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自然・人間・社会/『アフォーダンスの心理学』と考える/6.《脳ー身体ー環境》の連携/(1)《生きもの一般》

前回と前々回にわたって、人間が備えている《生き物の自発性》が脳の自発的活動に支えられていることを見てきました。その中で、《人間が生きていくのに必要な脳の神経回路は身体があって初めて形成される》ということが明らかになったと思います。
そこで、今回からは《脳ー身体ー環境》の3者のカップリングについて考えていきたいと思います。今回を含めて3回にわたって検討する予定です。

前回はこちら:


1. 《生きもの一般》について考え、次に、人間だけ取り出して検討します。


 《脳ー身体ー環境》の連携(カップリング)については、まず⦅生きもの一般⦆について考えた上で、次に、そこから人間だけを取り出して考えていきます。それは、次の理由によります。

アフォーダンスは本来《(脳も含む)身体システム》と環境の関わり方についての概念で ‶脳単体” にはあまり重きを置いていないが、

人間では、‶脳” が他の生き物には見られない特殊な機能を果たしているから。

 私たちが脳について考えるとき、人間の脳とミミズの脳(それがどういうものか、私には想像もできないのですが)を並べて取り上げることは、あり得ないと思います。

 ところが、『アフォーダンスの心理学』は、人間の乳幼児の成長過程をアフォーダンスの枠組みで説明する一方で、ミミズが落ち葉で巣穴をふさぐ行動も、アフォーダンスの枠組みで説明しています。

 脳と身体を併せてひとつのシステムと捉えれば、人間の成長もミミズの行動も同じ考え方の枠組みで説明できてしまう――それが、本来のアフォーダンス概念です。アフォーダンスは非常に包括的で適用範囲の広い概念なのです。
 ただし、そのように《生き物の世界全体》をカバーできるのは、《生き物》にとっての環境を自然環境に限定しているからだと私は考えています。『アフォーダンスの心理学』から、このようなアフォーダンス概念の特徴を雄弁に物語っている部分を引用します。

【引用1】
ぼくらがここにいることで、環境は変化している。それはそのとおりだけれど、ぼくらがここにいなくても、環境はやはりここにある。しかし、環境がここになければ、ぼくらはここにいない

『アフォーダンスの心理学』P57
/太字化は楠瀬

【引用2】
驕りたかぶった人類も、環境を選択的に改変する以上のことはできない。環境を創造してなどいないのである。ぼくらは多くのことを知っているかもしれないが、環境の創造のしかたは知らない。だから、もし、このまま、ぼくらのたった一つの環境を破壊しつづけるなら、やがて最悪の事態が訪れるだろう。

『アフォーダンスの心理学』P57
/太字化は楠瀬

 【引用1】は、環境を自然環境と置き換えた上で、人間を含めた全ての生き物が自然から生まれることを思い起こせば、人間にも適用される普遍的で自明な理といってよいと思います。

 【引用2】は、実は【引用1】の直後に続く文章です。環境を自然環境に限定すれば、【引用1】と併せて、人間の自然破壊に対する批判として、これほど本質的で強力なものはないでしょう。

 しかし、私は、現代の人類は環境の創造のしかたを知っていると思うのです。サイバースペースがそうです。インターネットの基盤上にAI、BMI、VRなどの電子技術が重なって構成されるサイバースペースは、《人間の・人間による・人間のための》環境であり、それを創り出しているのは人間の脳だと私は考えているのです。

【楠瀬注記】
自然破壊の文脈では、サイバースペースも自然破壊に一役買っています。サイバースペースを支えるハードの機器は、レアアースを筆頭に自然環境に存在する資源を消費して作られます。サイーバースペースの駆動源である電力は、自然破壊を伴わずには供給できません(原子力発電については、放射能汚染の潜在リスクと放射性廃棄物が自然環境に与える負荷を考えに入れています)。

 サイバースペースは次回以降のテーマなので、ここではこれ以上立ち入りませんが、人間にとっての環境は自然環境にとどまらないという意味で、《生き物一般》についてのアフォーダンスと人間に固有のアフォーダンスに分けて検討する必要があると考えるのです。

