ささやかな不安　第818話・4.21

「...…」小さな子供は黄色い花を黙って見ていた。自分も来ている服と同じ色をした花が一面に広がった散歩道。この道をまっすぐ進めば海まで行ける道と咲き誇る花々。こぐまれに吹く風は、潮風の香りとやや湿ったものが肌を伝う。
　もちろん子供ひとりではなく母親と来ていた。だけど母親に突然架かってきた電話から会話が弾む。それがまだ続いている。

　子どもは母親から少し離れた。でも母親の目の届くところまでで立ち止まる。母親は電話で全く関係のない会話をしながらも、小さい子供の方はしっかり見ていた。子供が立ち止まり、花を見つめているのを見て安心したようだ。

「もうちょっと。で...…はあ」子供は花を見ながら、小さな頭の中でいろいろ考えている。またしても今までとは違う新しいことが間もなく起きようとしていた。それは、今日ここに来る前に起きたこと。

－－－－－－－

「では、手続きが終わりました。○○ちゃん、来週から来てね」見知らぬ女の人に笑顔で声を掛けられどうしてよいのかわからない。でも無意識にうなづいた。子供にとってこの1月余りは頭の中が混乱するようなことが続いている。

「ど、どうなっちゃうの？」子供は不安であった。そもそものきっかけは1月前のこと。それまで住んでいた家から出ていき、ずっと遠く離れた新しい家に来て住み始めたことである。
「ここは自然も残っていていい町ね」「だろう。せっかく転勤になるんだから少し遠いけど、この子にとって良い環境を考えたんだ。そしたら海にも近いここに引っ越そうかと」

　子供のパパの仕事の関係で引っ越しして来た新しい町。子供は前の生まれたときから住んでいた町が大好き。同じくらいの友達も何人もできていた。だけどその町や友達と突然の別れ。まだ両親の力がないとひとりで生きていけない小さな子供は、黙って両親に従うしかない。

　こうして新しい町に来た。ここは前いた町と違い、建物の数が少ないきがする。代わりに空の広がりが全然違う。新しい家に住むようになってからそれから毎日ママとここにきて散歩している。一面に広がるお花畑。最初は知らない場所にずいぶん戸惑ったけど、もう完全に慣れてきた。

　ところが、また新しい環境が待っていることを今日知る。どうやら幼稚園に途中入園する話であった。
「受け入れてくれる幼稚園見つかったわ」「そうか、やっぱり幼稚園に通わせた方がこの子ためになるからな。うん、それずっと気になってたが、これで安心したよ」
「明日園長先生と面接があって、問題なければ手続きを済ませて来週からこの子を通わせられる。そうしたら私も短時間のパートに出られるわ」
　会話の内容は子供には少し難しい。ただパパもママも嬉しそうに喜んでいる。何かいいことがあったことは子供でもわかった。でもまさかそれが、来週からまた知らないところに行かされることになるとは、そのときはわからない。

「ここで、おはなみるのスキだったのに...…」今日の幼稚園の面接で何となく理解した子供。家の近くの幼稚園に行き園長先生と話した後に、少しだけいっしょに幼稚園を見学した。そのとき教室から出てきた保母さんという若いお姉さんが来て笑顔で挨拶をしてくれる。ママは真剣な表情で何度もふたりに頭を下げていた。子供は少しおびえた表情でママの後ろに隠れている。

「ずっとここで、おはなをみたかったのに」子供は不安で仕方がない。次々と起こる新しい環境。いったいこれから、どんなことが起こるのか想像できないのだ。
「こわいよ！」子供はじっくり花を見たまま、表情が不安に満ちている。花は何も言わず黄色の花びらを見せてくれるだけ。心の中で花に問いかけても答えなど帰ってこない。子供は小さくため息をついた。

　ここで、それまで聞こえていたママの会話がいつの間にか終わったようだ。

「どうしたの？そんな顔して」ママがゆっくりと子供の前に来た。子供は不安そうな表情のままママを見る。ママはすでに理解していた。
「そうか、新しい幼稚園が心配なのね。うん、でもすぐに慣れるわ。前の幼稚園でもすぐにお友達ができたでしょ。すぐにできる。だってママの子供だから」
そう言ってママは子供の手を握った。その温かい手のぬくもりを感じた子供は、ようやく気持ちが落ち着く。

　そのままママと帰る道、子供は花の方に振り向いた。そのときちょうど潮交じりの風が吹いてきた。花が小刻みに揺れる。
　まるで「心配ない。大丈夫だよ」と花が言ってくたように子供は感じたのか、ようやく笑顔に戻った。


https://www.amazon.co.jp/s?i=digital-text&rh=p_27%3A%E6%97%85%E9%87%8E%E3%81%9D%E3%82%88%E3%81%8B%E3%81%9C

－－－－－－－－－－－－－－－－－－
シリーズ　日々掌編短編小説　818/1000

#小説
#掌編
#短編
#短編小説
#掌編小説
#ショートショート
#スキしてみて
#不安
#子供
#花畑
#幼稚園
#子どもの成長記録