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「3.11」私の手は震えていた


「大丈夫ですよ~」と、おばあちゃんの背中をさする私の手は、震えていた。

体も小さく震えていたし、心臓の音が「ドッドッドッドッ…」と聞こえるほど早かった。


2011年3月11日


私はこの日、コンタクトの定期検査で眼科に来ていた。ここはいつも混んでいて、呼ばれるまで2時間くらいはかかる。

「今日は、どのくらいかかるかな~」なんて考えながら、ぼんやりソファに座っていた。


そしたら突然、足元からゴォォーという振動がきて、すぐに大きな揺れに変わった。

揺れ始めてからすぐに、奥にいた看護士さん達が、出口に向かって走っていくのが見えた。

「え、中に患者さんが沢山いるのに…ありえない」と、私は心の中で思った。

だけど「看護士さんも、人間だからしょうがないよね」と、あとで気づくことができました。




足腰が悪そうなおばあちゃんが、隣に座っていたのを見て、私はすぐに覆いかぶさった。

だけど、あまりにも揺れが大きすぎて、うまく守ることができなかった。

天井から、ポロポロと白い粉が落ちてきたのを見て「これは、まずい」と思い、おばあちゃんを守る手に力が入った。

「きゃーー」という悲鳴が聞こえるなか
揺れはしばらく続いた。


あの揺れは、長かった。


揺れが収まると、そのおばあちゃんは
受付の方が付き添って外に出ていった。

なにか落ちてきたりすることがなかったから
怪我することなく無事だった。




近くの席に、同級生の妹さんがいたから
「大丈夫?怖かったよね」と声をかけた。

その子と一緒に外へ出ると
外の様子は、すっかり変わっていた。


病院の隣にあったメガネやさんは
見たこともない姿になっていた。

ガラス張りで店内がよく見える作りになっていたのに、ガラスがすべて粉々になり、駐車場に飛び散っていた。

他にも、破損している建物や
止まってしまった信号機、渋滞が起きている道路…

経験したことがない地震と光景に
私は、恐怖だった。




病院の駐車場には
患者さんと看護士さん達でいっぱいだった。

妊婦の看護士さんもいて
「何かできることはないかな?」と考えたり

「さっきのおばあちゃん、車椅子に座れたんだね、良かった」と安心したり

頭の中も気持ちも、ぐるぐるしていた。


そんななか、近くにいたおばあちゃんが不安そうに、キョロキョロそわそわしていた。

私は「怖かったですよね、大丈夫ですよ」と
背中をさすった。

だけど、私の手は震えていた。
声も体も震えていた。 

怖いけど、「大丈夫」と声をかけたかった。




しばらくして、家の方向が同じ同級生の妹さんと
帰ることにした。

病院の番号札を握りしめたまま
怖がっているその子の背中をさすって歩いた。


信号機が止まっているから
なかなか横断歩道を渡れなかった。

数分待って、止まってくれた車に頭を下げ
横断歩道の真ん中まで歩く。

ひかれるんじゃないか?と怖がりながら
次の車が止まってくれた時に、やっと渡りきれた。




妹さんとは途中でお別れをして
私は家へ向かった。その時は実家暮らし。

「家は大丈夫だろうか?母は大丈夫だろうか?」と、ドキドキしながら家に向かった。

家に着くと、母はお隣さんとお話をしていて、ホッとした。だけど、私の心臓の音は変わらなかった。


家の中は、落ちたり割れたりしたものはあったけど、大きく壊れたところはなかった。

父が職場から帰ってきて、私達と家の様子を確認し、すぐに職場の片付けに戻った。

姉も職場から、自分の家を確認してから実家に来てくれた。

その時「こわいよー!」と私は、姉に抱きついた。

きっと、みんなの顔を見て安心して
「怖かった」気持ちが、溢れたのかもしれない。




その日から、水道、ガス、電気が使えない生活が始まった。

その日は、雪が降るほど寒い日だった。

幸いにもストーブが1台あったから、暖をとりながらストーブの上で、お米を炊いたり、イカを焼いたりした記憶がある。


あまり汗をかかない時期だけど、お風呂に入れないのは辛かった。我慢できなくて3日目あたりに、タンクに貯めていた水を少しだけやかんに入れて、シャンプーをした。

ジャバジャバ流せないから、なんだかモヤモヤするけど、洗えただけでもだいぶ気分が変わった。


