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感覚をとりもどす。

必要とされていることこそが、
理解することの大きな壁になっている。
必要だから、届かない。


アレクサンダーさんの著書への
序文にジョン・デューイが書いた言葉です。

彼のアメリカ教育界における功罪はおいておくとして、
アレクサンダーさんの生徒だったことからの
序文の言葉は要点が分かりやすく、
なぜアレクサンダーテクニークは伝わりにくいのか、
なぜ他ではなくアレクサンダーテクニークなのか、
このようなことが書かれています。
さすが文章で伝えるのが上手い。

アレクサンダーテクニークが必要な人は、
必要だからこそ、テクニークの原則を理解することが
難しいという悪循環になってしまっている。
そんな意味のことを書いています。


その大きな壁になっているもの、
私たちが鈍くなってしまっているもの、
それは感覚認識です。

どう感じるのか、ということです。

感覚認識が鈍くなっていることが、
アレクサンダーテクニークの原則を
理解することを妨げている。

そういう人こそ
アレクサンダーテクニークを知ってほしいのですが、
そういう人になかなか伝わらないという。

感覚認識が信頼できなくなってしまっている人は、
だからこそ、アレクサンダーさんが言っていることを
理解しにくいですし、そのような感覚なので間違えやすい。

運転ができるだけの人は、
直進しているはずなのに、なぜ
右にそれていってしまうのかが理解できず、
ハンドル操作でなんとかしようとする。
なぜ右にそれていってしまうのかが
わかる人は、別の行動を取ることができる。

これを私たちに置き換えて、
構造を知るという方へ行ってしまうと
違った方へ行ってしまいます。
解剖学を知っても、その知識を
自分に当てはめる時、その当てはめ方が
感覚の間違いによって、間違ってしまうからです。
これはその他の学問的知識も同じです。

聞いた話ですが、解剖学を学んでいるはずの
医者に頭蓋骨と背骨が接している関節はどこ?
指差してみてというと、間違える人がいるそうです。
知ってはいるが、当てはめられていない。


感覚を信頼できるものにするって、
かなり大事だし、もっというと
そこからしか始まらないと言ってもいいです。

実際には感覚を信頼できるものにしながら、
意識的コントロールも学んでいってもらう
というように、同時にレッスンは進んでいきます。

だから、呪文から始めるんです。
呪文の言葉を、自分の知っている意味で
イメージで、身体に当てはめた時、
間違ってしまう可能性が大きいからです。

ここに動きをアドバイスすることの難しさがあります。

先生と生徒で感覚の違いがある。もっというと、
感覚を言葉で表現する時にも違いがあります。
二重の意味で難しい。


全ての土台となる感覚を、
信頼できるものにしていきませんか。

疑問質問、お待ちしております。


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