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#26『ドゥ!!ザ・マスタング』

目覚めは暴力。

昨夜は確かアルコールを飲んでいないはずだが、妙に目覚めが悪い。

不快な夢を見た気がする。
作為的な部屋に昔の恋人の裸が現れて、僕の劣等感を1から10まで朗読していた。
演じきれない僕は、耐えきれずに耳を塞いだまま窓から飛び降りた。
その瞬間何かが弾けて飛び散ちった。
仰向けの視界には、小雨滴る灰色の朝が世界中のさもしさを独り占めして、おはようも交わさずにしらを切る。

寝返りを打つ気にもなれないほど細かい疲れを溜め込んでいる。
優しいよどみの中でキリがないことを続けている、他人に強いられるわけでもなく。
誰かが鐘をついている、夢の覚め際で遠くから聞こえてくる、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン。
そうしてやっと疲れきった時に完全に目が覚める。

おはよう、ナマの虚無、馬乗りの朝。

昨夜タバコを吸うために開け放した窓が一晩中開きっぱなしで、部屋がひどく冷え込んでいる。
真冬の電柱よりも冷たい空気、それよりももっと冷えきった感情。
眠っている間に脱ぎ捨てた靴下の片方が見つからなくて、ベッドの下を覗き込むと埃だらけのギターケースが目に入り嫌な気持ちになった。

1ヵ月前に捨てようと思っていた空のシェービングクリームのスプレー缶は、未だにクロマニヨン人の貯金箱の横で役割なく立ち尽くしている。
今日こそ捨てよう、今日こそは絶対に。

冷たい水で顔を洗う、どうしてこんなに冷たいんだとしたたかな気持ちになるけれど、これより少し温度が高くても張りがないと苛立ってしまう気がする。
いくら細かい単位で刻まれても丁度いい場所を見つけることが出来ない。

やかんに水を入れてコンロの火をつける、なかなか沸騰しなくて手持ち無沙汰な時間が流れる。
ティファールの電気ケトルがあればこんな待ち時間は無くなるのにといつも思うけれど、生活の些細な利便性を実現するモノは、そのタイミングにしか欲しいという感情が湧かないので購入には至らない、例えばスチームアイロンなんかも同じように。

そんな口にする程でもない考えを頭の中でお手玉のようにぽんぽんと弾ませているうちに、やかんの水が沸騰した。
ドリップバックにゆっくりとお湯を注ぐ。
勢い余ってバックからお湯を溢れさせてしまい、マグカップの中にコーヒー粉が流れ込んでしまった。
こんな些細な出来事がすべてのやる気を失わせる、苛立ちよりも不甲斐なさだけがお腹の中で横たわっている。

ぽつぽつと粉の浮いたコーヒーを飲みながら、テレビのスイッチを入れた。
暴力テレビ、嫌な気持ちになる、嫌な人が多いなって思う、毎日新しい根性の悪い人が現れてワイドーショーのトピックになる、みんな破廉恥だ。

政治や疑獄やストライキや米中の小競り合い、何も見たくない、聞きたくない、世の中の動きに関心を持てない、興味が湧かない。
そんな情報が一切耳に入らない土地に行きたいと思う、自分を自分たらしめない場所で穏やかに死んでいけたら幸せだと思う、だけど途中で寂しくなりそうだから、やっぱり都会から抜け出せない。

昨夜は久しぶりに残業をした。
間髪なくタイムスケジュールを埋め尽くす打ち合わせ、一日の大半が話し合い、黙りっぱなしじゃ無能扱い、ある意味それは死だ。
必死で考えてる、目的がズレた努力の発信方法、まだ抜け出しづらい雰囲気だ、今資料の何ページ目なのか随分前に見失った、終わりそうにない、ヒステリックな神経戦は終わらない。
定時が過ぎても未だに10階の談合が僕らの生活を圧迫している。
おかげで本来やるべき自分の仕事に手をつけられず、残業して終わらせなければいけなかった。

