春節もテトもそして建国記念の日も実在しない?

「今日は建国記念の日か」
 妻のホアがパソコンの前で、誰かと真剣な眼差しでネットのやり取りをしている横で、石田圭はカレンダーを茫然と眺めている。
「それにしてもピンと来ないな。神武天皇が即位した日だっけ。そんな過去すぎる人のことだし。そもそも実在しているかどうかも怪しい。例えば徳川幕府だったらもっと身近なのにな。まあ祝日だからいいか」
「日本はせっかく歴史があるのに、圭さんは変なの」気がついたらホアが横にいた。

「そんなものかなぁ。えっと確かベトナムの建国記念日は、ホーチミンが宣言した1945年だっけ」それに小さく頷くホア。ところが表情が暗い。

「あれ? ホアちゃんどうしたの? ネットで何かあった」「うん、実はSNSで知り合った、陳君とさっきまでやりとりしたんだ」
「陳君って、あのこの前言っていた中国からの留学生?」「そう、今年は明日12日がテトでしよ」「あぁ旧正月のことね」圭はそのとき部屋に飾られていたベトナムの正月「テト」の飾り物を見る。
「ベトナムのテトのこと、中国では春節というじゃない。最初はお互いのその特徴とかを話してたのに、途中から激しい議論になって」
「なんでそんなことで! 別に国ごとに読み方も違えば、祝い方も多少違うだろうに」圭は困り果てた表情でホアを見る。

「うん、でも途中からチャットみたいになって激しいバトル。わたしも熱くなって」しゃべりながらも悲しそうなホア。
「で、どうなったたの」「途中から突然、返信が無くなっちゃった。そんなきついタイミングじゃなかったのに。やっぱり言いすぎたのかしら。ウリコトバニカイえっと」「売り言葉に買い言葉だろ。それで陳君には謝ったのか?」
「メッセージで何度も。でも30分間全く返事ないの。ああ、どうしよう。ひょっとして私、友達無くしたかも」と言ってホアは圭の胸に飛び込んで泣き出した。圭はホアの頭をゆっくりなでる。

「もう、ホアちゃん仕方ないな。こうなった以上、謝っても反応なければそうなんだろうな」「ええ! そんな! えーん。こ、こんなことがなければ、ずっと友達でいられたのに」ホアは声を出して泣く。
 目には涙があふれ出した。圭はなだめるしか手段が思いつかない。

 10分くらい経過してようやくホアが落ち着いた。圭は目をつぶって体を寄せたままのホアを抱きしめて体をなでている。
「あ、ホアちゃん。パソコンにメッセージ」「え!」ホアは慌ててパソコンに戻ると陳からのメッセージだ。

「あ、陳君!」ホアは声を出しながらメッセージを見る。
「ホアちゃん、突然メッセージのやりとりストップしてゴメン」「ううん、そんなことない私が言い過ぎたゴメン」「いいよ。もうそんなこと。もうどうでも良くなった」「え!」「だって春節もテトもそれからネットも僕やホアちゃんも実は存在していないかもしれないから」
「... ...」
 あまりにも突飛なメッセージを出す陳に、ホアは画面を見ながら口を開けて固まった。心配そうに圭もホアの横に行ってメッセージを見るが、同様に固まる。

「ごめん、びっくりさせちゃったかな。実はホアちゃんとのやり取りの途中から、次のことがあったんだ」

ーーーー

「今日はホアちゃん攻撃的だなあ。ベトナムの人はこういうときは、本当にムキになる」陳はこの不毛な議論に終止符を打とうと、ホアの怒りを抑える文章を考えていた。ところがいざキーボードに向かおうとすると不思議なことが起きる。キーボードはおろかパソコン、さらには部屋の風景が全く見えないのだ。陳は自身以外は何もない真っ白の空間にいる。

 十数秒くらい? 正確にはわからないが突然画面が変わった。そこはなぜか外で石畳。周囲にはヨーロッパ風の建物が並んでいた。
「うん? あれテーマパーク。え、どういうこと?」陳は知らぬ間に靴を履いている「一体何?え。夢」だが頬をつねったら痛い。

「お、見たこともない顔。東洋人か?」と、正面から話しかけてきた白人の男性。中世から近世にかけてのヨーロッパの民族衣装のようなものをまとっている。
「あ、あのう。ここどこですか?」お互いの言葉は通じていた。陳は中国語でしゃべっているつもりである。それが白人男性に伝わるが、その際に言語が変換されているように聞こえた。その後彼から発する言葉も最初はわからないが、陳の耳元では中国語として理解できる。

「うん? ここはネーデルラント(オランダ)だ。君はどこから」「え、あそれは、えっと」陳は怪しまれないようにとっさに記憶が無くなったようにごまかした。
「記憶を失ったのか」「はい」「じゃあ名前は」「あ、ああ」陳はここでも名乗らない。「そうか。それはかわいそうだな。よし近くだからとりあえず私の家に来なさい」「あ、は、はい」
「あ、私の名前はルネだ。よろしく」ルネと名乗る男は、そういって握手を求めて来たので、陳はそれに応じた。

 ルネと陳は一緒に歩き出す。「まあ君にこの話をしても仕方がないが」とルネは前置きしてため息をついた。
「実は来週からスェーデンに行かなくてはならないんだ」「海外旅行ですか」「旅行? そうと言えばそうだが、多分もうこっちには戻ってこれないだろうな」ルネは真剣なまなざし。

