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逆鉾を引き抜く男

「もう少しだ。まだ歩けるか」「大丈夫です。もう一息ですね」
 ここは九州の高千穂峰。実は高千穂(たかちほ)は、宮崎県の北端、熊本県との県境近くにも同じ地名のところがあるが、こちらは鹿児島県との県境。霧島連峰の中にある山である。
 ときは幕末の1866年。かつて土佐藩士で脱藩した坂本龍馬が、妻となった楢崎龍と共に鹿児島に来た。そして霧島連峰・高千穂峰の山頂を目指している。

「しかし今年は慌ただしかった。無事に薩長同盟が成立したかと思えば、寺田屋で思わぬん襲撃を受けたしな」龍馬は既に癒えたとはいえ、そのときに傷ついた場所に、思わず手を置く。
「でも、そのときにあなたが受けた傷を癒す名目で、薩摩に旅行に来れました。そして念願の高千穂峰に登れたんです。龍馬さまには悪いけど、私には良かったかしら」と、龍が笑顔を見せると、つられるように竜馬は白い歯を見せる。

「まあ薩摩の方々には、今回ずいぶん世話になった。これでこの国が良い方向に行けばよいが、俺もあとひと頑張りせねばな」
「まあ龍馬さま。今は余計なことを考えずに、ふたりだけでゆっくり楽しみませんか」龍馬は龍のほうに視線を置く。彼にとって龍が横にいるだけで安心感がある。京都の寺田屋で襲撃を受けた際には、直前に龍の機転があって龍馬たちに知らせた。だから危機を乗り越えられたのだ。

 龍馬は前を向きなおし、ゆっくりと山道を登る。すると視界が大きく開け、どうやら頂上がすぐそばのようだ。「龍、あと一息だ!」龍馬の掛け声で龍も頑張り、ふたりは無事に頂上に登った。
 ふたりは頂上に来て風景を眺める。視線を下のほうにむければ霧島の山々やうっすらと雲が見えた。だが少しでも上に目線を合わせれば、雲ひとつない吸い込まれそうなほど澄んだ青空。ほぼ360度近く広がっているのだ。

「おうあれが天逆鉾(あまのさかほこ)か。本当に鉾を付き立てているぞ」龍馬が指をさした方向。そこには途中から三つに分かれている鉾が頂上部に突き立っている。
「薩摩の方々が言うには、あの鉾はこの大地を作ろうとした、イザナギとイザナミの神が、初めて海をかき回して島を作った。それをここに突き刺したという。こりゃ相当古いものじゃな」
 龍馬は気になって仕方がない天逆鉾に近づくと、すぐ目の前に来た。しばらく眺めていたが、ここで少し離れたところから見つめている龍に大声を出す。
「龍! 今からこれを引きぬ行くぞ」「え!! 龍馬さま。そんな大切な神様の大切なものを」慌てて止めようと龍馬に近づく龍。だが龍馬は大笑い。

「ハッハハハハハ! 何を慌てて。それを言ったらこの高千穂の山は、女人禁制ではないか。それをお前、男装までしただろう。このタブーを破って俺についてきたくせに」
「あ、」我に返った龍。男装の黒っぽい袖で、赤くなった顔を隠す。

「いい。だから俺もタブーに挑戦するぞ」龍馬はそういうと鉾の下の部分を両手でつかむ。そしてそれを力いっぱい引き上げる。「お、引っ張っても動かんぞ」
 さすがに長年刺さった鉾だけに、そう簡単には引き上がらない。
「うぉおおおお!」龍馬は声を出し思いっきり力を入れる。しゃがみこみながら全身の力を両腕に集中した。体全体が力む。しかしそこを気合を入れて引っ張る龍馬。すると徐々に鉾の下が動き出していく。そして遂に鉾の底が、地上から抜け出た。
「どうだ、天逆鉾を抜いてやったぞ! ハッハハハハハ。これで日本の夜明けは近い」楽しそうな龍馬思わず龍も笑った。

