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600年の雪辱を果たすべく  第600話・9.14

「み、皇子がわざわざ、斑鳩からこの住吉津までお越しになられるとは!」これは西暦607年、現在の大阪にある住吉大社。当時の大社のすぐ目の前は海で、国際的な港となっていた。
 推古天皇の命により、第2回目となる遣隋使の大使に選ばれた小野妹子は、出航までカウントダウンとなった遣隋使船の最終的な確認作業をしている。 
 そこへ天皇の補佐役として実質的に政治を動かしている厩戸皇子(聖徳太子)が現れたので、驚きの目を隠せない。

「出港の準備は万全か?」「はい、7年ぶりに大国・隋への船旅。一同皆、早く出発したいと気合が入っておりまする」
 妹子の言葉に満足そうに何度もうなづく厩戸。そして遣隋使船に視線を送った。その視線は決して穏やかなものではなく、むしろ厳しさに満ち溢れている。
「そうだ、今こそ7年前の屈辱を果たさねばならぬとき。日出ずる処の天子の国として、大国と堂々と付き合うための試練だ」妹子に聞こえないようにつぶやいた厩戸は、前回の西暦600年に行われた遣隋使から戻ってきた大使の報告を思い出す。

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「無事に戻ってきて大儀であった。で、どうであった隋は」「はい、我が国と比べて隋と言う国には、最新の文化があると思いました。それから何に対しても、とにかく規模が大きいのに驚かされまする」
 大使の報告に、厩戸はにこやかに聞いていたが、次の言葉に顔の表情が固まった。
「隋の文帝が『使節に来て国書もないのか』言われ、そのあと我が国について質問をしてきました。そこで『天をもって兄とし、日をもって弟といたします。そして夜が明ける前に出て跏趺(両足の足の裏を見せるような胡坐で、仏教式の座禅)の体制で座りながら政治を聴く。その後、日が出はじめると政治の仕事を止め、あとは弟に委ねます』と答えたのです。
 ところが文帝は明らかに我らを見下したような笑い声を出して『ハハハハ、なんだそれは? 朕にはよくわからん。少なくとも倭国の政の在り方は、道理に外れているのしか思えんな。それは改めた方が良いぞ』と言われました」

「なんと、我が国の政を改めよだと!」厩戸は口を震わせ、やがてその震えが全身に及ぶ。「なんと屈辱的な言い分だ」
 厩戸は怒りを抑えるのが精いっぱいである。それほどまでの国辱をうけたこともあってか、後に編纂された古事記や日本書記と言った日本側の資料には、この年の遣隋使のことは一切触れていない。ただ中国側の資料に残っていた。

「あの国から来た仏教と言う新しい教えを取り入れながらも、我が国はこうやって長く独立をしておる。先日も出兵して朝鮮半島の新羅が屈したでなないか。もう隋など相手にせぬ方が良い」
 厩戸と共に政治を取り仕切っている、大臣の蘇我馬子は、そのように言って、隋との関係を持つことを止めるように提案。
 厩戸は一旦了承した。だが内心は別のことを考えている。「この屈辱は必ず返さなくては。とりあえず現地で学んだ若者たちから制度を聞いて、それを我が国にも取り入れるしかない」

 こうして厩戸は、それまでの倭国の体制を改革することを決めた。まず自らの拠点を、現在法隆寺のある斑鳩宮とし、飛鳥にいる馬子らと距離を置くことにする。
 そして603年に、それまでの有力豪族による氏姓制度を改めさせ冠位十二階を定めた。さらに翌604年には、決めごとを17条の項目にまとめて記載している『十七条憲法』を成立。
 次に着ている服装についても改革した。翌605年には、各地の諸王や諸臣に、褶(ひらみ)と呼ばれる服装を着用するように命じる。
 こうして次々と改革を行いながら、文化水準を隋と変わらないようにしようとした厩戸。馬子をはじめとした抵抗も実際にはあるものの、それを上手くかわしながら、見事に制度を変えていったのだ。

 さらに607年には天皇を中心とした権力を高めるために、全国に屯倉(みやけ)と呼ばれる直轄地を設置した。これらのことの後、再び隋に使節を送ることを決める。
「皇子、もう隋のことは良いではござらぬか。確かに長くいろんな国が入り乱れていた大陸を、ひとつにまとめたのはすごいとは思いますが、海を隔てたわが国には、我が国のやり方が」
 馬子は当初隋への使節を反対していたが、厩戸は首を横に振る。
「いえ、7年前の屈辱を果たさねばなりませぬ。制度もわからん野蛮な国と思われるのは大変不快。あのときとの違いを、隋の皇帝に見せつけてやらねば」
「だが、冊封という臣下の礼を迫ってくるぞ。新羅や高句麗、百済のようにな。そんな恥辱を受けるなら行く必要はない!」
「大臣殿、もちろんですとも。あくまで対等な付き合いあるのみ」厩戸は胸を張った。

 こうして再び隋に施設を送ることが決まる。その大使に小野妹子が選ばれた。
ーーーーーーー
「皇子、そろそろ出発のときが来ましので。ただいまより隋に行ってまいります」妹子の声に我に戻った厩戸。「うむ、頼んだぞ。それから隋とはあくまで対等な関係を希望しておる。無事に国書を手渡してまいれ」
 こうして小野妹子を大使とした一行を乗せた船は、厩戸に見送られながら隋に向かって住吉津を離れた。

 こうして小野妹子ら遣隋使一行は、無事に隋に到着。代が変わり、二代目となった煬帝に拝謁後、国書を手渡した。だがその国書の内容が
『日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々』と書かれていたために、煬帝を非常に不快な気分にさせてしまう。
 本当は海の西の菩薩天子(文帝)が仏教を興隆させているので、仏教を学ばせてほしいという意味であったが......。

 それから裴世清という隋の勅使と共に、妹子らは日本に戻った。ここで隋との関係についてやりとりがおこなわれる。最終的には、厩戸が願っていた冊封を嫌う倭国の要望が通じ、隋とは冊封なき朝貢という対等に近い関係が構築された。


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