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桜と梅と桃

「もう、桜が咲いているのか」病院の窓から見える桜は7分咲くらいであろうか? 大学生の大樹には、まだ体の痛みが残っていた。
 大樹は2月の初めに交通事故に遭遇。トラックにぶつけられ全身を強く打ちつけてしまう。一時は生死をさまよう事態になったが、どうにか一命をとりとめる。治療・リハビリを経て2か月程度での入院期間。ついにこの日退院の日を迎えた。
「あの日は確か......」事故の衝撃があまりにも大きいために、当日の記憶が曖昧。

 ここで室をノックする音が聞こる。そして入ってきたのは祖父の茂。「あ、じいちゃん」「おう大樹退院じゃな。迎えに来たぞ。今日はお前の父さんや母さんも来たがっていたが、仕事があるなら優先しろと言ってやった。こんなもん暇なワシで十分じゃとな」

 おじいちゃん子の大樹。思わず口元が緩む。こうして荷物をまとめ最後の手続きなどを終えて、無事に退院。病院を出て家までの帰路を歩く。

「タクシー呼ばなくてもいいのか?」
「いいよ。久しぶりに娑婆の空気を吸う気持ちなんだ。今日は天気もいいし。桜も咲いているからゆっくりと帰るよ」

「『持ってきてほしい』といわれたから持ってきたけど、歩いて帰るんだったら悪かったな」
「いや、いいよ。荷物は病院から宅配で送ってもらうことにしたしね。それより僕は、病院ではこれダメだから寂しくて仕方がなかったんだ。昨日までうずうずしてた」大樹の手には愛用のトランペットがある。

「じいちゃん。どこか桜の咲いている公園で休憩しない。ちょっとこれ吹きたくなってきた」
「まあいいじゃろう。少しくらい寄り道しよう。そうそう今日3月27日は、さくらの日らしいな」「へえ、そんな日があるんだ」
 大樹の反応に自慢げに語る茂。「ああ、七十二候の桜始開(さくらはじめてひらく)の時期と桜の語呂合わせ、3と9を掛けたら27になるとかいう根拠らしいぞ」
「じいちゃん、やっぱり人生長いから物知りだ」
「アハハハ、これはさっきアイフォンで調べたんじゃよ」と茂は笑いながら軽く舌を出す。それを見て大樹も笑顔。

「辛くなったらいつでも言っていいぞ。退院できたといっても、まだ通院せんと行かんのじゃろ」今度は少し心配そうに大樹を見る。
「わかっているよ」と大樹。久しぶりに外に出たのか相当嬉しく、胸を張り深呼吸して新鮮な空気を吸っていた。

 ふたりが歩いている所は桜が咲いている。ピンクの花びらは華やかで美しい。時折風が吹けば、ピンクの花びらが吹雪のように舞い踊る。

「じいちゃん」「うん」「僕が事故に遭った時の記憶が」
「ああ、そんなもの思い出さんでもええじゃろ。また痛みが出たら良くない」「だけど......」大樹は腕を組みながら考える。

「そんなに知りたいのか。確か子どもを助けてじゃな」「あ、」大樹の記憶がここで蘇った。
「じいちゃんありがとう。思い出したよ。そうそうあの日。僕が大学に向かうときに忘れ物をしたんだ。これだけどね」大樹は手元のトランペットに視線を向ける。
「取りに帰ろうとして交差点に来たら赤信号なのに、道路の真ん中に子どもがいたんだ。僕、慌てて彼を。あ、彼は!」

「ああ、大樹のおかげで、かすり傷程度で済んだ」「良かったぁ」大樹は心底喜んだ。
「実はその子ども心優しくてな、実は骨折した野良の子猫を見つけて救おうとしたらしい。それで道路を渡り遅れて」
「じゃあ子猫は」「ああ子猫も無事。子どもの家ではちょうど飼い猫が死んで間がなかったそうじゃ。だから子どもの親御さんがペットに引き取った」「そうなんだ」
「結局貧乏くじを引いたのは大樹だけ。でも良いことをしたなぁ。それは褒められることだ」茂はそういって目を細めた。

「でも会いたいな。その子と」
「ああ、今回のことで親御さんがすごい申し訳なさそうに、何度も頭を下げてくれてな。あそこまでやられたらこっちが悪いくらいじゃった。
 大樹の見舞いをしたいとは言ってたが、それはかえって大樹の状態が悪くなったらと思ったんで、ワシらは『それはやめて欲しい』と止めた。
 もし退院して大樹が会いたいといったら、会おうとなったんじゃ。連絡先は教えてもらっている」

「じゃあ」「そうじゃな。落ち着いたら一緒に会いに行こうか」

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 こうしてふたりは桜並木が咲き誇る公園に到着。桜の木のすぐ目の前にあるベンチに腰掛けた。

「ここの桜はほぼ満開だあ」「おう、何年たってもいいものはいいのう」ふたりの目の前に広がるピンクの帯。ふたりの他にもこの美しい花をめでに来ている人が何人かいる。
「そうそう、あのとき大学の帰りに、梅の木の前でトランペットを拭こうと思っていたんだ。それは来年にお預けだな」
「今から桜でやるんじゃろ」「うん」「お、あれは桃かもしれんな」
 茂が指をさす。「桃の花?」みると桜よりもピンクの濃い木が数本ある。ふたりは立ち上がり、その木に近づいた。
「うん、やっぱり。花びらがとがっているし 同じ場所からふたつ花芽が出るのが桃の特徴だからな」「これもひょとしてスマホからの情報?」
「いや残念ながら違うぞ。これは昔から知っておった」と茂は笑顔。

「じゃあ今から桜と桃に向かって2カ月ぶりに吹くね」「おう、無理だけはするな」
 心配そうな茂をよそに、久しぶりに見る黄金の金管楽器。大樹は桃の木の前で桜の木に太陽に反射して光り輝くトランペットを向ける。大樹は顔の位置と平行にトランペットとを上げると口を近づけた。ここで唇を震えさせながらマウスピースを通じて共鳴させ、音を出す。
 両手の指を使って奏でられる音色。だがさすがにいつもよりは、良いものとは言えなかった。
 でも久しぶりに孫が吹く姿を見た茂は、顔をしわくちゃにしながら嬉しそう。そして大樹も吹けることへのありがたみを、深くかみしめるのだった。


「画像で創作(3月分)」に、砂男さんが参加してくださいました

 田舎と都会の違い、田舎のバスはゆったりしているが、デートの為なら仕方がないと乗り込むさま。人ではなく「隣の芝は青い」とばかりに双方がお互いに憧れを持っていたという。結局一時的なものに過ぎなかった。「一時訪問」と「じっくり住む」とのギャップを感じるエピソード。ぜひご覧ください。

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シリーズ 日々掌編短編小説 431/1000

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