マガジンのカバー画像

アレクサンダーテクニーク

344
運営しているクリエイター

#感覚

どこでもない、ここ。

どこでもない、ここ。

ここではないどこかへ、ではなく、
他でもない、ここ、にいること。

身体のこと、自分のことを知りたいと思うようになって
あれやこれやと調べたり実際に習いに行ったりしましたが、
もうほとんど全部と言っていいくらい、忘れました。

実感から言いますと、わたしにはいらない。

まだアレクサンダーの学校に通っている時
学校の先生に言われたことあるんですよ。
「いろいろあるけどアレクサンダーだけでいい」って

もっとみる
落とし穴。

落とし穴。

観察しているとき、あることに
陥ってしまっていることに気づけなかったりします。

気づけないとほんとに気づけないんですが、
例えば、手を動かすところを観察しよう、
と、その時に
動かしている手を観察しているのか、
自分が動かしたいように動かしているのを
できているか確認しているだけなのか、が
重なり合っていてわからないんです。

動いているところを観察しているのか、
動かしていることを確認している

もっとみる
間違いに気づく。

間違いに気づく。

「正しいことは自然に起こる。」
これって誤解されやすい言葉なんじゃないかなって。

ともするとこの言葉には、
何もしなくても、
今のままで、そのままで
あなたは正しいのだから、
頑張って何かをする必要はありませんよ。
とも取れます。
少なくともそういう雰囲気があります。

アレクサンダーさんがいってたことって、
私が読む限り、
「間違っていることをやめなさい。
そうすれば、正しいことが起こります。

もっとみる
感覚って。

感覚って。

こんなものなんですよ。
なんの疑問もない。
あれとこれは両立するんです。
面白いですよね。

ポールを避ける避け方が、
相手の腕を想定しているし、
手を繋いでいるということとして動いています。

肩を抱いてくれていることと
手を繋いでいることは
両立するんです。

最後何を握っていたか知るわけですが、
驚いていますよね。
これってみんなやっちゃってることなんです。

自分が何をしているかは
これく

もっとみる
感覚。

感覚。

アレクサンダーテクニークを知ってもらう上で
一番と言ってもいい壁があります。

感覚のことです。

感覚が信頼できないものになっている。
これをアレクサンダーさんは知ったんですが、
ここが一番わかりにくいのかもしれません。

信頼できないって言われても、
いやいや、ちゃんと動いているのは
わかるし、なんならそれを頼りにして
動いてもきちんと成功するよ、って。

腕を水平にあげるのって
少し前に流行

もっとみる
『弓と禅。』

『弓と禅。』

オイゲン・へリゲルの著書
弓を通して禅を学ぶ過程を記述したものです。

その中で的を狙ってはいけません。
など、禅的な物言いが出てきますが、
その師匠は弓術の技術に長けた方だったらしいです。

ここについて。

狙わなくていいくらいに技術が優れていたのか。
禅的によく行われたので、いい結果が得られたのか。

これってバカと天才は紙一重と同じような話かもしれません。

弓をやらない禅の大師匠が
的を

もっとみる
横になる。その後。

横になる。その後。

以前のこの記事、
やってみた方いらっしゃるでしょうか。

ただ横になるだけっていう
お手軽なものでしたが、
私も改めてほぼ毎日やってみました。

やっぱりいいものですね。
自分が筋肉的に力を入れているのか、
いかに余計なことをしているのか、
横になった状態で
手足を動かしてみると、
いろいろなところが連動しているのかが、
よくわかりおもしろいです。

どの本だったか忘れたのですが、
アレクサンダー

もっとみる
2たす2は4。

2たす2は4。

事実を事実として受け止める。

これって結構難しいというか、
ついつい自分の思い込みや
こうしたい、こうあって欲しいを
入れてしまいがちなんですよね。

鏡に写した自分を見ている時も
願望が入り込んで、
見てしまいがちです。

鏡を見る見方もクセが出て
見ていないところが多くあったりします。

なので、教師として
ここはどうなってますか?
その時こっちはどうですか?
などと見ることに助言していきま

もっとみる
「つもり」ってわからない。

「つもり」ってわからない。

ほんとにやる、と
やっているつもり。

これは文字で読むと
そりゃーそうでしょ!となるんですが、
実際何かをやっている時には
ほんとうに、わかりずらいんです。

私は師匠のレッスンに通い始めた頃
「アップは?」と言われていました。
私としては、
「いやいや、ずっと思ってますよ。」と。
何回か目いや、何十回か目のレッスンで、また
「アップは?」と言われた時、
「ん?思っていました。」と答えたのですが

もっとみる
感覚をとりもどす。

感覚をとりもどす。

必要とされていることこそが、
理解することの大きな壁になっている。
必要だから、届かない。

アレクサンダーさんの著書への
序文にジョン・デューイが書いた言葉です。

彼のアメリカ教育界における功罪はおいておくとして、
アレクサンダーさんの生徒だったことからの
序文の言葉は要点が分かりやすく、
なぜアレクサンダーテクニークは伝わりにくいのか、
なぜ他ではなくアレクサンダーテクニークなのか、
このよ

もっとみる
信頼できる感覚。

信頼できる感覚。

思い込みって自分では気づけない。

なにをどう思い込んでいるのかは
なかなか自分では気づくきにくいです。

身体の感覚を信頼できるようにして、
その信頼できる感覚で
なにをしているのかわかるようになれば、
なにを思い込んでいるかが
わかるようになるかもしれない。

脳ってかなり思い込みが激しい。

思い込みが激しいにも関わらず、
司令塔的な役をしたがる。
厄介なものです。

間違っている指令でも

もっとみる
抜け出るには。

抜け出るには。

薬を飲むようにエクササイズをしても、
姿勢は良くなりません。

これはもうはっきりしていることです。
100年も前から
鍛えるエクササイズが流行り、
身体的問題を解決しようとしてきました。
(アレクサンダーさんが言うには、ですが。)

最近も変わっていません。

なぜ良くならないと言えるのでしょうか。

エクササイズのメニューを作った人は
それで良くなったかもしれません。
でも、
それを私に当ては

もっとみる
話は信用しない。

話は信用しない。

レッスンでのことです。
生徒の話をどう聞いているか。

これは感覚について。
感覚は人それぞれで
どう感じたのかが違っています。
違っている上にどう言葉にするかも違います。

色についてのことなら、
わたしが見ている赤と
あなたが見ている赤が
同じであるかどうかは確かめられない。

人それぞれであっても
これが赤という決まったものを
それぞれが見ているはずなので
会話は成立します。

感覚について

もっとみる
正しい、間違い

正しい、間違い

よく正しいや間違っているという話をします。
正しい動きなどと言っています。

じゃなに、私が動いているのは間違っているの?
そう思われる方がいらっしゃるだろうと思います。

間違いは悪い、
そういう意味のことを言いたいんじゃないんです。

新しいことをする時って
これでいいの?って思うことありませんか。
あっているのかもわからない。
もっというと間違っているかもと感じる。

教えられてやってはみた

もっとみる