Convivium 共に生きる

日本人の思考は改めて不思議で、美しさもあります。

結婚式はキリスト式で、
わけわからんハゲに永遠の愛を誓ってみたと思ったら
葬式は仏教式で、これまたハゲがお経を読んでみたり
ハロウィンや~!言うて,ある日からコスプレを始めたり
バレンタインデーとかホワイトデーにチョコ渡してたり
クリスマスには髭のオッサンと化け物が家に押し掛けるのを信じて待ってたり
いまだに何となく英語がかっこよく感じてたり
まさに色々な価値や視点を素直に受け入れていく。

宗教にしても、一神教ではなく
八百万の神として多くの神々。あらゆる神々
を信じてきた。
そのすべてに神様がいるという思想ってのはほんとにおもしろい。
神無月なんてのもまさに日本人らしい。
神々が10月には出雲大社に行くので神がいなくなる月という視点からくる言葉。
神でさえも柔軟で多様な捉え方をもつ我々であったからこそ、海外から様々な価値創造を受け入れる事が可能なのでしょう。
一神教が強い国では、なかなか他国の価値を柔軟に受け入れる事はできません。

「Convivium]とは ラテン語で<共生>という文脈にも使われますが
13C~14Cにスペインではキリスト教+ユダヤ教+イスラム教等多様な宗教の民族がいても<共に生きる>という事が可能であった時期があります。
まさにこれは日本的視点。
それぞれに信じる神様がいてええねん
思想も思考も違ってもええねん
何でもいいから、<共に生きよう>っていう自然発想的な視点です
僕はこの視点はほんとに美しいなあ。と考えます

スタジオジブリ「もののけ姫」にて最後のシーン
主人公アシタカとヒロインのサンの交わすセリフが印象的。

サン「アシタカは好きだ。でも人間を許す事はできない」
アシタカ「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう。会いに行くよ、ヤックルに乗って」

という会話。覚えている人も多いのではないでしょうかね。
この会話には、Convivium的な要素が含まれています。
アシタカとサンも
立場も違うし、生育環境も全く違うし、生き方も思想も全然違う。
しかし
お互いどれだけ違っていても
愛する事は可能やし
共に生きる事も可能である

とね

今、コロナで強制的に分断された我々でしたが
再度人類は<共に生きる>事がテーマになってきている気がします。

日本人には、昨日の記事のように
<ローカルカルチャー>が非常にマッチしている。
どこまでいっても共同体で、ローカルに支えあうのがね。
そして今はデジタルでローカルとローカルが繋がる事も可能ですよね。
どれだけ離れていても、顔を向き合わせ、声を聞くこともできる。
日本に合わない人もいますよ。
そんな時は自分が合う国に行けばいいんですよ(⌒∇⌒)
何もかもが違っても、お互い生きましょうってのが
我々のもっている本来の美しさです
思い出す時ですよ。

みんな違っていいじゃないですか(⌒∇⌒)
何も、合う必要はない
ただただ、自然に生きていこうよ
っていう美しさ。
この令和にはキーワードになります



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