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満たされる

生きてていいんだって思えるように、思っちゃうようになってから、だいぶ経って、承認欲求がぐちゃぐちゃになっている気がする。 自分で自分のことを認めてあげたいからがんばる、がんばったから認めてあげれる、のループだったのに、今はどうだろうか。 お料理はがんばっている。お洗濯もやっている。お掃除もまあまあ。適当な身の回りのことについては、がんばっているし、ありがとうって言ってもらえて、満たされている。 でも、自分で自分のことを認めてあげているか。 やっぱり、わたしは算数・数学教育を

    • 悲劇のヒロイン卒業宣言

      今までにされた嫌なことは、全部水に流すことにした。 自分のために。 親からされた嫌なこと、彼からされた嫌なこと、彼のご両親にされた嫌なこと、全部水に流す。 カウンセリングに行って、結婚やめたほうがいいって言われて、でも、なんだかんだで一緒にいたら楽しい気がするって思っちゃうから、もう遠慮しないでわんわん喚くし、むかつくって言うことにする。 ちゃんと喧嘩できたほうがいいから、がんばる。 それが、ちゃんと自分を大切にしてるってことだから。 隣でにこにこ笑っていてほしいっていう

      • 3大欲求

        人間の3大欲求といえば、食欲、睡眠欲、性欲というけれども、それは生物的なものであって、社会的な欲求としては承認欲求が一番だと思う。 誰しも認められたいし、褒められたいはず。 認めるとは何か考えてみると、やっている行動を客観視できるようにすること、それがいいことであると伝えること、さらに自分だけじゃなく他の人にもいいことであれば尚更いいはず。 調べてみたら、マズローさんが欲求を5段階にして分析していました。承認欲求は、社会的な欲求だと思っていたけど、さらにその上らしい。 その

        • 反動

          認められたい人に認めてもらえないから、認められるようにがんばる。 褒めてほしいのにほめてもらえないから、褒められるようにがんばる。 そういうのを多分ずっと繰り返してきた人生で、しんどいときに、自分を励まして、自分で自分のことを認める、褒める、をやり過ぎて、自分の窮地に追い込んでそれを乗り越えないと、そこから立ち直らないと認めたり、褒めたり、ができなくなりました。 幸せの反動が来るというのを自覚したのはいつからか、考えてみると、カウンセリングを受けてたときだと思う。仕事がし

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          繰り上がりのたし算

          繰り上がりのたし算に出会ったとき、ちびっこたちはどのような反応をするだろうか。 ①特に反応を示さずに、たし算をする。(数え足し) ②繰り上がりのたし算だ!と先行知識をもとに反応する。 ③数が大きくて混乱する。 この3パターンありそう。これは仮説。 ここから、授業をデザインしていく。 繰り上がりのたし算で大事なことは、10のまとまりで捉えることだと思うけど、これは先行研究をもとにちゃんと述べた方がいい。 これからに向けて、まとまりで捉えることはとても大切なはず。これも仮

          繰り上がりのたし算

          兎にも角にも

          ちょっと幸せが有り余っている。おかしい。 最近、おかしいって思わなくてなってきた気がするけど、やっぱり、幸せが有り余っている。 でも、その反動か、心が溺れて、苦しくて、死にそうになって、負けん気出して頑張るとか、大きく心が揺れて、しんどくて、それをどうにかしてやるぞとか、そういうのが消えてきている気がする。 どうにかしないといけないのに、どうしたらいいかわかりません。 友達と、いいご飯を食べて、接客がいいねえって話したり、江戸川ですいかのストック割りをして、サイゼリヤに

          兎にも角にも

          誰にわかってもらいたいか

          わたしのことをわかってる人にわかってもらえると、嬉しいし、安心するし、頑張ろうって思うし、ありがたい環境だなって思う。 でも、わたしはわたしのことをわからないって思ってる人にわかってもらいたいって思ってる。 わたしがわかりたい人は、わたしのことをわかってくれる人で、わたしのことをわからないって思ってる人は、わたしがわかりたくない人、わかれない人。 わかって欲しかったらどうしたらいい?何をしたらいい? ずっとずっとわたしのことはわからなくていいと思ってたのに、わたしのこ

