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自然・人間・社会/『アフォーダンスの心理学』と考える/5.脳の自発性(後編)

写真出典:AlainAudet @pixabay
前回は、成人の脳が外部・内部からの刺激がなくても自発的に活動していて、それには人間にとって不都合な面もあることを、お話ししました。今回は、成人の脳の出発点である赤ちゃんの脳についての研究成果を紹介します。

前回はこちら:


1.赤ちゃんでは、勝手に動ける脳が身体・環境の結びつきに導かれてチューニングされていく

 研究成果の紹介が長くなると思うので、そうした研究成果を基に私なりに割り出した結論を先にお話しします。

 表題にも書きましたが、言い方を換えると、

赤ちゃんは、自発的に活動できる脳を備えて生まれてくる。その後、赤ちゃんが身体を通して環境と関わることで、脳・身体・環境の3者を結びつける脳内の神経回路が形成されていく。

というのが、私の結論です。

 前回の【引用1】を思い出してください。

【引用1】
脳のさまざまな領域は自発的に活動しています。心臓が自発的に拍動するように、脳の神経細胞も自律的に活動しています。通常は勝手な活動をしないようにボトムアップ情報で統制をかけていると考えられます。

引用:林(高木)朗子・加藤 忠史 編
『「心の病」を科学する』
(講談社ブルーバックス、2023年)P64
/太字化は楠瀬

 太字部分を次のように言い換えると、そのまま赤ちゃんの脳の発達の説明になると、私は考えています。


2.研究成果(1)/赤ちゃんの自発運動が神経回路形成の基になっている


 まず、比較的最近の研究成果を紹介します。2022年12月27日に東大が発表した研究成果です。

 以下に、要点を抜粋します。元の発表文は「ですます調」ですが、コンパクトに収めるために「だ・である調」に変え、表現も一部改変しています。

生後数か月頃の赤ちゃんは何をするでもなく、もぞもぞと手足を動かしている。このような動きは外部の刺激によらずに赤ちゃん自身が行っていることから「自発運動」と呼ばれている。
金沢星慶特任助教、國吉康夫教授らの研究グループは、一見無意味のような自発運動の背景に複数の筋肉の感覚や運動のモジュールが生まれていることや、モジュール間の情報の流れが時々刻々と移り変わる「感覚運動ワンダリング」が存在することを発見した。
研究グループは赤ちゃんが「感覚運動ワンダリング」を通してより全身的に協調した動きへ、あるいは、反射的な動きから予測的な動きへと発達していることを解明すると共に、このような発達に伴う変化が経験頻度だけでなく、好奇心や探索といった行動に基づいている可能性も示した

抜粋(一部改変):東京大学プレスリリース
2022年12月27日
/太字化は楠瀬

 モジュールというのは、脳内で、特定の機能を担っている領域のことですが、ここでは、特定の動作・感情・思考を生起する神経同士の結びつきと解釈し、神経回路と呼び変えることにします。

 この研究成果が示しているのは、赤ちゃんが自発的運動をしているうちに脳の神経系と筋肉の神経系がつながって、運動を生起する神経回路が作られていくということです。

 「感覚運動ワンダリング」は、正直に言って私には理解できない現象(概念?)です。ただ、この記事の主旨は赤ちゃんの脳が自発的に活動していることを裏付ける脳科学の研究成果を紹介することなので、「感覚運動ワンダリング」を理解できていないことは大勢に影響ないと思います。
 
 とはいえ、ただ通り過ぎるのも癪なので、取り敢えず、ひとつの運動を生起する神経回路と他の運動を生起する神経回路が情報をやり取りしながら、より複雑で統合された動きを可能にすることと解釈しておきます。

