兎にも角にも

ちょっと幸せが有り余っている。おかしい。
最近、おかしいって思わなくてなってきた気がするけど、やっぱり、幸せが有り余っている。

でも、その反動か、心が溺れて、苦しくて、死にそうになって、負けん気出して頑張るとか、大きく心が揺れて、しんどくて、それをどうにかしてやるぞとか、そういうのが消えてきている気がする。

どうにかしないといけないのに、どうしたらいいかわかりません。

友達と、いいご飯を食べて、接客がいいねえって話したり、江戸川ですいかのストック割りをして、サイゼリヤに行ってみたり、ちょっと幸せすぎる。
散策をして、たくさん歩いて、疲れて、でもそれが面白くて、楽しくて、調子が狂う。
仕事でしんどいときにも、わかってあげられなくてごめんって言われて、よかったなあってなったり、永遠に愚痴を聞いてもらって、余計な能力を身につけなくていいって言ってもらったり、受け入れ態勢が整いすぎている。
友達の愚痴を聞いて、何もできないけど話を聞いて、どう転んでも味方だなって思って、言って、そういう友達がいて、とにかくよかったなあってなる。

どうしたらいいのか。

算数のことを考えたくて、教育のことを考えたくて、仕事を一生懸命やりたくて、それは、一昨年のことを思い返すとすごいことなんだけど、その気持ちがどんどん無くなっていく。
せっかく、ちゃんと頑張れる状態になって、頑張りたい気持ちもあるのに、そこに気持ちが向かない。

悪意とか、蔑みとか、そういうのに遭遇すると、すごく嫌な気持ちになるんだけど、そういう考えに至ったのはどうしてなんだろうって、その人のことを心配になっちゃうようになった。
いい意味で他人は他人なんだってわかるようになったんだけど、そうやって距離取って、傷つかないようにしているということ?自己防衛?
傷つかなくていいことで傷つかなくていいんだってわかったし、そこに突っ込んでいかなくていいんだってわかったんだけど、それは逃げ?
ずっと昔から逃げて、逃げてきたんだけど、それはよくないって思ってたのに、今は逃げていいのかもしれないって思ってしまう。

ソープスクールで、感情移入できなかったのは何故か。
教員の在り方として、わたしは違うって思っちゃったから。本当にそうなのか?
いろんなハンドアウトがあって、感想戦であった種明かしで、それは自分だってなって、同族嫌悪。

親と上手くいかなかったのは、わたしのせいなのか。
どうしたら望まれるそれになれるのか、反発しながらずっとそれになりたいって、望まれた職に就いて、今があって、それは誰のせい?
どこまでが、自分の望みで、どこからがシナリオなのか。

この間、エヴァンゲリオンを観てしまったからか、シナリオって言葉が頭の中をぐるぐるしている。
いつまでレールの上を走るのか?自分で敷いたレールはどれか?

わたしちゃんの破壊衝動が、わたしの中にずっとある。
壊したいし、壊れるのが美しいと思ってしまう。
壊れるべきものなんだけど、これを大切にしたくなってしまっていて、それでいいのか。

自分を自分で大切にできるようになったら、世界を滅ぼさなくなるのか。ちゃんと生きていく未来に進めるのか。あそこで、茶太郎とうまく関係を築いて、今の世界を取り戻すように生きていけたのか。

いつまでも、わたしちゃんのキャラクリをし続けてしまう。
自己理解を深めているのか、自己陶酔なのか。
かなり、自分、気持ちわるいですよ。

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