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第九を聞いてから出会った大工

「萌、久しぶりじゃな。東京はどうじゃ」伊豆茂は、孫娘で普段は東京で働いている萌と行動を共にしていた。
 この日は萌の弟・大学生の大樹がトランぺッターとして参加するオーケストラの演奏会のホールに来ている。
「おじいちゃん。東京はやっぱり都会よ。本当に人が多くて、こっちに来るとのんびりしていてほっとするわ」緑のセーターでジーンズのズボン、メイクも抑えめで、ピンクのマスク姿をした萌の目が癒されているかのようにおっとりとした表情をしていた。

「そうか、東京はそんなにすごいのか?まあ地方ではあるが、これでも、ここは町の中心じゃからな」
「うん、でもこっちに帰ってくるのが久しぶりだから、余計にそう感じたのかな。それより大樹は大人になったわね」大樹より5歳上の萌は、まるで母親のような気持ちで、ちょうど会場のステージに入ってきた大樹を見る。

「ワシからすれば、どっちも同じようなものだがな」茂はひとりで小さくつぶやく。
「あ、おじいちゃん見たわ。この前、小説UPしてたでしょ」「なんじゃ、なんで萌が知っとるんじゃ」「大樹から教えてもらった」
 萌は、自分のスマホでを開くと、茂が書いた小説の画面を見せる。「なんか恥ずかしいなあ」「でもその年で、おじいちゃんすごいわ。これみたら私も頑張らないと思ったの」

「ふん、萌はまだ若いのにこれからじゃないか? 年取ってから後悔せんよう、若いうちしかできないことをガンバレ」「はい」萌は小さくうなづく。

「それにしても、半年以上たつから慣れて来たけど、マスクがどこも当たり前になったわね」「それは仕方がないじゃろ。今は我慢せんとな」そんな茂は、妙にマスク姿が似合っている。
「う、うん」

「あとじゃな。ワシの予想では、これからの時代は外でマスクをつけないと『マナーの悪い奴』という文化になる気がするんじゃ。だってそうじゃろ。原始人は服など来とらんかったからな」
「確かにね。イスラム教の女性が、ヒジャブという頭に被り物をしているのと同じかな。あと高級ホテルやレストランのドレスコートとかみたいになるかもね」

「世間ではおしゃれなマスクも出てきたから、それはそれで楽しいかものう。口元に自信がない人には天国じゃなアハハハハ!」
「ちょっと、おじいちゃん。あまり大声ださない」「あ、すまん」と茂。
「あ、始まるわよ」

 会場から拍手が起こると、指揮者が棒を大きく振りかざす。そして演奏がスタートした。

(動画はイメージです)

 第九の演奏のが盛大に行われると拍手が巻き起こる。その後は少しだけ「おまけ」のような感覚で、有名なクリスマスソングが数曲続いた。

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「おう、なかなか良かったのう」「大樹緊張してたね」
「そりゃそうじゃ。ワシじゃってあそこにいたら緊張するわ。さて表で大樹を待とうかの」

 ホールの外で待つふたり。その間、萌はスマホの画面を見ていたが、茂も負けじとスマホチェックをする。ところが、ほとんど何の画面も見る間もなくある声に反応した。「おいジジイ、そこドケ!」と怒鳴る男の声がしたか思うと突然左肩に衝撃が走る。

「なんじゃ!」と茂は驚きとともに、ぶつかった相手をにらむ。茂より頭ひとつ背の低い、40前の男が接触した右肩に手を置いて突き出す。すると「イタ、お、お前何するんじゃ」と突然右肩から腕につながるあたりを左手で押さえて辛そうな表情をする。

「何やってんじゃ。おまえ」茂の視線は鋭い。異変に気付いた萌はスマホを見るのをやめて「ねえ、どうしたの」と声をかける。
「あ、ジジイ、イテッテテ、おい、お前ナニ、イテテ」
「はあ、そんな程度で痛むわけないじゃろ。若造!クダラン猿芝居はやめろ」

「何!ジジイ、こんなことしやがって。俺のバッグにはドラゴンの兄貴がおるんだぜ。ああ、イテテ、兄貴が来たらお前の寿命が瞬殺なんだよ!」

「お、おじいちゃん!」萌が心配そうに近づくが、目の前の男が怖くて茂の後ろにいる。茂は全くうろたえない。「ふん、勝手にしろ、軟弱なやつじゃな。令和の時代には、ずいぶん弱い奴が増えたもんだ」
「な、何!いわせて、う、イッテテテ」

「お前どうした!」痛がっている男の後ろから低い声でドスの利いた大声」「あ、ドラゴンの兄貴!イテテッ、ジ、ジジイニ」
 と近づいて来たのは50を過ぎた白髪交じりの角刈りの男。肩で風を切るように向かってきた。目の前の若造と違い、やや肥満気質のため貫禄が違う。「おう、新吉、痛そうだな。大丈夫か」
「へ、へい。いや普通に歩いていただけなんですが、このジジイがスマホに集中してやがって、ぶつけられたんですわ。そしたらジジイが逆ギレして、腕をイテテ!」「ふん、お前からぶつかって来たくせに」