「うぁああ。本当に抜いてるわ。ハハハ! どうせならそれで、龍馬さまに仇なす相手を」冗談交じりの龍に、龍馬は少し真顔になる。
「いやあ、こりゃボロボロでとても武器には使えん。これじゃあっという間に切られるぜ」というと、天逆鉾を元の位置に立てた。
 そして龍のところに戻ると「今はこれがある。このほうが相手を倒すのが早い」と言って、自前のピストルを龍に見せた。

「でも、ずっと薩摩であなたとゆっくり過ごしたいわ」龍は龍馬に近づいて囁く。「そうしたいのは山々だが、そうもいくまい。ただ今回この鹿児島に来て、桜島や傷を癒してくれた、塩浸の温泉での日々は、良い思い出じゃな」
「ええ、おかげでこんな思い出になる絵も」
 龍は龍馬に登山の途中で、矢立(携帯用の筆記具)で描いた高千穂山の絵を龍馬に見せた。
 ときおり吹く強い風。絵が風が吹くたびに揺られている。だがふたりは気にせずにその絵をしばらく眺め続けた。


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「坂本龍馬は龍と薩摩藩邸で結婚した。そして4月18日から7月13日まで、日本初の新婚旅行に鹿児島を選んだ。その途中に、この霧島連峰・高千穂峰に登ったわけだな」
 自称歴史研究家の八雲は、助手の出口とともに、龍馬が登った高千穂峰の頂上に来ていた。
「そして、今日5月13日に龍馬夫妻もこの山を登ったわけだ」
 横で出口が相槌を打つ。
「先生、坂本龍馬と言えば、高知の桂浜とか幕末の京都のイメージが強いですが、こんな鹿児島の山に来ていたんですね」
 助手であり、また事実上の恋人でありながら、八雲を『先生』と呼ぶ出口。

「そう、7月に鹿児島から今度は長州に向かうが、龍は途中の長崎で降ろされた。長州に立ち寄った後、京都に行ったが、11月にまた襲撃されて命を落とすんだ。龍馬にとってもこの鹿児島滞在が最も幸せだったのじゃろうな」
 八雲は視線を遠くに置く。ちょうど霧島つつじの赤いじゅうたんが、山すそを覆っているのが見える。出口も同じ方向を見た。
「あの美しいつつじを龍馬たちも見たのでしょうね」そう言ってスマホを取り出し撮影。

「それにしても。天逆鉾は、兵庫・高砂にある『石の宝殿』、宮城・塩釜の『四口の神釡(よんくのしんかま)』と並んで日本三奇のひとつ。あれを抜くとは龍馬も大したもんじゃ」
 ロープに囲まれ石が盛られた上に、堂々と立つ天逆鉾を舐めるように見る八雲。
「先生もチャレンジしては如何ですか?」出口の冗談交じりの言葉に八雲は手を横にして否定。

「今は無理。やったら怒られるぞ。ただあの鉾は今はレプリカらしい。オリジナルは噴火の際に折れたとか。それで柄の部分は地中に、上の部分は近くの神社に奉納されたが、結局行方不明だそうだ」
「まあ。でも先生、例えレプリカでも物質的なものではなく、心の問題ですからね」出口の言葉に八雲は大きく頷いた。

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「さて、霧島神宮に行こうか、龍馬達もその後参拝したそうだからな」「はい。で、夜は霧島温泉ですね」なぜか嬉しそうな出口の笑顔。
 ときおり風が強く吹くが、空を眺めると周りに余計なものがない。一面に透き通るような青空が広がっていた。

「出口君、急ぐぞ。山の上だからな。突然天候が変わって、メイストームが吹くかもしれん」「五月の嵐ですね。先生急ぎましょう」
「ああ、もし強い風が吹いたり足場が悪かったりすれば、私の腕を遠慮なくつかみなさい。龍馬も途中で龍の手をひいたそうだからな」
「はい、先生!」
 こうして仲良く山を下りていくふたり。その後姿は、まるで龍馬夫婦のようであった。



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シリーズ 日々掌編短編小説 478/1000

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