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高度数千メートルからの小島を眺める幸せ

 飛行機の下には海が広がっている。ちょうど下には小さな島が見えた。ジェット音を鳴らした飛行機は、目的地に向かって飛び続ける。島はあっという間に目の前からはるか後方に流れていった。
 高度数千メートル上空から見る海。ここで女はひとりでつぶやいた。
「昔はあんなに嫌いだったのに」

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「私は新幹線で帰ります」
「え、福岡から飛行機で2時間程度で行けるのに、新幹線だったら5時間もかかるよ。予定では17時出発。飛行機なら19時につくのに新幹線なら22時だ。それでもいいの」

 担当者の説得に女は大きくうなづき「これが通らないなら私は行きません」と言い放った。あれは10年前の話。当時働いていた会社の慰安旅行での一幕だ。女は元々大の飛行機嫌い。「どうしても高度数千メートル上空に行くというのが怖いの」という考えの持ち主だ。
「飛行機事故はめったにありません。でもあったらほぼ一巻の終わりです」という思考も持っている。

 当時女が働いていた会社は従業員100名程度。そのうちの70人がこの年の慰安旅行に参加することになっていた。行程は1日目の朝から新幹線で大阪に向かう。そこでUSJに行く。夕方まで遊んだ後、九州に向かうフェリーに乗り込むのだ。翌朝北九州につくと、そこから長崎に行向かって長崎観光。夕方福岡に戻って飛行機で東京に戻る。
 だが女は「帰りに新幹線という選択肢を入れてほしい」と要望した。社内の旅行担当者は戸惑ったが、できるだけ多くの社員に旅行が参加できればとその選択肢を認める。そして事前アンケートの結果、驚愕の状態になった。新幹線で帰るというのを選択したのは、女ただひとりだったのだ。

「ひとりのわがままを聞くのは.......」困り果てた旅行担当。
 だが女の意志は固い。それに女は一緒に旅行に参加する社長をはじめ、役員たちの受けが良い。宴会での接客がうまいのだ。それでいて場を盛り上げるムードメーカー。だからできるだけ参加してほしい。
「無理やり飛行機に乗せるわけにはいかんだろ」最終的に社長の鶴の一声で、女だけ新幹線で帰ることが決まった。

旅行そのものは何の問題もない。ただUSJの滞在時間が少し短めだったのは仕方がなかった。
 そのあとの夜の船旅は楽しい。夜の瀬戸内海をゆったりと航行するフェリー。船体が大きいので、船のスクリューにより盛り上がる水しぶきなどは気にならない。だが途中明石海峡大橋、瀬戸大橋、そして関門橋をくぐる。
 その直前にみんなフェリーのデッキに出て、フェリーのはるか上空を跨ぐ巨大な橋を見上げる瞬間を楽しんだ。

 そして北九州から貸し切りバスに乗り一路長崎へ。本州とは似て非なる九州の大地。長崎のエキゾチックな空気が広がる街並みを見学した。中華街では本場のチャンポンに舌つづみを打つ。
 長崎のホテルで宿泊後、前日までは天気が良かったが翌日は曇っていた。   

 聞けば発達中の低気圧が近づき、夜には影響が出るかもしれないとのこと。一瞬一同は気にしたが、夕方のフライトなどには影響がないようだ。佐世保に立ち寄って、現地の佐世保バーガーを食べる。あとは福岡に向かう。バスは無事に夕方のフライトに間に合わせた。

「じゃあ、皆さん私はここで新幹線に」福岡空港に行く前に、博多駅にバスは止まる。ここで新幹線のチケットをもらった女は、みんなに手を振りバスを降りた。バスはそのまま福岡空港へ。そして女を除く社内のメンバーは、夕方17時過ぎのフライトで無事に東京に戻った。

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「ふう、団体旅行は疲れるわね。帰りはひとり旅同然。さておいしい駅弁を食べながら新幹線の中でゆったりひと眠りね」
 女は博多駅で駅弁と最後の土産物を買うと、指定されたのぞみ号に乗る。17時過ぎにに出発したのぞみは、快適に小倉から西日本を走っていく。途中で女は眠っていた。次に目が覚めたときには、新大阪から京都に向かう途中だ。
「もう半分、飛行機のほうが早いといっても寝ていたら新幹線も変わらないわ」

 女は暗闇の車窓を眺めている。新幹線は猛スピードで、町に入ると現れる夜景を前方からあっという間に後方に流していく。すると雨が降り出したようで、窓に雨粒が付き始めた。「あれ、雨は夜遅くと聞いたのに、ずいぶん早いわね」
 新幹線は名古屋に到着したころにはずいぶん雨脚が強くなっていた。窓を濡らすものも粒ではなく滝のように流れている。ちなみに天気予報では九州から東に向けて発達した低気圧の影響で、南にあった前線が北に引っ張られるように持ち上がった。その活発な動きで強い雨を降らしているのだという。
「なんか嫌な感じね。傘持ってきてないし、東京帰ったらどうしようかな」

 新幹線は静岡県内に入った。ここで事件が起きる。突然新幹線は速度を落とす。やがて途中の何もない場所で停止した。ここで車掌からのアナウンス。
「大雨により新幹線は静岡県内の列車の運行を休止します」というのだ。「え、止まっちゃうの?」女は顔色が変わる。時刻は21時を回ったところ。 
 静岡と新富士駅の間ぐらいのようだ。
「今頃みんな家に帰ってるわね。はぁー」

 しばらくして新幹線は超低速で動き出しては止まるを繰り返す。30分後に新富士駅に停車した。「ここで、運転再開まで待機します」とのこと。新幹線のドアが開いた。
 乗客の中にはすぐに車掌に詰め寄るものもいたが、もちろん車掌も答えられない。駅からは相当強い雨脚。強く降り続ける雨の音がはっきりと聞こえる。ここで女はいったん新幹線から新富士駅のホームに出た。途中ホームに強い風が吹き、ホームにも雨が流れ込み、女の肌に雨が当たる。「ありゃ風も強いわ」女はため息をつく。自動販売機で温かいコーヒーを購入するとすぐに席に戻る。

 そして長い待ち時間が続く。新幹線はホテル替わりになった。

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 どのくらいたったのかわからない。いつの間にか眠っていた女を起こしたのは車掌からのアナウンス。「ただいまから運転を再開します。至急車内に戻ってください」とのこと。外に出ていた人が慌てて戻ってくるのが見える。
 新幹線のドアが閉まり、ようやく動き出した。女は時計を確認する。時刻は午前2時30分。そのあとの新幹線は少し速度を落としながらも順調に走り、午前3時30分ごろに東京駅に到着。もちろん電車が動いていない時間であった。そのため午前5時まで新幹線の車両がホテル替わりに開放される。

 結局女は午前5時に、東京駅から始発電車に乗り、翌日の朝に家に戻った。

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「あのときわがまま言わずに、おとなしく飛行機乗っとけばよかったのにね」女は10年前の悪夢を思い出す。
 だがあのときの失敗から、女は飛行機にチャレンジするようになった。そして飛行機は、女の想像をはるかに超えるほど安全で快適なことに気づく。
 さらに窓側席のすばらしさにも感動した。窓から見える大空の風景。雲があれば綿のようなじゅうたんが広がり、雲がなければ遥か下に広がる海。片手でつかめそうな島々の絶景が見られるのだ。

 そしてこの日も数千メートルの空の上。女はジェット音を聞きながら、淡々と目的地に向かうのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 496/1000

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