「なに、このジジイが?」「へい兄貴、このジジイです。おいら歩いていただけなのに。こいつ暴走老人ですぜ」
「ハハハハ!全くばかばかしいことを言っとるのう。大体、少し手が触れただけで、骨が折れるのか。カルシウムが不足しとるようじゃ。面白い奴だ」

「な、なに!お前がスマホなど見てたからだろ。兄貴!このジジイをイッテエテ」
「おう、ジジイ!うちの若い者に何をしてんだ。このドラゴンのメンバーにけが負わせたら、高齢者だからってただじゃ済まねえぜ」
 ドラゴンがドスの利いた声で茂を睨みつける。だが茂も一切ひるまずに睨み返す。ただ後ろでは萌が震えていた。暫くにらみ合いが続くが、突然ドラゴンがひるんだ。

「あ、あ、もしや、伊豆さんでは? お、お久しぶりです。龍です」ドラゴンはそう言うと頭を下げる。茂はしばらく男を見るが、少しして思い出す。
「お、龍男か。ほう久しぶりじゃのう。しかしずいぶん年取ったな」「いえ、伊豆さんとは知らず。でも相変わらずお元気で」と何度も頭を下げるドラゴン。萌も新吉も唖然とした。

「おい、新吉!この方は、俺が若いときに大変世話になった伊豆さんだよ」「え、兄貴あの伝説の」「そうだ。お前、よりによってこの方に!くだらないことやってんじゃねえよ」「え、あ、兄貴すみません」
「すみません、若いものが伊豆さんとは知らずにこんな。申し訳ございません。おい、新吉!」
「へ、へい。あの伊豆さんとはつゆ知らずこの新吉、大変申し訳ございません」慌てて茂の前で土下座した。
 そのまま起き上がるが、それから痛そうなそぶりは一切見せない。

「龍男、また下らんことしてんのか。大工の仕事がないのか?」「え、今厳しい世の中で、実は元受けから先月切られまして。い、いや大変失礼しやした」
「そうか、まあワシも引退したからなあ。前のように簡単な口利きもできん。じゃがお前を放っておくと、こうやってチンピラのようなグレーなことをするから、そうは行かんな」「す、すみません」龍男は何度も頭を下げる。

「よしわかった。今の連絡先を教えろ。そしたらどこかいいところがないか当たってみようか?お前腕だけ確かだから、このままじゃもったいないぞ」
「あ、ありがとうございます。では」といって両手を震わせながら。名刺を茂に渡す。それをしゃくりあげるように茂は受け取る。

「ふん、ドラゴングループ代表か。名前じゃなく、仕事でドラゴンになれよ。わかった探してみるわ」
「本当ですか、伊豆さん。ありがとうございやす。おい、行くぞ新吉」「へ、へい」そういって龍男と新吉は先ほどとは180度違って、小さく肩をすぼめながら帰って行った。

「おじいちゃん、大丈夫?」「ああ、あいつな。本当は大工なんじゃが、少し羽振りが良くなると、勘違いしてすぐ仕事をせんのじゃ」
「そうなんだ。でも第九の演奏会で大工の人に会うってダジャレみたいね」萌はようやく笑顔が戻る。
「は、ハハッハ。確かにな。でもあいつ切られたって、どうせいい加減なことしとったんじゃろ。大工としての腕があるのにもったいない。さて誰かいるかな」
 茂は龍男からもらった名刺を見てため息をついた。そして萌は自分の祖父の偉大さに改めて気づく。

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「あ、姉ちゃん久しぶり!」ようやく、後片付けが終わりトランペットが入ったケースを持った大樹が走ってきた。
「大樹、大人になったね。ちゃんと聞かせてもらったわ」「うわぁ恥ずかしい」「ふん、ネット配信で不特定多数相手に演奏しとるくせに」
「いや、じいちゃん。それとこれは別だよ」大樹は必死で言い訳する。
「だけどあれだけ大人数でやったらわからんな」「おじいちゃんそれは仕方がないわ。オーケストラってそういうものよ」
「初めてだから緊張した。ひとりだけ失敗できないし、こんなちゃんとしたホールでやるの初めてだったから」大樹は手を頭の後ろにしながら語る。

「じゃけどお前の姉さんも来てくれたんじゃからな。大樹のデビュー。これはさっそくツイッターで動画を報告じゃ」

「え、動画とか撮ったの?」「ほら」茂が見せる。
「あ、大樹がアップで吹いている。おじいちゃんいつの間に」
「アイフォンで、動画を拡大できる無料のアプリをこの前見つけたんじゃ。だから最大限に拡大したら見事に大樹をとらえたぞ」

「あ、でも時間短くないかしら」「まあ2分間だけじゃが。それ以上やったら腕が疲れるからのう、ハハアハハハハハ!」

「... ...」
 茂と萌の楽しそうな会話とは裏腹に、大樹は黙り込みうつむく。ただ耳が赤くなるのだった。




こちらもよろしくお願いします。

12日目はmisaさんでした。


電子書籍です。千夜一夜物語第3弾発売しました!

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シリーズ 日々掌編短編小説 327

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