね。その調子よ。でもまだ新人だからちょっとでも困ったことが合ったら相談してね。この前のときみたいに」
 電話の問い合わせの多くは質問で、それはマニュアルに書いてあるのを読むだけである。しかしたまにふさわしくない電話がかかることがある。フリーダイヤルだからか、暇な人が何度も電話を掛けたり、相手が若い女性と知ると、全く無関係な話をしてきたりする人がいるのだ。萌が5日前に受けた電話の相手もそんな暇人の男性である。会話のやり取りに苦慮してしまい、ヘルプを出して蒲生に転送。蒲生のトークは手慣れていて、相手を不機嫌にさせない程度に引き下がらせた。

「はい、それは。でも先輩は、どうやってあんな厄介な相手を」
「フフフ。それは慣れよ。そのうち自然と対処法がわかる。私も新人のときは伊豆さん以上に大変だったわ」「本当ですか?」「本当よ」
 そういって蒲生が水を飲んでいると、さっそくラーメンが登場した。セット内容はこのほかにと半チャーハン、それからキクラゲの酢の物が入った小鉢と、漬物。さらにデザートのフルーツがセットになって、お盆ごとテーブルの上に置かれた。

「さ、食べましょ」蒲生のひとことで、ふたりはテーブルに建ててある割り箸に手を伸ばした。
 最初にラーメンの目の前に置いているレンゲを持ち、ラーメンのスープに入れると、スープを掬い取る。そのまま口の中に運ぶ。ラーメンはやや高温なのか、レンゲの上のスープにもかすかな湯気が見える。口に入れる直前に、口を膨らませ、尖らせた口角から空気を2回送り込む。そして口を開けるとレンゲの角度を90度ずらし、スープを口の中に放り込んだ。まだ熱さの残るスープを舌でなめまわしながら旨みを感じた後、そのまま喉に押し込んだ。
「ノーマルな味」萌は思わず口に出す。「そうでしょう」と、蒲生が続く。「この店は昔の中華そばを出しているから好きなの。ラーメンはどんどん進化しているけど、どうも奇をてらいすぎている気がするのね。もちろんそういうラーメンも良く食べるけど、こういうオーソドックスな醤油味の中華そばが好きかな。このメンマとナルトが乗っている物ね」

「先輩解ります。私もジロウってラーメンは、苦手ですね。私もこの味好きです」「でしょう」別に萌は蒲生に合わせる気はなかった。でも本当に好きな味である。
 続いて割ったばかり割り箸をスープの中に突っ込む。そしてゴミをあさるかのように引っ張り上げると、中華麺が浮かび上がってくる。ストレートでやや太い麺は、柔らかめになっている。ある程度まで麺が上がると、軽く上下させ、その後に口に運ぶ。片方の手では蓮華がその下にあり、あたかも待機させているようである。

 そして口に含む。音を立てて食べる行為が嫌われる中。例外的に日本の麺類を食べる時だけは音を出すことが許される。むしろ奨励されているようだ。だからここでも麺を口の中に運ぶ際に、わざと音を出すのだ。
 そして口の中に入る麺。確かにやわらかいが、スープが染み込んでいるのか、麺自体に旨みがある。数回歯で噛み砕くと、そのまま喉に通し、喉ごしの余韻を最後まで噛みしめた。

 そうしてしばらくふたりは黙ってラーメンとチャーハンなどのセットメニューを食べ続ける。
 萌のラーメンが残り3分の1を切ったころであろうか、蒲生が突然声をかけてきた。「ねえ、伊豆さん。このラーメンの丼のうえにある、ラーメンらしい紋様ついているでしょう」
「あ、そうですねこの四角いのが迷路みたいにどんどん小さくなる。いかにものラーメンマークですね」
「それの正体知ってる」「え?」

 ラーメンのマークの正体? 蒲生が意外な質問をしてくるので、萌は一瞬頭の中が白くなった。思わず戸惑いつつも、顔がラーメンから蒲生の方に向けられる。
「え、あ、考えたこと無かったです」すると、勝ち誇ったような嬉しそうな表情になる蒲生。「それねえ、雷紋てっていうの」「ライモン?」
「そう、稲妻紋ともいうらしいけど、中国では3000年前から使っている紋様なの」「あ、中国って4000年の歴史ですよね」
「でも日本でも古い九谷焼とか伊万里の絵皿でも使っているの」「へえ、そうなんですか知りませんでした」
「それに」「まだ何かあるんですか」「横浜市交通局でも使っているわ」「それは、横浜に中華街があるからですか?」

「え、それは... ...」萌の質問に今度は蒲生が固まった。「ごめんそれは解らないわ。でもね私の実家、横浜で中華料理店経営しているの」
「え、先輩の実家横浜中華街にあるんですか?」萌はこの休憩中で最も驚いた表情をした。あまりの驚きぶりだったのか、蒲生がこの休憩中で一番うれしそうに笑う。
「ハハ、違う違う。でも、父方のおじいちゃんが、中華街の名店で修行したとか聞いたけどね。だからラーメンのマークことは。私が子供のときからしょっちゅう父から聞かされたわ」

 萌も笑顔で「ありがとうございます」と一言。そして数秒間を置くと。「すごくいいこと聞きました。これでやっと、私の祖父に伝えられます」と萌が言うと、蒲生が今回の休憩中で最も驚く表情。最後の飲み終えようとしたスープを吹きかける。
「え?この雑学を、わざわざご実家に」
「はい、実は富士市の実家で同居している弟か教えたみたいで、最近祖父がネットをはじめたらしいんです。それで私にもメッセージが送られるんですけど、『面白いネタはないのか』と毎日のようにくるんです。でもこれでようやく私の役目果たせました」そういうと、萌も残りのラーメンの汁を平らげる。

「へえ、すごい。あなたのおじいちゃん。ネット始めたんだ」
「え、何か最高齢インフルエンサーを目指すとか言ってました。それに」
「何があるの?」
「弟も最近ユーチューバーのようなことを初めて、子供のときから習っていたトランペットの生ライブとか始めちゃったんです」

 萌が発する意外な事実に、目を丸くする蒲生「伊豆さんのご家族最高ね!」「え、先輩そんなにすごいですか?」
「うん、すごいすごい。絶対。私のほうときたら情弱のアナログ人間だから、今どき家の固定電話しかないのよ。びっくりでしょ」
「そ、それも極端ですね」と萌の顔が少しひきつった。

 こうしてお昼休みが終わり、再び電話を受け付ける仕事に戻る萌。しかし午後のひとときはいつもより楽しい気持ちになっている。そして大学から単身東京にいたものの、少し離れた場所にいる自分の家族のことをいつも以上に増して誇りに思うのだった。


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追記:小説と無関係ですが、先日書いたこちらの記事を付け加えました。
(noteの運営の人から想像以上に早くお返事をいただきそれについて追加しています)


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こちらは48日目です。

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シリーズ 日々掌編短編小説 214

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