彼岸に歌う勝負曲
「5月に父の3回忌も終わってから、しばらく法事がないから、久しぶりにこういうところに来ると身が引き締まるなぁ」「そうね」
海野勝男と妻の沙羅は、どちらも喪服に近い黒っぽくて地味な服装。秋分の日であるこの日、山の中腹にある郊外の寺院に来ていた。ここは海野家の菩提寺がある。そして併設している霊園には墓があった。ここで納骨堂に立ち寄った後、墓参り。
そして駐車場への帰り道には、赤く染まったヒガンバナの畑がある。「あ、あのヒガンバナきれい」「おお、これは彼岸らしいな。しかし昼と夜が同じという春分と秋分のタイミングに、彼岸というのがあって墓参りをするというのはいつも不思議に思う」
勝男は子供のころに母を失い、父を見送ったのが一昨年の5月。ふたりに子供はいない。「海野家はついに俺たちだけになってしまった」「ごめんね。私のほうは両親どころか、その両親までみんな健在」
「謝る必要はない。父と母は今では同じ墓の中で仲良くやっているだろう。そしてこの世は、俺の両親の代わりといってはなんだが、沙羅のご家族にはみんな長生きしてほしいところだ」
勝男と沙羅は、すべての用事を終えは駐車場に戻ってきた。車のロックを解除し、ドアを開けそのまま乗り込む。地味目のスーツに黒いネクタイをしてた勝男は、ここで上着を脱ぎ、ネクタイを外す。
この間、特に会話もなく淡々と車のエンジンがかかり、動きだした。
舗装された道路を山から平野に下っていく。ここから家までは2時間近くだ。やがて山を下り切ろうとしたときに、勝男が口を開いた。
「本当はだめかもしれないけど、このまま帰らずに、立ち寄りたいところがある」
「何、どこに行くの?」
「ふたりで久しぶりにカラオケに行かないか」
「ええ!」あまりにも意外なことを言ったのか沙羅の声が裏返る。
「今日父の墓参りをしたじゃないか。父は地域の、のど自慢大会でいつも優勝争いを演じるほど歌がうまかった。母を失ってからはひとりでカラオケに行って練習していたらしい」
「なるほど、それで今日カラオケってことね」ハンドルを握りながら、勝男はうなづいた。
「でも、この格好じゃ、葬式帰りみたいで嫌かな」と自ら来ている黒っぽい服装を見ながらため息をつく沙羅。
「おい、着替え持ってきただろう」「あ、まあ、あるけど」
「ちょうど、道の駅があそこにある。そこのトイレで、服を替えたらいいじゃないか。今日はどうしても歌いたいんだ」
「わかったわ。今年に入ってからカラオケに行けてないし、今日はまだ時間があるからそうしようか」
車は帰り道にある道の駅の駐車場で止まった。ここで勝男と沙羅は紙袋に入っている服をそれぞれ持ち、車から出てトイレに向かった。
約10分後に車に戻ってきたふたり。スーツを脱いでオレンジのTシャツと青いジーンズ姿になり、心なしか気分が楽になった勝男は、車に乗る直前に、大きく背伸びした。
沙羅に至っては、全身黒だった服装だったものが、薄い緑のブラウスに黄色いロングスカート姿になっていた。
「よし、行こうか」「うん、着替えると不思議と気分変わるわ」
再び車は走り出した。20分ほど走ると「カラオケ」の看板を見つけた店を見つける。車はその看板の下にある駐車場に吸い込まれた。
「さて、今は午後2時半か、それなら2時間くらい歌おうか」「そうね。久しぶりだし、さて何歌おうかしら」
そういってふたりは、双方笑顔でカラオケルームの中に吸い込まれた。
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2時間ほど経過。
「ああ、すっきりした」カラオケルームから出てきたふたりは、行きにもまして笑顔が良くなっている。存分に歌ったことで血行が良くなったのか、顔色まで良い。「お義父様の大好きな」「ああ、そうやっぱり今日はそれを歌わないとだめだろう。父の十八番。でも歌が本当にうまかった。やっぱり俺は、まだまだだな」
勝男はそういいながら、口元を緩めて歯を見せると、車のロックを解除して、ドアを開ける。
「やっぱり入ってなかったわね。やっぱり日本のカラオケにはないのかしら」車の助手席に座り、シートベルトを着けながら、沙羅がつぶやく。
「だろうな。いいよ、じゃあ、今回も車内で流そうか」勝男はエンジンをかけると、先に車のFMチューナーに取り付いていあるFMトランスミッターを操作する。そしてスマホともつないでセットした。最後にスマホに入っているある曲をセレクト。
そして音楽がスタートするのを合わせるかのように、アクセルの板を足で踏み込んだ。
曲を聴きながら思い出す沙羅。「あなたと、出会ったのがタイのプーケット島」「そうそう、懐かしい。偶然に同じプーケットツアーで出会うとはな。俺たちは男3人」「で私のほうも女性3人」
「こんな出会いが本当にあるとは、今でも不思議だ。まさかプーケットで合コンなんて」勝男は目の前の信号が赤になったので、ブレーキを踏みこみ車を止めた。
「その上私たちだけでなく、3人ともカップルが成立して、そのまま結婚まで行ったんだから。あのプーケットの日々は本当に神か仏の導きとしか思えないわ」沙羅は視線を遠くに置き、懐かしそうに語り続ける。
「だからこれは、俺たちの勝負曲だな」「そう3泊のツアーで、1日目の夜に6人でご飯べたあと。みんなで飲みに行ったバーのBGMとして流れていた曲」
「次の日は夕方からふたりだけで行ったな」
「そうね。なんか抜け駆けみたいになって、あとのふたりに悪いかなって思ったら、結局私たちのを見てたのか、あと二組もできちゃうんだから」
「だけど初めてふたりっきりになって別のバーに行ったのに、これ当時のヒット曲だからやっぱり流れていた」
「あのとき言葉も判らないのに、メロディだけを鼻歌のように一緒に追いかけたわね」
青信号になったので、アクセル板を押す。そして再び車は動き出した。
「でも、帰国して調べたら『マー・タムマイมาทำไม(どうして来たの?)』って曲だってよ。そのままじゃないか。どうしてプーケットに来たの?ってことか」「お互いにね」
このタイミングでちょうど曲は終わった。「もう一回流そうか」「うん、また歌いましょ。私たちの勝負曲」そう言って、再び同じ曲が車内に流れる。そして今度はプーケットの夜のように鼻歌のように歌いながら、メロディーを追いかけるふたりであった。
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こちらは82日目です。
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シリーズ 日々掌編短編小説 247
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