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日本人として考える概念

日本に合わないもの。

個人的に思う最悪のものは
幸せっていう概念

これは最悪に合わない。

幸せって概念は
そもそも西洋一神教なんですよ。

神様から与えられるもの

なんですよ。
八百万の神とか言うて、
それぞれはそれぞれの神がいて自然なのよね
ってのが我々なので
そもそも意識しないものなのですよ。

やからこそ
幸せになりたい!
幸せそうやな
幸せになるために努力!
とかっていう、わけわからん思想を生むのです。

幸せは与えられるものでもありません
幸せはそもそも意識するものではありません

我々にとっては、幸せはただの主観。
それだけの事。

探すだけ無駄な時間です。
もっと目の前の事に集中しましょう。

あと

平等と公平っての

日本人はセンター試験などで不正があったりすると怒るのに

○公教育に地域格差があること
○教育の機会に差があること

にはかなり無頓着と言えます。
いや、本質的な大問題はそこじゃねぇの?って思うのですがね(´⊙ω⊙`

ある者は、
図書館があって
たくさん本も買ってもらえて
塾やらの習い事がたくさんできていて

ある者は、
図書館がなく娯楽の街で
本どころか食べる物もなくて
習い事なんて夢の夢

なんていう格差にもっと注目しなさい。

試験さえ公平に実施されれば満足ってか?


この日本人のノリってのは江戸からあるんですよね。

御代官様には、どちらの意見にも寄らずに公正な裁判を望んでいました。

が、

いや待って。その前に
士農工商ってのはどうなん??⊙.☉

権利や地位の平等はどうでもええの?
って話

つまり
ゲーム上の不公正や不公平には徹底して気にする割に
士農工商っていう強烈な不平等には無頓着なんですよね。

だからこそ
ピューリタン革命やら
フランス革命やらっていう
身分階級という不平等への対抗が世界中で起こってるってのに
日本人はその間も不平等には無頓着なんですよ。

結局この国は
上の者に対して革命を起こした事がないまま。

西洋では
個人はそれぞれが神様に認められ
幸せを与えられる為の人生である
という根底思想があるので、平等にうるさいのです。

ですが冒頭で言ったように
日本人は八百万の神なんて思想です。

身分階級が固定されているのに
そんなもんだよねぇƪ(˘⌣˘)ʃ
って感じなんですよ

幸せとかってのを意識してるなら
すぐやめましょう。
そもそも明治維新の際にむりやり導入した概念に
メディアが目をつけて
何が幸せと呼ぶのか?
をプロパガンダしただけなんですよ

豪邸、高級車、美人妻、男前旦那
働かずに高収入、高級食材
ブランドで包まれる服

くっだらない。
そんな表面の薄くて浅いものを…

まるでこれが幸せの形と
プロパガンダしていきました。

メディアの大罪ですね。

そして、当時の日本人も大罪です。

テレビやら雑誌やら新聞やら
これが幸せなんだ〜ヾ( ͝° ͜ʖ͡°)ノ♪
と、洗脳され続けてきたからです。

気づく事ができなかったマス。

もうそろそろ気づきません?

幸せってのがそもそも
存在しないってのに
もう気づいてもいいんじゃないかな?

キリスト教信者で協会に通ってるなら
勝手にどうぞ。

でも、そうじゃないなら
幸せってのを忘れましょう。

とにかく目の前の事にもっと集中しましょ。

子供を見てくださいよ。

目の前にある
楽しぃ!!( /^ω^)/って事に全力じゃないですか
何が幸せか?なんてアホみたいな事は考えていない。

そんな暇は
子供にはないんですよ

あとはね、
テストの公平さに拘ってるんじゃなくて
さっきも言ったように
そもそも教育の機会が平等じゃない事にもっと気づいていきましょ。

地域によって
図書館の数や本屋の数が違うのは
不平等すぎる事に気づきましょ

福沢諭吉の思想のように
教育の機会だけは平等
が大事ですよ

あとは、
勉強しない者は堕ちていくし
勉強する者は自分と向き合って行くでしょう。

しかし、勉強ができる環境がある者とない者がいるプラットフォームはいけませんね。

日本人には
幸せって概念は合いません
公平よりも平等かどうかに着目すべき

って話でした

ちゃーん!ヾ( ͝° ͜ʖ͡°

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