唯一開いていたスーパーを見つけて、寒さに耐えながら、両親と一緒に大行列にも並んだ。

「それぞれ必要だと思ったものをカゴに入れよう」という話になり、1人ひとつカゴを持って買い物することになった。

店内は、商品棚も天井も壁も、めちゃくちゃ。
だから、レジや入り口付近に、販売できる商品だけが並べられていた。


ありがたいことに、苺が数パックあったから、私はカゴの中に1パック入れた。

あとは、カップ麺、パン、レトルトごはん、お菓子などを入れた記憶がある。

お会計のあとの袋詰めで、苺が3パックになった。「3人とも苺を買ったんだねー」と、音楽が流れていない静かな店内で、小さく笑いあった。




はっきりは覚えていないけど、1週間くらいで
水道、ガス、電気が使えるようになった。

こんなにも早く復旧したのは、本当に幸せなことだと思う。

復旧工事をしてくれた方々も、被災者で辛い思いをしているのに…本当にありがとうございました。




東日本大震災で、家族や知り合いが亡くなったりすることはなかった。怪我をすることもなくて、本当に良かった。

その日から、明後日で12年が経つ。
12年も経つけど「あの時の恐怖」は
今でも覚えている。

12年の間に、大きい地震は何度も起きている。
そのたびに、あの時を思い出す。

「東北って、大きい地震が多いなぁ」とも思う。




今、夫と住んでいる家も、2度大きな地震を経験した。寝ている時間帯だったから、すごく怖かった。

私が寝ていたベットのマットレスは
厚さ27cm、重さ34kgある
「ニトリのNスリープ」

揺れている間、この上で頭を守っていたんだけど、こんなに重たいマットレスが、大きく横ズレして、半分落ちかけた。

「人が乗っていても、こんなにずれてしまうんだ…」と怖くなった。




購入したばかりの家は
外壁にヒビが入ったり、玄関タイルが剥がれたり

エコキュートの貯湯ユニットと外壁を
繋いでいる金具が、外れてしまったり

重たい物置の下のブロックが、ずれてしまったり

天井のクロスが、剥がれたり

地震対策のために付けたネジなんかも
すっぽり抜けちゃって…

もう、傷だらけ。笑




家は、傷だらけだけど
私達は、怪我をすることはなかった。


それは、なんとなくだけど…
 

この家に引っ越すときに
家具家電を「大地震が起きること」
を考えて、高さが低いものを購入した。


「寝室、リビング、脱衣所、玄関」に懐中電灯を置いている。


押し入れ、クローゼットの上段に
「落ちたら危険なものは、収納しない」


「キッチンに落ちたら危険なものは、ないか」を、毎日寝る前にチェックしている。


これが、怪我に繋がらなかった理由かなぁ…
と感じている。




このように意識できるようになったのは、東日本大震災や、そのあとの大きい地震を経験していたおかげだと思う。

本当は、地震なんて起きて欲しくないんだけど
経験したからこそ、気づくことがいっぱいあった。


同じ震度でも「揺れ方、ずれるもの、落ちるもの、倒れるもの、壊れるものが、毎回ちがう」

だから、毎回「○○は、こうしたらいいんだ!」と、学ぶことができる。




大地震を、まだ経験したことがない方に
伝えたいことがあります。


大きな揺れが来たときは、立つことも動くことも、絶対に出来ません。だから「窓から離れて、必ず頭を守ってください」


「懐中電灯は、なるべく各部屋に置いてください」1ヶ所に置いてしまうと、家具が倒れた時、怪我をしてしまった時、夜中で真っ暗な時に、取りに行くことが出来ません。
また、あかりがあることで、不安な気持ちも和らぐと思います。


「通勤、通学路など、毎日通る道で自分を守ることはできますか?」危険な場所がないかチェックしておくことで、怪我をすることが減らせると思います。


他にも伝えたいことは、まだまだ沢山あるけど、
長くなってしまうので

「今すぐできる重要な3点」だけ書いてみました。




対策や防災グッズ、家族との話し合いなど
あまりしていないという方は

ちょっとずつでも良いので
やってみてくださいね。

自分のため、家族のため、
悲しい思いをしないために…

最後まで、読んでいただき
本当にありがとうございました🙇‍♀️🌼



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