ロボしにグドモを観て

全然わからなかった。

わたしちゃんが、孤独を楽しいと思ってて、それが続くのを願って世界を滅ぼしたのに対して、ひーちゃんは、明らかな陽だった。
わたしちゃんの物語は、あれしかなかったんだって確信した。
わたしがわたしちゃんをやってしまったら、あの終わり方しかなかった。
どうしても、わたしが作ったわたしちゃんを愛して、わたしちゃんの終わり方を美しいと思ってしまうのは、破壊への憧れなのか。わたしちゃんの中の俺は、わたしの中の絶望であり、この世に対する諦めだから、それが世界を滅ぼしてしまったのならば、それは美しいと思ってしまう。

むつーが言ってる、文明が滅びた世界を旅するのを楽しむシナリオだっていうのが、出なかったのはなんだったのか。
あたしちゃんは、茶太朗に懐いてたのに、茶太朗との距離が縮まっていく描写が無かったのは、なんでだろうか。
他の終わり方も観たい。

数千万年、ひとりで歩いていて、ふと人間に会ったとて、その人間に対して心を開けるほど、わたしが、PLとしてのわたしが、孤独を楽しみすぎていた。

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