 重要なのは、次の点です。

赤ちゃんの脳そのものが自発的に活動しているのでなければ、自発運動しながら脳神経系と筋肉神経系をつないで回路形成することはできない
 
つまり、赤ちゃんは外部刺激なしに自発的に活動できる脳をもって生まれてくるのです。そのことを解明した研究を次に紹介します。

3.研究成果(2)/赤ちゃんは、自発的に活動できる脳をもって生れてくる


 ここでは、赤ちゃんの脳の発達過程と脳の機能について研究している東京大学・多賀厳太郎教授の研究成果を紹介します。
 インターネット上の、次の2つの記事が出典です。

 両方の記事には重複する部分が多い一方で、異なる視点も登場します。そこで、それぞれの記事から引用・抜粋するのでなく、2つの記事の内容を繋ぎ合わせて整理していきます。
 ですから、以下では「地」の文が出典記事の内容になるのですが、私の解釈を交えた部分があります。両者の区別がつくよう、私の解釈については、これを《  》で囲って示します。

3-1.赤ちゃんは、脳が外部の感覚情報を受け入れる準備ができた状態で生まれてくる


 赤ちゃんの脳は、母親の胎内にいるうちに、形そのものは大人とあまり変わらない状態になり、神経細胞から他の神経細胞に信号を送る軸索のネットワークが着々とできていきます。

 その結果、赤ちゃんは、脳の神経回路網が外部の感覚情報を取り込める程度に完成してから、生まれてきます

 ただし、生まれた時点では、軸索と軸索が接続されていません。軸索と軸索の結びつきをシナプスと言い、《シナプスが、環境からの刺激に対応して感情・思考・行動を生起する脳の神経回路を形成する》のですが、生まれたばかりの赤ちゃんでは、シナプスは形成されていません

3-2.生後に爆発的にシナプスが形成される。

 シナプスは、赤ちゃんの生後6カ月から12カ月にかけて、視覚野だけでも1秒間に10万個のニューロンが作られるというような爆発的なスピードで生成されます。これにつれて、知覚と運動機能が発達していきます。
 半年から1年の間に、まず首がすわってお座りし、次にハイハイし、そして立ち上がって歩くようになります。言葉が出るのはちょうど1年を超えたころからですが、最初の1年の間にも知覚と理解の発達がずっと進んでいて、それが表に現れてくるのが1歳ぐらいからなのです。

3-3.脳内の役割分担が確立し、それに対応するシナプスだけが定着する


 しかし、時間とともに、刺激の種類ごとに対応するシナプスが固定していき、神経回路の役割分担が生まれます。視覚や聴覚などに対応して、脳内の特定の場所がそれぞれの機能にかかわる活動を担うようになっていきます。たとえば、視覚だったら後頭部の視覚野が、音を聴いているときには左右の側頭葉が活動するようになるのです。

 役割分担が進み出すと、役割特化したシナプスを情報が伝わりやすいように、役割特化していない余分なシナプスが壊されシナプス全体の整理が進みます。これを「シナプスの刈り込み」と言います。
 刈り込みが始まっても新しいシナプスは作られますが、作られるシナプスと壊されるシナプスの足し引きで、シナプスの総量は8-9か月でピークを迎え、その後は減っていき、一定の数量になって落ち着きます。

3-4.赤ちゃんの脳機能は一般から個別へと発達していく

 発達ということを捉えるとき、①なにも反応しない状態からだんだん反応するようになるという見方 と、➁何でも反応していた状態から特別なものにだけ反応するようになるという見方 の二つの捉え方があります。

 加賀教授たちは、脳の発達の一般的なプロセスは、比較的ジェネラルなものに対しての反応性から、よりスペシフィックなものへの反応性へと変わっていく「General to Specific」だと考えています。

 《脳の神経回路形成は、役割特化した回路を作って積み上げていくのでなく、役割特化していない回路を膨大に作っておいて、その中から特定の役割に適した回路だけを残していく形で進むのです。》

 前回の【引用2】に共感覚が登場しました。あそこでの共感覚はニューロフィードバックで人工的に作られたものでしたが、ある音を聞いた時に特定の色が目に浮かぶといった共感覚を、生まれつき備えている人がいます。
 
 そのような共感覚の起源を「General to Specific」な脳の発達過程に求める説があります。シナプスが爆発的に増加している間に、一つの刺激に対して脳の広い場所がワーッと反応する状態があって、それが発達期に刈り込まれて特化しないまま残って、聴覚情報に対して視覚的な活動が生じたりするような共感覚が生まれるという説です。