「どういうことですか」不思議そうな表情で陳は質問をする。
「実は、クリスティーナ女王の招きなんだ」「女王からの招きって、ルネさんすごいじゃあないですか!」陳は思わず声が大きくなった。
 しかしルネは首を横に振る。「あんな北国なんかに行きたくない。だが3度も親書をよこしてくるし、海軍提督が迎えに来てしまったんだ。さすがにもう断れない」
「歓迎を受けているのになぜですか?」「今から出発すれば、ストックホルムには10月ごろにつくだろう。これから冬の時期だ。聞けば早朝から講義をしなければならない。朝はゆっくり眠りたいのにだよ」ルネは辛そうな表情。  

 陳は黙って頷くしかできない。

「ルネさんて! そんなにすごい人なんですね」陳は思わず姿勢を正した。
「ふん、大したことは無いさ。お、そうだ。せっかくだから東洋人の君にも伝えておこう」

 ここで軽く咳払いをしたルネは次のように語り出した。
「この世の中は存在しているように見えるだろう」「はい、そうですが」
「果たしてそれはどうだろう。世の中のすべての存在を私は疑っている」
「え!」陳はルネの言っている意味が分からない。
「例えば目の前に見えるものは」「はい、家とか歩いている人」と陳は見たまま答える。
「うん、確かにそう見えるな。だが果たして現実のものか、幻覚や夢の可能性はないだろうか?」

「え!!」陳は再度驚いて目が大きく見開く。
「ついでに言うが、東洋人の君も。そして君が見ているこの私も本当は存在しないかもしれないということだ」
「あ、はあ... ...」

「よし、着いた。ここが私の家だ。見えるが実は存在していないかもしれんぞ。おっと靴が汚れているな。私は今から靴を拭くから先に中に入っておいてくれ。心配はいらないドアに鍵はかかっておらん」
「わかりました」ルネに言われて家のドアを開ける陳。そのまま中に入るが真っ暗だ。「え?」陳は振り向くとドアもなく真っ暗。
「あれ、ルネさん!」と大声で呼びかけるが反応なし。
「あれ、なに、え?」陳の思考が固まった。

 十数秒後突然暗闇が消えたかと思えば、目の前にパソコンがある。ここは陳の部屋。元に戻っていた。
「え、夢?でも頬が痛かった。あ、そうか。ルネさんがさっき答えだしていた。あれは幻? でもじゃあこれもかな? すべては幻覚の世界?」

ーーーーー
「ということなんだ。だからルネさんが言うように、すべてが幻覚や夢かもしれないってこと。じゃあ、あまりさっきのことも気にしないで。お互い幻覚の世界で楽しく生きようね」と陳がメッセージを流すと、以降のやり取りは終了した。

「気にしないでって、余計に気にするよ! ねえ、圭さん。陳君わけのわからないこと言ってるけど。これって私のこと本当に嫌いになって、バカにているのかなあ」ホアは不機嫌な視線を圭に送る。
「うーん、陳君のことはわからない。でもホアちゃんはそこで勝手に解釈しないほうがいい。だけどそのルネって。あ! ひょっとしたらデカルトだ。ルネ・デカルト」思い出した圭は大声を出す。
「デカルト。誰?」
「哲学者だ。近世哲学の祖と言われているほどの偉人。彼は『われ思う、ゆえにわれあり』って言葉を残している人で、それまで信仰が中心だったのが理性で倫理を追求するという方向に変わるきっかけを作ったんだ」

「それが、幻とかって」「だから彼は一回すべてを疑ったんだ。それまで当たり前だった考えをクリアにして、合理的に考えるということだよ」

「圭さんなんで詳しいの」「あれ、ホアちゃん言ってなかった。俺、大学のころは哲学科だったこと」
「あ、言ってた気がする!」ホアは思い出して一旦は明るい声をだすが、急に表情が暗くなる。「ホアちゃんどうしたの?」
「なんか陳君のこと聞いたら、デカルトという人ってひどいかも」
「え?何で」「だって私も圭さんも幻だなんて、そんなのイヤ!」と言ってホアは圭に抱き着いた。
「だ、大丈夫。彼の後もいろんな哲学者が出ていろいろな体系が出来て来たし、それに僕たちはちゃんと実在しているから。お腹の子も、もちろん」と言って先ほど同様に体をなでる。

 ホアはしっかりと圭に抱き着いたまま動かない。このとき圭はあることを思い出した。

「あ、そうか。今日2月11日はデカルト1650年の命日だ」


こちら伴走中:29日目

※次の企画募集中
 ↓ 

皆さんの画像をお借りします

こちら現在無料キャンペーン中
  ↓ 

こちらから「旅野そよかぜ」の電子書籍が選べます

https://www.amazon.co.jp/s?i=digital-text&rh=p_27%3A%E6%97%85%E9%87%8E%E3%81%9D%E3%82%88%E3%81%8B%E3%81%9C

ーーーーーーーーーーーーーーー
シリーズ 日々掌編短編小説 387

#小説 #掌編 #短編 #短編小説 #掌編小説 #ショートショート #30日noteマラソン #圭とホア #哲学 #旧正月 #建国記念の日 #デカルト #2月11日

この記事が参加している募集

#とは

57,754件

#最近の学び

181,254件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?