2.やはり、アフォーダンスという言葉を厳密に定義します

 このシリーズの第3回で、アフォーダンスという言葉の厳密な定義にはこだわらないと申し上げたのですが、ここから先の検討を進める上では、言葉の厳密な定義が必要になってきそうです。
 そこで、あくまで私流ですが、アフォーダンスという言葉を定義します。ただし、《生き物一般》についてのアフォーダンスと人間にとってのアフォーダンスを、別々に定義します。
 
 今回のテーマは《生き物一般》なので、《生き物一般》用の定義を下に示します。

 第3回の内容を基本にしていますが、紛れがないように、語数を増やしてより細かく定義しています。

 厳密に言うと、この二つの条件は同義反復です。生き物は自然の中から生まれてきます。そして、生き物の《(脳も含む)身体システム》は自然界に存在する物質からできています。ですから、生き物の生存と繁殖を助ける性質をもたない自然環境というのは、そもそも、あり得ないのです。
 
 ただ、この同義反復を避けようとすると、定義のなかに生き物が自発的に探索し選択するというニュアンスを織り込みにくくなり、複雑で分かりにくい定義になってしまいます。ここでは、分かりやすさを優先して同義反復には目をつぶることにします。

3.《生き物一般》について、《身体システムー環境》の連携(カップリング)が成立する条件を考えます


3-1.連携(カップリング)が成立する条件はアフォーダンスの定義と重なる


 《生き物一般》において、身体システム(脳も含む)と環境の連携(カップリング)が可能になるのは、「2.やはりアフォーダンスを定義します」で示した二つの条件が満足されているときです。 

 その意味では、⦅生き物の身体システムと自然環境の間に連携(カップリング)が成立することがアフォーダンスである》というアフォーダンスの定義の仕方も可能かもしれません。

 二つの条件のうち、自然の側の条件は、全ての生き物に対して開かれている可能性を意味しています。しかし、実際には、自然に備わっている性質のなかから、どの性質を選択してどのように利用するかは、生き物の種によって大きく異なります。言い方を換えると、自然環境との連携(カップリング)の仕方は、生き物の種ごとに異なるのです。では、そうした違いは、どこから生まれてくるのでしょう?

3-2.身体構造が連携(カップリング)の仕方を決める

 ある生き物の《(脳も含む)身体システム》が自然環境とどのように連携(カップリング)するかは、その生き物の身体構造によって規定されています。 

われわれヒトの大多数にとって空気は呼吸することを可能にするものだが、鳥にとってはむしろ飛ぶことを可能にするものです。われわれにとって水はもっぱら飲むことを可能にするものですが、魚にとっては泳ぐことを可能にするものです。

引用:下條信輔『〈意識〉とは何だろうか』
(講談社現代新書、2004年)
P98

 鳥は翼という身体構造を持っているから、空気という自然の性質と⦅移動する身体システム―移動を支える媒体》という形で連携(カップリング)することができます。一方で、翼をもたない人間にとっては、空気との間の主たる連携(カップリング)は、《酸素を必要とする身体システムー酸素を提供する媒体》という形になります。
 同様に、人間と魚とで水との連携(カップリング)の仕方が違うのは、人間と魚の身体構造が違うからです。

3-3.生き物の進化という観点から見ると、連携(カップリング)の仕方が身体構造を決める

 現時点でみれば、自然環境との連携(カップリング)の仕方は、生き物の身体構造によって決まるのですが、超長期のタイムスパンでは、生き物が自然環境と確実に連携(カップリング)できる方向に身体構造が進化してきたとみることもできます。

類似した生息場所でそれぞれに成功しているが、進化上はかけ離れた動物たちの間に相近(楠瀬注1)の例を見つけることができる。このような場合には、身体の大きさ、食性、移動のしかた、全体的な形態などが相近する。どこを見ても相近がみられるという事実は、生物群集の組織化が、その群衆を構成する各動物種の進化上の起源よりも、環境の局所的な諸条件に強く依存するという見方を裏付けている。
(楠瀬注1)相近とは進化の系統が異なる生物同士が近似した形質を持つ方向へと進化する現象のことで、収斂とも言われます。