          誰にわかってもらいたいか

          最近

          最近は、幸せが有り余っている。おかしい。 たのしい人たちとおいしいご飯食べて、おいしいお酒のんで、かまってもらって、有り余っている。 算数の指導案面白いって言ってもらえて、授業たのしいって言われて、かわいい人たちに囲まれて、楽しく毎日を生きてて、おかしい。 旅行して、謎解きして、水族館行って、船の勉強して、仕事だるいなあって思うけど、ちゃんとたのしくて、おかしい。 わかってもらえないし、イライラはするんだけど、ちょっとましになったかなって思う時もあって、手立てを取ったら改善

          たかズズグドモを観て

          てぇてぇが詰まっていました。

          たかズズグドモを観て

          クトゥルフTRPGは箱庭療法です

          わたしがわたしちゃんの解釈の語るのを聴くと、わたしの中の絶望とか、それを面白がる自分とかそういうのが全部曝け出されてしまって、怖い。 茶太朗の言葉をうまく受け取れなかったのは、わたしちゃんじゃなくて、PLのわたしのせいです。 元々、しんどくなると妄想をして耐え凌ぐタイプだし、それが得意だからこそ、ちゃんと生きてこれたんだけど、人格はひとつの方がいいです、多分。 自傷行為というか、何度も死ぬ俺もわたしで、楽しくて人間に興味を持ってしまうあたしもわたしで、俺が出てきて世界を滅

          クトゥルフTRPGは箱庭療法です

          解釈

          終わり方の解釈をずっと考えていて、やっと納得する解釈ができた気がした。というか、ひっきーの解釈が、とても納得するものだった。 そもそも、俺が何故あそこまで絶望したのか。受け取り方が、それに対する反応がわたしだと言われて、わたしのせいで物語が終わってしまったんだって。 茶太朗の「辛い?」「辛いか?」「悲しいか?」「悲しいよな」という言葉に対して、当たり前だろと怒った俺は、言葉をちゃんと受け入れられなかったわたしのせいで、でも、あそこは怒るしかなかった。 それは、わたしの、PL

          ロボしにグドモを観て

          全然わからなかった。 わたしちゃんが、孤独を楽しいと思ってて、それが続くのを願って世界を滅ぼしたのに対して、ひーちゃんは、明らかな陽だった。 わたしちゃんの物語は、あれしかなかったんだって確信した。 わたしがわたしちゃんをやってしまったら、あの終わり方しかなかった。 どうしても、わたしが作ったわたしちゃんを愛して、わたしちゃんの終わり方を美しいと思ってしまうのは、破壊への憧れなのか。わたしちゃんの中の俺は、わたしの中の絶望であり、この世に対する諦めだから、それが世界を滅ぼし

          ロボしにグドモを観て

          ネタバレあり

          最後のわたしは、俺は、わたしだった。PLとしての。 あたしちゃんがわたしの主人格で、「ねえ人間!」って楽しくなって、茶太朗に懐いて、巻き込んで、行くよってあの方のところに行き、こんなことになったって、俺が逆ギレする。 あの逆ギレは、わたしだった。 物語の中ですら絶望に更けて、これでよかったんだって、被害妄想、悲劇のヒロインして、意味わかんねえよ、死ねよ これが朝のツイート。消したけど。 茶太朗の優しさ、寄り添ってあげたい気持ちに気付かず、逆ギレしたのはわたし。 やっぱ

          ネタバレあり

          グドモを終えて

          PCに入り込みすぎるとエンドをうまく迎えられないんだけど、それは、それでいいと思ったんだけど、やっぱりエンドをうまくエンドを迎えたかったってなった。 あのときのわたしは間違ってないけど、キャラに入り込みすぎた。

          グドモを終えて

          バイブルの話

          デカレンジャー 電王 かいぞくポケット コロボックル物語 ブレイブストーリー クジラの彼 図書館戦争 重力ピエロ 仙台ぐらし 沼男 カタシロ 壊胎、邂逅

          バイブルの話

          TRPGをやるにあたって、今思うこと

          29日に、グドモをするけど、もうすでにわたしちゃんのことがわからない。 わたしが、ここでのわたしはPLとしてのわたしであるけれども、わたしちゃんのことをわかっていないといけないという気持ちが強いってわかった。 わたしがわたしちゃんのことを、全てわかっている必要はなくて、わたしちゃんがどのような判断をしても、それをわたしが認めてあげるとか、それに対して責任を取るとか取らないとか、そういう必要がないとわかるんだけど、わからないのが怖いという気持ちがある。 わたしと、わたしちゃんは

          TRPGをやるにあたって、今思うこと