3-5.身体を通した環境との関りが、赤ちゃんの動き方を変えていく


《加賀教授は、「2.研究成果(2)」と同様の現象も報告しています。》

 べッドに横たわった赤ちゃんの顔の上にモビールをぶら下げておきます。赤ちゃんはもぞもぞと不思議な感じで手足を動かして自発運動しているのですが、そのお赤ちゃんの片手とモビールとを紐で結ぶと、赤ちゃんの動きにあわせてモビールも動きます。

 すると最初はもぞもぞ動いているだけだった赤ちゃんが、自分が手を動かすとモビールが動くことを利用して、動きを変化させていく。実験の対象とした月齢では、まだ自分で手を伸ばしておもちゃを掴んだりできないのですが、周囲の環境との相互作用によって、赤ちゃんの動きが変化していくわけです。

 この現象を、「赤ちゃんが、モビールという環境の事物を、手を動かすという身体行為との関連で知覚している」と捉えることもできます。

J・J・ギブソンがかつて述べたように、環境の事物は常に身体行為との関連で知覚されます。われわれヒトの大多数にとって、空気は呼吸することを「可能に(アフォード)」するものだが、鳥にとってはむしろ飛ぶことを可能にするものです。われわれにとって水はもっぱら飲むことを可能にするものですが、魚にとって水は泳ぐことを可能にするものです。しかし水浴びを覚えたときから、水はわれわれに身体を冷やすこともアフォードし、泳ぎを覚えたときから、泳ぎもアフォードします。
こうして空間は動物にとって「アフォーダンス知覚」(ギブソン)、つまり行動的な可能性と意味の充満する場所であり、抽象的なからっぽの容れ物や、物理的で中立的な物質などではありません。そして脳の学習や記憶の機能が役に立つのも、このような環境が先立つからです。

下條信輔『意識とは何だろうか』
(講談社現代新書、2004年)P98

  こうして、脳の自発性は、アフォーダンスの概念へと還ってくるのです。

4.脳が自発的に活動できるから、人間は生きていくのに必要な機能を身につけることができる

 ここまでの説明で、私たちが、赤ちゃんとして生まれたときから脳が自発的に活動していたおかげで生きていくのに必要な機能を身につけることができたことが、お分かりいただけたと思います。

 つまり、それによって多少の不都合はあったとしても、脳が自発的に活動してくれることが、人間が人間であるために絶対に必要なのです。

 前回とりあげたニューロフィードバック実験は、私たちが意識して指令を与えなくても脳が自発的に学習することを示していますが、私たちが生きている場面は流動的でしばしば想定外の事態が発生することを考えると、このような脳の自発的学習能力は私たちの生存に有利に働いていると考えられます。

5.脳と身体を切り離して考えることはできない


 今回は、赤ちゃんの脳の発達についてお話すると申し上げたのですが、実際に書いてみると、身体の話が非常に多くなりました。というより、身体を抜きにして、脳の発達は考えられないことが見えてきたと思います。

脳の機能は身体の構造や環境のありようから切り離すことが出来ません。身体に根差していない脳の機構、環境とその歴史に結びついていない脳の機能は、そもそも無意味なのです。
この点は最近多くの認知科学者、認知哲学者、人類学者などによって、さまざまな形で述べられています。たとえばホーグランドやクラークらによれば、脳と環境世界は密接に「カップリング(連携)」しています。しかも、このカップリングは「多層の、幅広い接触を伴う」ものだといいます。そのそれぞれの層は多かれ少なかれメンタルで、身体的で、「環境世界的」である。完全にメンタル、完全に身体的、完全に環境世界的、というように分離してしまわない。脳の機構は身体に根差している(embodied)。脳の機能は環境世界の文脈の中に位置づけられている(situated)。彼らはこのように表現しています。  

下條信輔『意識とは何だろうか』
(講談社現代新書、2004年)P124

  ここで下條が指摘している《脳ー身体ー環境のカップリング》という視点は、人間の脳の働きを模倣したAIと人間と機械を電子的につなぐBMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)が急速に進歩し生活空間に浸透しつつある現代において、とても重要なテーマだと考えています。

 そこで、次回は、《脳ー身体ー環境のカップリング》についてみていきたいと思います。

 今回はここまでとします。

 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

次回はこちら:


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