抜粋(一部改変)『アフォーダンスの心理学』P87
/太字化は楠瀬

 同じく花の蜜を食料とする鳥とガの間には、長く伸びたくちばしと極端に長い口という相近が見られます。この相近が現れた理由を、リードは次のように説明します。

花の蜜を得るには、このようにまったくちがう二種類の動物が同じことをする必要がある――つまり、比較的長いトンネルの内部に食物の摂取につかう体部を差し込む必要があるのだ。

引用(一部改変)『アフォーダンスの心理学』P87
/太字化は楠瀬

 私は、鳥とガの間に見られる相近は、《食料を求める身体システムー蜜をたたえた花》という連携(カップリング)が、長い長い時間のなかで、鳥とガに類似した身体構造をもたらしたものだと考えます。

4.人間の特異性についてここで触れておきます


 以上に見てきたように、《生き物一般》にとっては、《身体システムー環境》の連携(カップリング)と身体構造が不可分の関係にあります。

 ところが、人間の場合は、この関係の縛りが緩いのです。

ヒトは地上のほとんどすべての生物群系に適応放散しており、したがって、たいていの動物種よりもずっと多様なアフォーダンスの集合と切り結ぶ傾向がある。この適応放散の主要な要因の一つとして、生息場所を自分たちの必要に合わせて改変するヒトの個体群の能力があることは疑問の余地がない。したがって、意味と価値を求めるヒトの努力は、所与の生息場所のアフォーダンスの発見と利用としてとらえるだけでは完全には理解しえないのである。

引用:『アフォーダンスの心理学』P212~213
/太字化は楠瀬

人間は、みずからの身体を変化させるのでなく、既存の環境側を変化させることによって生息圏を広げてきたのです。

 そして、今や、サイバースペースという全く新しい環境を自らのために自らの力で創り出そうとしています。この新しい世界は、決してバラ色の可能性だけに溢れたものではなく、暗黒の落とし穴もはらんだものだと私は考えています。
 けれども、好むと好まざるとにかかわらず、この流れを押しとどめることはできないし、そうであるなら、この新しい環境と可能な限りポジティブな連携(カップリング)を築く方法を考えていくことが現実的な対処策であるとも考えています。

 次回からは、人間に固有の《脳ー身体ー環境》の連携(カップリング)を考えていきます。

 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

次回はこちら:









































































































 一方、生き物の方は、同じく自然から生まれてくると言っても、自然環境の探索の仕方・選択の仕方は生き物の種によって、千差万別です。リードは、この違いを”効率”という観点で捉えています。

タコはものの形態を識別するが、ヒトや哺乳類の視覚とはまったく原理がちがっています。最近の研究によれば、どうやら物体表面からの反射光の偏光特性(特に、その方向)を検出する機能を、活用しているようです。昆虫の複眼も同様に、原理からして単眼とはちがっています。ハチにおける可視波長領域はヒトのそれと違い、ヒトでは見えない色を知覚しています。さらにカエルにとっては、静止した物体は存在しません。というのも、彼らの視覚系は運動しているものだけを検出するようにできているからです。

 このような探索方法の違いは、自然環境の中から何を食べ物として選択するかと結びついています。ハチがヒトでは見えない色も知覚するのは、花粉をエサとしているために、花びらの色彩を細密に区分して知覚する必要があるからです。食性と密接に関係しています。環境の探索の仕方が全く異なります。人間は、視覚をメインに、そこに聴覚、触覚など、他の感覚を組合わせて自然環境を探索していま            すが、コウモリには視覚はなく、その代わりに超音波をメインに使って自然環境を探索しています。
 人間は雑食性で、植物から動物にいたる広範な自然物を食料にできます。コウモリはを食べるので、食料として選択できる範囲はかなり広いのですが、それでも、人間に比べたら限られています。

 生き物の側の探索と選択の仕方には種の間で違いがあるのです。では、何が、そのような違いを産むのでしょう? 言い換えると、特定の種について、その種に属する生き物が環境を探索し、そこから生存と繁殖に役立つ性質を選択する様式、つまり《探索・選択行動の様式》を決める条件は何なのでしょう?

3-2.生き物の《探索・選択行動の様式》を決める条件

 
 生き物の《探索・選択行動の様式》を決める条件は、生き物の身体の構造と機能です。


3-2.生き物の身体構造



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