仕事を終えて会社のビルを出る時に、自分自身から嫌な臭いがする気がした。
世の中の労働者が持つ特有の臭いだ。
残業して長く働いたことに対する自尊心、自分は世の中に必要とされている、誰かの役に立っているという勘違い甚だしい自惚れ。
認知的不協和を解消するために、意図しない自分の行動に都合のいい理由を用意して肯定し日常を繋いでいく、人間に与えられた制御装置、気がふれないためのしましまの遮断機。
とても酸っぱい臭い、体調が悪い時に嗅ぐ鰯の酢漬けのように、胸の奥の方から不快感が込み上げてくる気持ち悪い臭い。
いずれ自分の身体中からもっとそういう臭いが放出されるようになるだろうと考えるとやり切れない気持ちになる。
自分自身がそうなってしまうことを想像すると気持ち悪くてたまらない。
誰か分かってくれ、俺は頑張ってるぜ、もっと褒めてほしい、もっと話を聞いてくれ、そんなろうあ者のような嘆きを抱えて生きていきたくない。
だけどきっと気づかないうちに嫌な臭いを身体中から漂わせる大人になる、説教臭いおっさんになる、若者への優越感を酒の肴にするじじいになる、自分がそうなったことにも気づかないまま枝葉のような人生を送っていく。

休日ですらこんな不毛なことを考えてしまう、いっこうに頭は休まらない。
何をしていても、誰といても、常に責め立てられる、追われている、何ひとつ心の底から楽しむことが出来ない。
だから好きでもない人を抱きしめ、欲しくも無いものをたくさん手に入れた、僕はまるっきり空っぽな大人だ。
その全部を捨てなければいけない、生活の堕落という不燃物を廃棄しなければならない、空になったシェービングクリームのスプレー缶と一緒に回収してもらえたらどんなに楽だろうか。

気晴らしにギターを弾いてみても便所の紙にすらならない妄想にうんざりするだけ、イラストレーターで落描きをしてみてもアイデアは飽和状態、WEB制作は義務感だけが宙吊りになってやる気が出ない、何もしたくない、何もかもが中途半端な気怠さを内包していて、精神に馴染んでくれない。

結局何ひとつ成し遂げないまま今日が暮れていく。
今日が暮れてまた今日がやって来るというオートマチックなサイクルに抗う気にもなれない。
運が悪ければ後60年ほどもこの空虚な日々が続くのだ、科学や医療が急速に進化して人類の平均寿命が200歳を超えたなんて悲劇が起これば、あと4万3000日以上も続くのだ。
文の構造的には普通、「運が良ければ」という言葉を使うべきだが、あえて「運が悪ければ」という言葉を選んだのは、ウィットに富んだ僕のユーモアなのだが、それをわざわざ説明する時点で僕の身体から嫌な臭いが漂い始めている証拠だ。
早く終わりが来て欲しい、終わりのことばかりを考えている。
振り返りたくない、涙は要らない、厳かは嫌だ、くだらない方がいい、そして少しだおセンチなら尚いい。

だから今夜はちょっぴりおセンチな終わりのレコードに針を下ろす。
ハイロウズのラストアルバム「ドゥ!!ザマスタング」というレコードがぐるぐる回り始める。

とても素敵なレコード、ハイロウズ史上1番ボリューミーで良質なロックンロールアルバムだ。
郷愁に溢れる黄金色の音楽、夜の背に飛び乗りどこか知らない街に消えてしまうような切ない言葉たち。
僕がひとりぼっちだった頃に僕をひとりにさせなかったロックンロールのレコード。

たつまき親分が12才の僕に言った、友達はできるかな、どうかな、恋人はできるかな、どうかな。
喜びだけじゃなくて苦しみも共有できるような友達ができたよ、君のための僕でありたいと思えるような愛おしい恋人もできたよ、明日また遊ぼう、そんな言葉を言えるようになったよ。

だけど時々悲しくなるし憂鬱に塗れるしひとりぼっちにもなるから、相変わらずこのレコードを聴いている。
ヒロトとマーシーのおかげで、情けないけれどもう少しだけやってやろうと思うんだ。
諦めてない、飽きっぽいだけ、つまらない生活なんてささっと捨てて、次の始まりのことを考えようじゃないか、終わりのことなんて考えても心が寂れるだけ、ハイロウズが終わったってクロマニヨンズがあるように、終わったって終わらない、同じに見えるけれど毎日ちょっとずつ違う、僕は奇跡の男、ドアに鍵をしめて、もう出ていく。
暴力が突っ走る毎日にスコップを持ってカモンレッツゴーを歌いながら、ここじゃないどこかへ出ていく。

「ドゥ!!ザマスタング」、迷子になった家畜馬、どこで死ぬか果てるのか分からない、だから面白い。
ロックンロールのレコードを聴いて思うんだ、まっぴらごめんだって思うんだ、僕はまだまだまっぴらごめんだって思うんだ。

また今日も空になったシェービングクリームのスプレー缶を捨て忘れていて、そんな自分をまっぴらごめんだって思うんだ。

明日こそは捨てる、明日こそは絶対に。

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